小説 by the window
*こちらの小説は#2022クリスマスアドベントカレンダーをつくろうに寄せて執筆した作品です。
† † †
ここは、アンダーグラウンドなサブカル好きが夜な夜な集まるライブハウス〝under gallery〟
住宅街を縫うように進み、螺旋階段を下へ降りると、クラシカルなダークブラウンの扉が現れる。
12月に入ったばかりの或る日の昼下がり。ギターでも弾こうかとネックに指を伸ばしたところ、スマートフォンからトークアプリの軽快な効果音が聞こえてきた。一瞬の沈黙。浮かしていた腰をもう一度クッションに沈めて、メッセージを開く。
gallery集合~
あ、おしゃれしてこないで
あとギターはいらないよ
「はぁ……?」
送り主は同じバンドのドラム〝シュガー〟からだった。
夜に会うことが圧倒的に多いメンバーから、こんな昼下がりに連絡がくること自体がなんだか怪しい。ギター不要ということはスタジオ練習でもなさそうだし、そもそも今日ってgallery休みじゃなかった?
怪訝に思いながらも特に予定もないのでそそくさと支度をする。
〝おしゃれしてこないで〟の一文がどうにも引っかかるが、適当な服に袖を通して慣れ親しんだライブハウスへ向かった。
† † †
【scramble † egg】
自分が所属している4人組のバンド。〝ダークメルヘン〟と称されるこのバンドはunder galleryでもかなり人気があるバンドだ。
ボーカルの〝リラ〟の中性的な雰囲気と歌声がこのバンドの世界観を強く象徴している。このライブハウスに通い始めたころからリラの存在はとても目を惹いていた。自分はscramble † eggの二代目ギタリストだ。
このバンドと過ごす時間も長くなり、気がつけば二回目の12月が来た。四六時中一緒にいるわけじゃないけど、音に合わせて心を共有しているようなささやかな時間が、柄にもなく心地よかった。
「こんなに明るい時間にここ来たのはじめてかも」
重厚なダークブラウンの扉をくぐると、ほとんど灯りはついていなかった。
受付やドリンクカウンターには誰の気配もない。
受付横の螺旋階段からさらに下のフロアへ降りてゆく。
小さな間接照明がぼんやりと足元を照らしていた。
窓のない地下室は今が昼下がりなことを忘れてしまいそうなほど仄暗いが、染みついた煙草の匂いと夜が混ざったような特有の箱の香りにどこかほっとしてしまう。
地下2階に降りると、ライブフロアへ続く分厚いカーテンが開いてあった。
防音扉の向こうからさわさわと人の気配がしている。
「お疲れさまー。
勝手に入ってきちゃったけどよかっ、た……?」
扉を開くと、おもちゃ箱をひっくり返したように散らかったなにかが床の上でキラキラと輝いていた。
フロアの壁際に大きな脚立が立ち、その手前にこちらを背にして青い髪の誰かが立っている。
バンド内に青い髪の人物は一人しかいない。ベースの〝キサラ〟だ。
なんとなく気まずい空気が漂っている気がして改めてフロアを見渡す。
足元に散らかっているのは、クリスマスのオーナメントだった。
「……あれ、キサラ髪切った?」
トレードマークだった長髪はなんだか不自然な長さに見える。心なしか背も縮んでいるような…?
状況を把握できずに入り口で突っ立っていると、フロアの奥の扉から青い長髪のベーシスト〝キサラ〟が出てきた。
「お疲れさまですスイレン。ちょっと散らかっているので足元に気を付けてくださいね」
大量のタオルを手にいそいそとフロアへ戻ってくる物腰の柔らかい彼は、紛れもないキサラ本人だ。
「……え、まってよその人どちら様?」
「シュガーですよ」
「え?」
キサラにタオルを手渡され、その人物がゆっくりとこちらを振り返る。
じっとりとした視線。見たことない状況にぽかんと口が開いてしまった。
シュガーは頭から青い色の液体(おそらくペンキ)を被った状態で、頭のてっぺんから肩口辺りまでが真っ青になっている。
「……おたく、顔色真っ青よ? イメチェン?」
「なわけねーだろ」
よくよく見るとシュガーと脚立の間に、申し訳なさそうに視線を泳がせているリラがいた。
「リラ、お疲れ」
「スイレン、お疲れさま……」
シュガーの後ろから控えめに顔をのぞかせて、困ったようなへにゃっとした表情のリラ。
「どうなさったの」
「……クリスマスだし、フロアの壁とか青くしたらすてきだねって」
「うん?」
「脚立に乗って塗ってる最中にバランス崩しちゃって、それで、その」
「シュガー、お前が悪いよ」
「なんでだよ!!!」
いつもの調子でケラケラ笑うシュガーをせっせと介抱するキサラ。そして気まずそうにしゅんとするリラ。
「リラが一番軽いですから、脚立にあがってもらったのですよ」
「そーそ。気にしなくっていいよ。リラも大丈夫だった?」
「僕は大丈夫。ダリアが受け止めてくれたから」
「え、リラ脚立から落っこちたの? そういえばダリアは?」
