近未来建築診断士 播磨 第4話 Part4-2
近未来建築診断士 播磨
第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.4『現場調査』 -2
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昼食を挟んで地下と1階の調査が終わった。時刻は14時を回ったところ。吹き抜けに流れる空調の風は、動き回って疲労した体には蒸し暑く感じた。
「ほんとに付き合わなくてもいいのかい?」
「ぼく達の仕事ですから。終わったらまた町内会館に伺います」
元木町会長は午後の調査に同行するつもりだったらしい。だが疲労の色も濃く、ただついてくるだけの役目は退屈そうだった。
元木氏の同伴は『搬入』がばれた場合の保険でもあったが、朝からこっち理事会からは何の反応もない。あの理事長の性格からして『搬入』を察知したらすぐさま飛んでくるはずだという推測に、元木氏も同意してくれた。
心配そうな顔でこちらを振り返りながら帰っていく元木氏を2人で見送る。エントランスホールのあちこちにあるベンチでは居住者が数人腰かけて談笑していた。
「では、上へ参りましょう」
「はいセンセ」
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11階でエレベーターを降りる。エレベーターホールは吹き抜けの北側に位置しており、今回入室を禁じられた管理サーバーセンターは反対の南側にある。
吹き抜けから辺りを見渡していると、後方から風切音が聞こえてきた。振り向いた先から宅配ドローンが飛び来たり、吹き抜けに身を躍らせていく。エレベーターホールの裏側にドローンの発着室があるのだ。外から来たドローンはまずここに着地し、重量や品物名の簡易検査を経て建物内に再び飛び立つ仕組みらしい。
飛び立ったドローンを目で追うと、吹き抜けを囲むがっしりとした手摺壁が目に留まる。やわらかなクリームブラウン色塗装の手摺がドーナツ環をつくり、上へ下へと積層している。そのドーナツに掛け渡された橋のようにモノレールの軌条が配置されていた。
下の階からモノレールが走り出て、急カーブを描く軌条を掴みながら吹き抜けをわたる縦の軌条に乗る。加速し、上昇していき、駆動音のドップラー効果を残しながら目の前を通り過ぎていった。
あれの腹に自走ロボットが取り付くのか。ARグラスには、春日居が1階調剤室に置いて来た自走ロボットの視界が出ている。ほぼ暗闇のその映像で、ロボットは最初の地点から動いていないことがわかった。単独で軌条に乗った場合、なんらかのチェック機能に引っかかる恐れがあるからだという。建物を行きかう貨物車両に便乗すれば、そうしたチェックの隠れ蓑になりうる。いまは待ちというわけだ。
できれば11階にいるうちに自走ロボをサーバーセンターに入れたい。室内で用事を済ませ次第、廊下の天井点検口から回収すれば怪しまれることもない。
しかしロボの身動きが取れない今は、空き家調査に専念するとしよう。サーバーセンターも大事だが、こちらも同じくらい重要だ。提供された報告書の『問題なし』が本当かどうか確かめることが出来るのだから。
春日居が理事長に預けられた電子錠カードを、空き家のアルミ色ドアプレートにかざす。小気味いい金属音が響き、デッドボルトが外れる。弓なりのドアバーを軽く引いてドアを開け、彼女はわざとらしく会釈して見せた。
「ドアレディとか、いつの時代ですか」
「いいじゃないですかセンセ。さ、どうぞ」
搬入が無事に終わった安心感だろうか。昼食からこっち彼女は、はしゃぎ気味だ。あとで注意したほうが良いだろう。言い方は悪いが、ここは敵の懐と言ってもいい場所だ。あの理事長がぼくらの落ち度をどこかで見張っているかもしれないのだから。
視線を部屋の中に転じると、四角く切り取られた青空が見えた。玄関は思ったほど広くないがリビングの窓が玄関の真正面に計画されており、そこから見える景色を絵画として見せようという意図を感じた。
心理的圧迫感を居住者に与えないためか、梁のでっぱりが室内に一切ない。そのため窓は床から天井いっぱいまである。
図面では玄関を入るとすぐに廊下と書かれているが、実際には玄関、ウォークインクローゼット、浴室、リビングダイニングキッチン(LDK)を曖昧につなぐ空間だった。強いて言えば、LDKにこぶのようにくっつく小部屋というところ。
靴を脱いでLDKに踏み込む。敷かれたばかりのような光沢を放つ無垢フローリング。油汚れも埃汚れも無いパールホワイトの壁紙。コンセントは全て壁の中に埋め込まれた非接触型のようで、どこの壁にもコンセントボックスは見当たらない。
リビングの一角を襖で区切った畳コーナーと、隣室の和室からは紙と伊草の香りが漂ってくる。
直感だが、この部屋はHEWSに適合しているのではないだろうか。とても人に害のある部屋には思えなかった。
「いい部屋ですね」
ムカデ状輸送ロボットをフローリング床に下ろし、春日居は腕の端末に指を走らせる。
『それ録音用のお世辞?』
表示された言葉に頷いて応えた。
『本心。HEWSの違反事例写真とかと比べればよくわかるよ。この部屋の綺麗さが』
『そいじゃ、目に見えない原因があるかもってことだね。調べよう』
『何も無いのかも、ってことも忘れずに』