4月26日のこと。
4月26日、金曜日。くもり、雨。
霊園。
雨を含んだ湿った通り、灰色の空と墓石。
たまに人とすれ違う。
車が通る。
四月の終わり、巻き戻ったような冷たい外気。
たくさんの人が眠る、道なりの景色。
底の方まで静けさが停滞し、
色々なことに怯えて生きている感覚が
安らかさに変わっていくみたい。
ゆるされているようで、温かい冷たさに包まれる。
終わりがあることの美しさ。
明確な終焉が待つことの幸福。
memento moriの正しさを深く感じる。
いつか
安らかな静寂の一端になる私は、
それでも今日という日に惑ったり訝ったりする。
大切なものや人が傍にあるのなら、守れる自分でいたい。
この命の中で、ひとつだけでいいから
ほんとうの物が欲しい。ほんとうのことが知りたい。
誰かにとっては取るに足らないようなものかもしれない、自分にとってのほんとうを。
私は容易く死を忘れてしまう。
誰も彼もがいつか必ず死んでいくというのに。
今私に明るさをくれる光のようなあなたすら、
100年後にはもうどこにもいないのに。
覚えていたい。
誰も彼もがここに生きているということ。
時間はあまりたくさんは無いから、
この今を、命を、ほんとうに大切なことに使いたい。
眠っている名前も顔も知らない誰かと、
雨の日に共有した心。
生まれながらに死の魔法がかけられている。
その本質がこんなに優しくて、穏やかだと感じたことは私にとっての幸いかもしれない。
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