状況把握に勤しんでいると、さっきキサラが出てきた奥の扉から、ダリアがひょこっと顔を出した。
ダリアはこのライブハウスのオーナー。
歳は知らないけど多分一回りくらい離れてる。
とても華やかで、それでいて大人のしっとりとした落ち着きがある人だ。
メンバーとも親交が深く、ライブ以外でも時間を共にすることが多い。
「スイレン、シュガーにシャワー浴びさせてやってくれ」
そういうと鍵が4本くらい収まったシンプルな革製のキーケースを投げてよこした。
「キッチンにあるもの好きに飲んでいいから、あったまってから降りてきな」
† † †
「ダリアって何者?」
ライブハウスが入っている建物はダリアが所有しているらしい。上の階に一人で住んでいるとは聞いていたけど、デザイナーズマンションのようなシックでお洒落な部屋は、あまりにも洗練されていた。
青色が床に滴らないよう慎重にシュガーをシャワールームへ送り届けると、なんとなく廊下に座り込んで部屋を見渡す。
コンクリ―ト打ちっぱなしの壁。レースカーテンだけが掛かっている窓際。控えめなダイニングテーブル。必要最低限の家具たち。
部屋を満たす空気はとても静かで、ダリアの心の中を覗いているような気分になってくる。
ダリアとはメンバーよりも付き合いが長かったりするけど、部屋に入ったのは初めてのことだ。
シャワーの水音、時折外を通る車の音。テーブルの上の空っぽな花瓶。
十分に暖められた快適な部屋。
それなのにこの部屋は、どうしてこんなに――――、
「さみしい」
ガチャっと音を立ててシャワールームの扉が開く。すぐ横の廊下に座り込む自分を見て、シュガーはぎょっとした表情を浮かべた。
「ずっとそこで待ってたの?」
タオルでわしゃわしゃと水滴を払うシュガーの髪は、いつもの綺麗な金髪に戻っていた。
「シュガー服大丈夫なの」
「汚れてもいい服で来てたから別にいいよ」
ダリアの部屋着を着たシュガーが〝おしゃれしてこなくてよかったでしょ?〟と笑った。
「お言葉に甘えてあったまろうぜ」
キッチンへ歩いて行くシュガーの後ろをついていく。この部屋のどこよりも生活感のないダリアのキッチン。華奢なコンロにひとつ、ケトルが置いてあるだけ。
モダンなキッチンの棚にはマグカップが2つと、珈琲や紅茶の入ったボックスがあった。
「あ、ココアある。ココアのみたい」
カウンターキッチンに頬杖をついて、シュガーがケトルでお湯を沸かすのをぼんやり眺めていた。
マグカップにココアの粉を用意して、お湯が沸くまでのほんのひと時、シュガーも自分も特に言葉を発さなかった。
晴れているのにどこか透明で、そして灰色がかっている。
この部屋は12月の人恋しい真昼の空みたいだ。
仄明るい、照らされ過ぎない静かな時間が横たわっている。
手渡されたマグカップから、甘い溜息のような湯気が立ち上った。
少しだけかじかんだ指先にじんわりと巡る熱で、胸の奥がキュッとなった気がした。
ソファを背もたれにして、二人並んで床に腰を落とす。
「海外のさ、青い空間のキャンドルナイトがすごく綺麗で。galleryも12月でイベント多いし、フロアの壁青にしちゃう? みたいなノリになってさ」
「また厄介なノリだねえ。まあまあ広いよここ」
「広いんだよ。みんなやり始めてそれに気づいたの」
ペンキ騒動は脚立を支えていたシュガーが、オーナメントの箱に足を引っかけてしまったことから起こったらしい。
〝ほんとに俺が悪いんよ〟
窓の外に視線を向けたままシュガーが小さく笑う。
「クリスマスってなんか変だよな。なんてことはないただの同じ一日なのに、どこかそわそわして、ワクワクしてる」
言われてみれば確かにそうかもしれない。
12月になった途端に街中がクリスマスムードに切り替わる。年末に向けた加速度も相まって、なんだか自然と意識してしまう。
「スイレンはクリスマスの思い出なんかないの?」
「うーん。特にないねえ」
「子供の頃とかも?」
「そうねぇ。うちは家族仲あんまりよくなかったから。クリスマスに特別思い出はないよ」
「そっか。うちは兄弟が多いから、なんだかんだやってたなクリスマス」
子供の頃、大人たちが忙しない12月が大嫌いだった。あの何とも言えない肌寒くて心もとない季節がどうしても好きになれなかった。
「クリスマスって誰かと過ごすことで成り立つイベントじゃん」
「確かにそんな側面はあるかもな」
「みんな持ってるもん? クリスマスの特別な思い出ってやつ」
ちょっとひねくれた自分の言葉に、シュガーが考え込むように静かになる。
だんだんと日が傾いていく時間。雲の流れに合わせて、控えめな陽光が射したり途切れたりを繰り返している窓辺。
「……ダリアにもあると思う?」
「ダリア?」
「うん。ダリアにもクリスマスの特別な思い出ってあるのかな。……この部屋、なんだか寂しくない?」
