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わかり合えない?ことが、はじめからわかっている

親と子で、人種や第一言語が違う。

人や物の、海外との交流があたりまえな現代。
日本はかろうじて単一同一民族&言語の国ですが、それでも国際結婚している人は数知れず、俗に「ハーフ」と言われる人もたくさん活躍されているということは、そういう「ハーフ」な我が子をもつ日本人父・母がいるということで。

それで、わが家はというと…

そういう私も、ハーフ(?)の息子2人(18歳と15歳)をもつ日本人母です。
息子たちの父で私の夫は、母国では「ハーフ」とは呼ばれませんが、彼の両親は同じ人種ではありません。日本に住んでいた頃はジョニー・デップに似ている(お世辞の意味がかなりこもっているはず 苦笑)と言われてましたので、イメージしていただけると思います。(有料部分で詳細を書いてます)
ということは・・・息子たちはハーフ日本人、あとのハーフは、さらにハーフ&ハーフ。母親目線から見ると、いわゆる「ザ・ハーフ」な見た目ではないですが(日本人率多めのため)、父親がガイコクジンっていうことで、日本で暮らしていた幼少期にはちょっとしたプレッシャーとモヤモヤが、息子たちにも、私にも、やっぱりありました。


「ハーフA&ハーフB」のうち、長男はハーフA のほうが表面化していてハーフBがあることは見た目にわからず、二男は逆でハーフBのほうが表面化していて見た目的にハーフA があることはわかりません。そう、二人は全く似ていないし、二人どちらも、私にも夫にも似ていないので、親子にも見えないかも。
使う言葉も、第一言語、私は日本語、夫は英語。息子たち二人は、日本に住んでいた頃は日本語だけ。夫婦の会話は英語多めだけど日本語もあるし、ルー大柴(←わかりますか?)的日英混合語。

わが家が日本で暮らしていた頃、夫は父親として、わが子が日々暮らして成長していく環境(社会的期待、同調圧力、ムラ社会、、、etc. )のことを自分事としての体験しておらず、傍観者的にしか見えていなくて、理解できていなかったし、これからも当事者意識を持って理解できることはきっと ないと思います。自分の中の似たような経験から想像することはできても、やはり同じバックグラウンドを持つことによる理解とは、大きな違いがある気がします。

当時まだ息子たちは二人とも幼く母親のほうの手を多く必要としたし、夫は仕事の都合上、幼い息子たちと接する時間が私より圧倒的に少なかったこともあり、私は気が付かないでいました、夫が、父親として子どもたちの生きている、彼らのバックグラウンドとなることについての共通認識を持てないということに。夫自身がそれを感じていたのかどうかもわかりませんし、もしかしたら夫にとってはそんなに大したことではないかもしれませんが、もし逆の立場で、母親の私が、バックグラウンドになる生きて成長している環境についての共通認識をわが子とわかちあえないのだとしたら、それはとても悲しい、と思うのですが。。。

見た目の違いによってこんなに違う、受ける差。

二男の保育園で
私が、きっと一生忘れることができないのは、二男の保育園でのでき事。
夏になると外遊びやプールで、日焼けした子も多くなり、二男よりもっと濃い肌色になる子も見られるくらい。そんななか、ある日のお迎えのときに、「Kくんが、ぼくのことを、うんこを食べているから色が茶色だって言ってきた…」と悲しそうに二男が言いました。

二男にそんなことを言ったKくんは、もともと浅黒い肌で、夏になると日焼けして二男よりももっと色黒になっている子です。ご両親とも日本人で、その子の肌色はときどきお迎えのときに顔を合わせるママに似ているのかな、という印象。わが家が国際結婚であることは、行事などを通じて保育園の同じクラスのご家庭にはだいたいわかっていると思いますが、ガイジン嫌いな人という感じもなく、顔を合わせるとフランクに挨拶を交わす感じでした。

どうしてそんなことを急に言われたのか、もしかしたらKくんとの間でなにかあったのか?二男に聞いてもけんかなんかしてないって言うし、Kくんママにも、(Kくんの発言には触れずに)うちの二男がなにかしてないか・二人の間でもめたとか聞いてないか、と聞いてみましたが、きっかけになるようなことはわかりませんでした。

