俺の推しドラゴン〜藤波辰爾
※にわかのプロレスファンだから優しい目で読んでね!!
好きな辰爾は、藤波辰爾!!
こう即答したくなるくらいに思い入れのあるプロレスラー。
それがマッチョドラゴンこと藤波辰爾だ!!
こちらのnoteもシネマ飛龍革命を謳っているので、今回は元ネタであり個人的に思い入れのある、藤波辰爾についてアレコレ書いてみようと思います。
映画関係ないじゃねえか!と言われるかもしれんが、そんなもん知らん‼︎
まずは藤波辰爾の簡単なプロフィールから紹介しましょう。
アントニオ猪木に憧れ、格闘技未経験ながら若干16歳でプロレスの門を叩き、海外での武者修行を経たのち、24歳でマディソンスクエアガーデンにてWWF(現WWE)ジュニアヘビー王座を戴冠。
その後は新日本プロレスのマットで飛龍の如く活躍、本人の座右の銘『I never give up』を有言実行し続け、2024年現在、齢70歳にして今なお現役でリングに上がるプロレスラーである。
呼ばれた異名はドラゴン。
ドラゴンスープレックス、ドラゴンスリーパー、ドラゴンスクリュー、ドラゴンリングイン、ドラゴンストップ(?)…
彼が新しく披露した技の頭にはドラゴンの文字が躍っていることからも分かる通り、技のパイオニアとしても知られている。
だが、やはり特筆すべきは彼のファイトスタイルだ。
ドラゴンの辞書に後退の二文字はない。
攻め主体の新日本プロレスにおいて、身体一つで相手の技を真正面で受け切る。
時には大流血しながらも立ち向かう、この逃げない姿勢にこそ俺は痺れた。
いわば俺の親くらいの年が直撃世代なわけだが、プロレスに詳しくない60~70代にも藤波辰爾の名前を伝えると大体皆知っている。
「ドラゴン(藤波)を知ってる奴は大体友達なムーブ」が親世代にはある(俺の半径5m以内では)
かくいう俺は、リアルタイムではなくもっぱらVHSビデオなんかで藤波の試合を後追いしたクチだ。
いわば俺は遅れてきたドラゴン世代であった。
悲しいかな、地元の同世代でドラゴン推しは俺しかいないのは言うまでもない。
正直、そこまで俺もプロレスマニアでもないわけだが、それでも藤波へのリスペクトは年齢を重ねれば重ねるほど強くなっていった。
映画鑑賞やレビューを書くのも一種の勝負だと勝手に思っている俺だ。
どんな映画でも最大限いいとこを紹介していきたい。
そう、藤波辰爾のように。
そんな思いもあってか、こちらのnoteにシネマ飛龍革命と名付けた俺の気持ちが分かって頂けると思う。
「マジどうでもいい」という声を無視して、話を藤波に戻そう。
ともすれば他団体に移籍、あるいはプロレスから格闘技に浮気することもなかったドラゴン。
彼の好きな城のように、動かざること藤波のごとし。
あくまでプロレスという流儀を崩さない。
どんな相手でもプロレスの試合として成立させてきた。
長州、前田、ベイダー、橋本…
数多のライバルとシノギを削った名勝負は今も語り継がれている。
『勝負を通して相手のいい所も最大限に引き出す』
このセオリーを忠実に実践してきた、日本マット史において切っても切れない重要なレスラーである。
(この辺の偉業は、各自wikipedia辺りで読んでもらうのが早い。ていうか読め!)
じゃあ、ただの予定調和の安定したレスラーなのかといえば、そうではない。
危なっかしさ、あるいは掟破りをかます油断ならない気質があるのもドラゴンというレスラーだ。
危険すぎて誰もやらなかったフルネルソンからのジャーマン=ドラゴンスープレックスを大一番でかます、ご法度とされた相手の技を長州に仕掛けた掟破りの逆サソリ、同じくご法度だったマスクマンの正体を言っちゃう「オマエ平田だろ」、感情が爆発し猪木へ前髪を切りながら陳情する「飛龍革命」、そして独特過ぎる歌唱及びPVを世に放った『マッチョドラゴン/ドラゴン体操』…と、その飛龍っぷりでプロレスの内外問わず、革新的なサムシングを残してきた。
しかし、その全てが成功したわけではない。
早すぎた他団体への交流試合を想定した幻のユニット=ドラゴンボンバーズ、長州との試合を藤原組長の乱入によって台無しにされ「こんな会社にいられるか!」と激怒、パンイチで試合会場を後にしたものの、その日飛ぶ飛行機が大雪で欠航だった為に再び同じホテルへチェックアウトからの即チェックインするドラゴンチェックインを披露した雪の札幌テロ事件等々…
ちょっと突飛なことを仕掛けたものの、空回り、不発に終わっちゃった事例も多々ある。
「あれなんだったんだろ…」という珍事件を起こすのも藤波の個性だ。
保守本流の本隊にいながらもドラゴンなりに仕掛けてきたのが伺えるわけだが、結果はどうあれ、その姿勢は買いたいじゃないの。
そして新日本プロレスの社長に就任したものの、折からの総合格闘技ブーム、新団体の出現によって団体が迷走。
会社経営のしがらみで思うように飛べないドラゴンであったが、何年か社長業を続けた後、なんやかんや長年籍を置いていた新日本を退団。
今は無我を経て、ドラディションを自主興行し、現役としてリングで戦っている。
新日本の迷走は、決して藤波だけのせいではないと思うものの(だいたい猪木のせいな気もするが)、会社の代表として優柔不断とみなされ『こんにゃく社長』と呼ばれていた時期もある。
個人的にそんなこと言う奴には思わずドラゴンスクリューをかましたくなるのだが、とはいえ「ドラゴンどうなのよ!?」と思うファンがいたのも確かだ。
だが、この歳になるとわかる。
おまえは本気で藤波を揶揄できんのか?と。
社会に出ると、どうしても枠にはまり自分が思うようにいかない状況に直面することが多い。
それでも!と仕掛けたり、挑戦したものの不発なんてこともあるでしょう。
みなさんも身に覚えはありませんか?