立てた両膝の上にマグカップを乗せて、部屋の中をくるりと見渡すシュガー。無駄のないダリアの部屋の居心地は決して悪くないのに、どうしてそう感じてしまうんだろう。
「寂しがってるのはこの部屋じゃなくて、お前の方だろスイレン」
諭すような、優しい口調でシュガーが向き直った。茶化しているわけでも、咎めているわけでもない。目元が笑っている、優しい表情だった。
「確かにこの部屋物が少ないし、ちょっと片付きすぎてるけどなんかダリアっぽいじゃん。それにダリアにもきっと、特別な思い出あるんじゃないかな。ほら」
そういってシュガーが指さす窓辺。
レースのカーテンに隠れた窓際に、小さなクリスマスツリーのオブジェがちょこんと置かれていた。
てっぺんの星が木でできていて、ミニチュアのリンゴや松ぼっくりが飾られたナチュラルなデザイン。
生活感のないこの部屋に唯一といってもいいほどの、色彩を帯びたダリアの感情が現れているような気がした。
「そろそろ戻ろうぜ」
窓際の小さなツリーに目を奪われていると、シュガーが立ち上がった。
「思い出なんてこれから増えていくんだから。どんなことに特別を感じるかなんて人それぞれだしさ」
「……そうね。センチメンタルになったわ。ごめん」
いつの間にか乾いているシュガーの金色の髪。前髪をおろしている姿はなんだか天使のオブジェのようだ。
「特別な思い出、今日がその日になるかもしれないよ」
† † †
防音扉を開くと、沢山のキャンドルの灯りが揺れる夜が広がっていた。
炎の揺らぎに合わせて、床に散らかったオーナメントたちがきらきらと優しく輝き、フロアにともった青い照明の光がさっき塗ったばかりの青い壁面を滑って、波のように回っている。
ステージの横には白いツリーが飾られて、一瞬、雪を纏っているような幻想的な景色に見えた。
入り口で見惚れていると、シュガーに背中を押される。
無事に金髪に戻ったシュガーの元にリラがかけよってきた。小さく頭を下げるリラにシュガーは快活に笑う。飾りつけの途中だった彼と連れ立ってフロアの中入っていった。
「シュガー、スイレンおかえりなさい。
お客さんが入っているときはキャンドルを点けられませんから、今日だけ特別仕様だそうですよ。
少し早いですが、クリスマスのパーティをしましょう」
〝ダリアがケーキも用意してくれました〟とキサラが楽しそうな声をあげた。
奥の部屋で準備をしているダリアをみつける。
部屋を覗くと、ケーキの箱やちょっと豪華なオードブルが用意されていた。
「ダリア、鍵返すね」
「ちょうどいいスイレン、持っていくの手伝ってくれ」
いつの間に用意していたのか、紙皿やポットなんかもある。ダリアと二人、並んでパーティの準備をした。
「――あのツリー、まだもってたんだ」
独り言のように呟くと、ダリアの視線がこっちを向く。
部屋にあったツリーのオブジェは、何年も前に何気なく自分がダリアにプレゼントした物だった。
すっかり忘れていたから、シュガーが指をさした時は本当に驚いた。
どうしてプレゼントしたのかすらも覚えていないような、なんてことないクリスマスの贈り物。ダリアは今まで、ずっととっておいてくれたのか――。
「大事な思い出だからな」
何気ない風にそういって、ダリアはフロアに出ていった。
手元に残っているケーキの箱に目を落とす。近くにできたばかりの人気のパティスリーの物だった。
〝ダリア知ってる? 近くにできたケーキ屋めっちゃ美味しいらしいよ〟
先週そんな会話をした気がする。
「わざわざ買ってきてくれたんだ」
フロアに出ると、真ん中にスペースを作ってパーティーの準備をする楽し気なメンバーと、ダリアがいる。
〝思い出なんてこれから増えていくんだから〟
紙皿を並べるシュガーと目が合った。
「スイレン、早くケーキ!」
「……はいはい」
なんてことはない同じ一日。
揺れる光と混ざった青い部屋の中で、音楽と確かな心で繋がった大切な友人たちを見つめる。
大人になるにつれ冬が好きになってきたのは、本当はどこへだって行ける自由が、自分にあることに気がついたからかもしれない。
窓際にあったツリーのオブジェみたいに。
誰かのキャンドルからまた別の誰かのキャンドルへ、灯されていく温かな光のように。
それぞれのささやかな〝特別〟を心に抱いて過ごす12月は、なかなか悪くないかもしれない。
そんな風に思えた、12月の或る日のお話。
お読みいただきありがとうございます。
3日目を担当しました、月面サナトリウムの水町です。
百瀬七海さんが企画されている#2022クリスマスアドベントカレンダーをつくろうは今年で3年目を迎えるそうです。
1年目に参加させていただいたこともあり、最近なかなか書いていなかった小説を再びここで書かせていただけたこと、とても嬉しく思います。
明日以降もクリスマスをカウントダウンしながら素敵な作品たちが投稿されますので、12月の忙しい毎日、ほっとする時間になりますよう願っております*
2020年の参加作品