近未来建築診断士 播磨 第4話 Part3-2
近未来建築診断士 播磨
第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.3『資料確認』 -2
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「多すぎますな」
能荏理事長はプリントを軽く放った。コピー用紙は無垢一枚板のテーブルに吸い付いて止まる。町内会館会議室の空気が淀みはじめた。
「ここまでやる必要はないでしょ。管理システムの報告書見なかったの?」
「先日いただいたデータに、わからない部分がありまして。そこを確認するためにも必要な調査項目なんです」
「いや、いらないね。うちの管理システムは毎年国に報告を入れてるんだ。それでなんの指摘も受けてないんだから、何も問題ない」
やっぱりか。前回の理事長の反応から、今回の仕事に非協力的なのはわかっていた。
右隣の春日居はスーツに伊達眼鏡姿という一部の隙もない出で立ちで、刻一刻とその笑顔を深めている。一方、左の元木町会長は眉間をつまみながらため息を押し殺しているようだった。
仕方がない。テーブルの上のプリントアウトをめくり、あらためて理事長に差し出す。
「わかりました。ここに記載した調査事項は弊社で必要と判断した計画です。理事会様が不要と判断されるならば、この中の項目を削っても問題はありません。その部分のご報告は出来なくなりますが」
「ああ。いらないよ。システムでわかってるから」
「では調査方法を削ります。目視と写真撮影調査のみとしますが、よろしいですか?」
「おう」
鷹揚に頷く肥満体を目の端に置きながら、プリントにバツ印を入れた。両隣の息遣いが変ったが無視する。言いたいことはあるだろうが、いまは我慢だ。
「あとさ、1日で終わらしてよ」
思わず鼻で笑いそうになった。22階建てを1日?3日は確かに多いかもしれないが、せめて2日無ければ調べるべきことも調べられないだろう。着たばかりの我慢の鎧を捨て、できるだけ穏便な拒否の理由を探した。
「それは・・・」
「理事長さん。それはさすがにまずいです。町内会で発注した調査ですから、我々としても納得の行く報告書が欲しい。1日じゃほぼ何もできんでしょう」
見かねて元木氏が助け舟を出してくれた。反射的に理事長が口を開くが、町内会長に遠慮したのか、二の句は出なかった。いけるかもしれない。
「そうですね。3日は居住者の方にも負担があるかもしれません。調査項目も減りますので、2日間とさせていただけますか?」
「うん。2日ならいろいろ見れるんじゃないですか」
元木氏と即席で調子をあわせる。理事長の性格を考えると、二人がかりで押しすぎれば余計に頑なになるかとも思った。しかし意外にも理事長は何も言わず、黙って首を縦に振った。なんとか調査に入れるようだ。
現場に入ってしまえばこちらのものだ。空き部屋内の調査で何を行っているかなんて彼には知りようがない。そこでじっくり調査機械を使い、あの報告書で伏せられていたデータを計測することにする。
書き込みを終え、プリントを差し出す。すると、想像を超えた素早さで理事長が動き、資料に指を置いた。
「あと、これも消して」
太い指先は『11階管理サーバーセンター』を示している。思わず顔を上げると、こちらを睨め上げる視線がぶつかってきた。
「個人情報が満載の部屋なんでね。部外者は基本立入禁止なの」
落ち着いてゆっくりと息を吸い、視線をプリントに落とした。抗弁しても通らないだろう。向うの意に沿うように振舞うしかない。
「わかりました」
いま、ぼくは表情を抑制できているだろうか。
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「ないわ」
「ないね」
理事長が帰った部屋で、春日居と元木氏はうなずきあった。
「ごめんねほんとに。恥ずかしいよ、同じ大人として。あの態度は無い」
「どうしてあんな頑なになっちゃうんでしょう?」
「年かなぁ。私も若くないから、そうは思いたくないけど」
「元木さんは大丈夫です。紳士ですもの」
2人の会話を他所に、頭の中では疑問が荒れ狂っている。
あれが能荏理事長という人間なのだろうか。通常、マンションへ部外者が訪れることは珍しくないはず。小さな工事や医師の訪問もあったろう。その都度よそ者の前に立ちはだかって、横車を押してきたのだろうか。
あるいは彼も、町会長の友人のように変わって行ったのだろうか。タワーマンションという集落を守る、群れのような社会の一部に。
妄想を振り払うため、理事長から受け取った契約書で机を叩いた。
「まぁ、ともかく調査はできます。室内では修正前の計画書通り調査をするつもりです。春日居から出た『仮説』を検証する必要もありますし」
元木氏は春日居との談笑をやめ、うなずいた。
「彼女にした話の件かい」
「ええ。人は変わるものだと思いますが、そのトリガーを建物が引く事例もあるようです。調査までに、具体的な事例を調べてみます」
「頼むよ」
「任せて下さい。ウチ、本気だすんで」
本気?
思わず春日居を見上げる。下ろしていた髪を無造作に結い上げて笑う彼女のその顔を見て、思わず背筋が粟立った。
「おい」
「大丈夫。ウチはあんたの部下として、出来る限りのことをするだけだ」
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