俺はある!!いっぱい!!!
それこそ、チャボ・ゲレロ戦にてドラゴンロケットで場外に飛び出し自爆した藤波辰爾のように!!
なんならドラゴン以上に優柔不断だった状況もあったですよ、ええ。
ドラゴンを笑う奴はドラゴンに泣くぞ!
例えば成功だらけで俺凄いだろ?ムーブなんてかまされていたら、俺もここまでドラゴンを追いかけなかったであろう。
成功と同じくらいに空回りもあるからこそ、藤波辰爾というレスラーは味わい深いのだ。
常に自分を大きく語らない謙虚さがドラゴンにはある。
ことプロレスにおいて、どうしても派手な攻撃型レスラーにファンの目は行きがちだ。
かくいう10代の頃の俺も正直そうだった。
いわば我の強さがモノを言うプロレスの中で、素朴さ、相手を立てる謙虚さを忘れず、「ドラゴンここにあり」と続けてきたのは、並大抵ではなかったのではなかろうか。
(プロレスファンにおなじみ、熊本旅館破壊事件でも、朝方から率先して掃除していたという越中の証言からも、その謙虚っぷりが分かる)
並のプロレスラーとは、ある意味で規格外だった藤波であったが、2015年にWWEの殿堂ホールオブフェイムに、師であるアントニオ猪木の次に名を刻んだ。
身内の入学式やら結婚式ですら鼻をほじる気分の俺であったが、この時ばかりは我がことのように嬉しかったのは言うまでもない。
まあ藤波の為に俺が出来ることと言ったら、ドラゴンTシャツを何枚も買う位しか出来ない日々だったが、ひょんなことから本人に間近で遭遇する機会をゲットする日が来た。
なんと健康をテーマにトークショー&撮影会をするというじゃないの‼︎
しかもイオンで!
ドラゴン健康法に俄然興味のあった俺は片道1時間掛けて会場に向かったのだった。
はじめてリアルの藤波辰爾に遭遇したのだが、身体が分厚い‼︎
そして何より、ナイスガイ‼︎
肝心のトークは…
・ドラゴン寝起き体操は重要
・強い奴は背中(肩甲骨)が凄い
・最近は城以外だと炊事にハマってる
・師アントニオ猪木へのLOVE
・70からがプロレスラーの本領が求められる
…と健康以外のテーマも話してくれるサービス精神を披露!
とりあえず、健康でいたいなら寝起きで体操しようというアバウトぶりだったが、ドラゴンが言うなら俺も頷くしかない‼︎
なんなら会えて健康になったし!という理由で物販のTシャツを2枚購入したのだった。
…って、結局Tシャツ買うしかしてねえじゃねえか‼︎
母さん、クローゼットがドラゴンだらけになりそうです。
つーわけで、これからもクローゼットの容量が許す限り、ドラ活続けていきたい。
では、これも技とも言いたくなるドラゴンスマイルで〆にしたい。
フォーエバー!ドラゴン!!
(最近も北九州の小倉城での試合を見届けてきたのだが、またTシャツ買っちゃいました。何年続くんですかこれが!何年これが!!©飛竜革命の藤波辰爾)
おまけ〜俺的ベストバウト
VSアントニオ猪木
いよいよ師匠越えに挑むドラゴンの60分フルタイムの激闘。最後は泣ける。
VS前田日明
蹴りや関節中心の前田にドラゴンが挑む!本気の蹴りでも倒れず、最終的に大流血するドラゴンに震えない奴は何やってもダメだ!!
VS長州力
「俺はお前の噛ませ犬じゃないんだ!」から始まる一連の抗争。
噛みつかれた藤波からしたら「え!?」と寝耳に水だったらしい。掟破りの逆サソリを繰り出す瞬間は必見!!
↓ドラゴンの自叙伝と最近の動向は、ここをチェック‼︎
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