ノーリスクのときめき

閉じた世界が好きだ。

ずっと変わらないことは死んでいることと同じと言われることがあるけれど、わたしは展開しない世界が好き。創作物で言うところの、リアリティはないけれどキャラクターとして完成しきっているもの、人物が好き。

これは、物語で言うと片思いをしていて、両思いの展開があまり考えられないキャラクターを見て思うことだ。


さっちゃんが、私の初めて好きになったキャラだった。


さっちゃんこと猿飛あやめは、漫画銀魂の登場人物である。元々は御庭番衆のくのいちとして登場し、その後始末屋さっちゃんとして依頼人から仕事を引き受けるようになった。彼女は主人公の坂田銀時が大好きで、そしてその恋をこじらせたゆえの過激な行動に出がち。

過激というのは、バイオレンスという意味合いではない。子供に見せてはいけない、もしくは親と見るには気まずい絵面になってしまうという意味の過激である。勿論コメディ調で生々しさはない。体感で言うと、「え?これ意味知って見てる?今笑ったけど」って思われたら人との接し方変わると思うレベルだ。

さっちゃんはすごい。

好きで好きでたまらない人に猛アタックして、つれなくされてもそういうプレイだと主張して、猛攻をやめない。猛攻をやめないくせに、いざ恋愛色の強い場面(バレンタインなど)ではしおらしく照れるのだから。恋心の擬人化みたいな面を持っている。

インフルエンザの回で、銀さんに迫られたと思った時さっちゃんはすぐには飛びつかなかった。一瞬戸惑いを見せ、ラブコメで見覚えのある照れ方をした。その後すぐに興奮したけど。恋する乙女の顔とぶっちぎりの過激さを同じ場面で繰り出すところもさっちゃんの魅力だ。御庭番衆の人たちは飲みに行った時「さっちゃんはかわいいよね、全くさァ」とか言いながら泣く時間があると思う。

ドライバーのくだりのときに、銀さんの背中を押したのはさっちゃんだった。ドライバーから戻ろうとすることを諦めて生きようとした銀さんを、負けても私は受け入れるから現実から逃げるなと命からがら叫ぶ彼女。自分もドライバー化しているのに、好きな人が腐らないためにその人に情報を預けてしまうってすごいことだ。絶対に見限らないって本人にいえてしまうって、かっこいいことだ。恋する子の健気さと、さっちゃんの人としての気高さのようなものが感じられて好きな話である。

完結編の時に、変わっていく周囲に対して、見た目を変えずにいたさっちゃん。私は泣きながら、この人のことが好きだと思った。現実を見ていなかったわけではなくて、現実を見ていながら自分の信じたい未来のために行動する彼女は、かっこよくて眩しい。そこには銀さんのためだけではなくて、お妙さんを安心させたいという思いもあったはず。自分は動けないのに、周囲が変わっていく絶望はきっと計り知れない。それを分かって、さっちゃんはあのままでいたというのもあると思う。あつい人情を持っていて、それを普段隠しているような人なのだろうと見ている。

わたしはさっちゃんがすごく好きで、いつも報われてくれ!と思うと同時に本当に報われたら絶対に違うという気持ちを抱えている。

さっちゃんが変わっていくことがいやなのではない。銀魂がギャグ漫画とはいえ、ずっと同じ場所に居続けることはない。人が登場している以上、別れがあって出会いがあって、成長していくのは止められない。それに心を震わせるから、わたしは少年漫画を読むのが楽しいのだと分かっている。最終章に向かっていくにつれて、変わっていない部分はあれど、少し大人びたように見えるさっちゃんを私は「ずっと幸せであってほしい」と思いながら見ていた。

けれど、銀さんに恋焦がれるさっちゃんであり続けて欲しいとは思うのだ。猛攻をやめないさっちゃんであって欲しい。これを閉じた世界だと言っていいのかはわからないが、さっちゃんには成長しても変わらないでいて欲しい。報われてくれと思う気持ちは、本心であるのに。

好きな人が好きな人と報われることに対して、応援したいと思っているのに、苦い気持ちを抱えている。字面だけ見ると単にありきたりなラブコメで、実態はただの厄介なファンだった。

恋をすることはグロい。自分が嫌になることもある。友情や家族愛や推しに向ける気持ちと比べて絶対的に特別であるなんてことはまるでなくて、しなくたっていいものだ。さっちゃんが見せてくれるかわいさは、もしかしたら閉じた世界にしかないのかもしれない。いや、あるかもしれないが、短い人生で私が現実世界でそれと出会うことはない可能性の方が高い。私はのぞき見みたいに、恋する気高くてかっこいいさっちゃんを知ることが出来ただけでもう幸せだ。

もし神様と会ったら、私の走馬灯が流れる時間を一時間にしてそこにさっちゃんを映してほしいとお願いできますように。











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