さらに私を絶望させたのは、保育園の園長先生の発言です。この保育園では、夕刻の所定時間を過ぎたあとのお迎えは職員室にいる先生に声をかけていく決まりになっていて、私は職員室お立ち寄り常連保護者の一人でした。
この出来事があった翌日、職員室にいたのは園長先生でした。私は、前の日に二男から聞いたこと、ほかにもブラジル人家庭のお子さんがいるこの保育園では濃い肌色の保護者、園児もいるということもあり、Kくんの発言は今後の外国人差別につながるのではという懸念が私にはあること、などを伝え、保育園のほうで園児たちに見た目に違いがあってもみんな同じ人間であるということを伝えてほしい、ということをお話ししたところ、園長からの返事に私はショックと絶望を感じました。

「これから成長して学校や社会にでていったら、(二男)くんはきっとこの程度ではすまないようなもっとひどい差別にあうでしょう。残念ですがそれが現実です。ここでそういう差別的な言葉を取り除いた環境を作るより、今のうちから、そういうことに慣れていたほうがいいでしょう。Kくんのお母さんからは、外国人家庭や保護者についてなにか不満等を聞いたこともありませんから、大丈夫です。」と。

私はショックで言葉がでませんでした。二男に対する対応に絶望したのではなく、園長として園児たちにそういうことを教えようという気持ちがまったくないということに、衝撃を受けたのです。これは保育園だからなのでしょうか、幼稚園だったら違ったのでしょうか。

長男の幼稚園で
長男には、二男が受けたようなネガティブな経験はなく、むしろ母親の私が、周囲からの期待に対してモヤモヤしていた、とでも言いますか・・・。
これは「ハーフあるある」なことですが、自動的に英語ペラペラである、という思い込みをもたれていること。

わが家は、いわゆるワンオペ状態で(余談ですが、私が乳幼児期に息子たちの育児をしていたころにはワンオペという表現がなかったので、ワンオペ、とさえいえば細かい説明無しで家庭での育児状況がすぐに理解されて同情?共感?してもらえる、便利な言い回しだなと思います)、子どもへの夫の関わりが少なかったこともあり、息子たちは周囲のご期待に沿えず、バイリンガルではありませんでした。

長男を授かった当時、私は派遣社員として大手メーカーの海外部門で貿易事務の仕事をしていました。そのころは派遣社員に産休・育休制度はありませんでしたから、臨月に入ると退職しました。また仕事に復帰したいとは思いましたが、母親が無職では保育園の申込みはできません。長男は公立幼稚園に入園しました。幼稚園では保護者参加型の行事が多く、母親同士、顔を合わせ話しをすることもかなりたくさんありました。

長男はアジア人的要素の顔立ちにも関わらず、外見のその他の部分にハーフ的要素を見出し、さらに父親が外国人だと知るや、「英語しゃべれるんでしょ、うらやましい~」「お父さんに英語教えてもらえるから、英語の習い事にお金かからなくていいね」などという、悪意のない(?あったのでしょうか?)幼稚園児ママたちからの言葉に、「うちは夫の仕事が夜遅くて週末休みじゃないから、子どもが英語を身につける時間がないんだよね」と、なぜか言い訳めいたことを話してまわっていました。
パパが英語ネイティブ=子どもはバイリンガル、ではありませんから、このままでは、長男にかかるプレッシャーが大きすぎる、と心配になり、言い訳せずにはおれなかったのです。。。

日本では稀な親子関係が、どこにでもある光景

そんな親子関係、日本では、特に都市部から離れた郊外や、私の地元のような地方では、あまり身近なところにあるっていう人はまだ少数ではないでしょうか。
日本を離れた海外では、この程度のことは親子関係ではよくあることで、日本の常識からはもっとかけ離れたようなことも、たくさんあるのです。
どういうものが良好な家族関係で、どんな家族が理想の家族なんだろう、もっと言えば、自分が求めて・目指している家族のかたちは・・・なんて、改めて考えてみるきっかけになるような、いろんな家族のお話しを共有していきますね。

夫の背景と見た目の違い

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