飛び出せ!佐久間探検隊
第十回 百舌鳥梅町の地に奇蹟の建物を見た!
ドモ。佐久間探隊の隊長、佐久間ディックです。
今回は百舌鳥梅町にある奇跡の建物を訪れてみます。
最寄り駅は南海高野線の百舌鳥八幡駅。
それでは、スタートです!
百舌鳥八幡駅は複線で対向式ホーム。
1900年9月7日に誕生した時は、百舌鳥八幡祭礼時に営業の臨時駅だった。
通年営業になった時期は不明。
それぞれの南端に小さな駅舎がある、関西私鉄にはよくあるタイプの駅。
かつては東側の駅舎はなく跨線橋で連絡してたが、
2012年1月5日に東側駅舎が新設された。
西へ細い路地を向かう。
あえてクルマが走ってない時に撮影してるが、
結構クルマの通行量は多い。
道路の幅は、クルマがすれ違うのがやっと。
そこに歩行者と自転車も結構な数。
朝晩のラッシュ時には、危険を感じる時もある。
駅から少し歩くと、完全な住宅街になる。
しかし通行量は多いまま。
普段は地味なこの道も、百舌鳥八幡宮の月見祭の日には姿を変える。
多くの人々が道路を歩き、祭の空気に染まる。
夜になると飾られた提灯の明かりで、道路は照らされる。
この交差点から先は、西行きの一方通行になる。
探検隊は交差点を右折した。
右折した先の風景。
やはりここも住宅街の中である。
しばらく進むと、左手に駐車場が見えてくる。
駐車場の奥から、突然視界に洋館が現れてくる。
ここが奇跡の建物、旧是枝近有邸なのである!
1931年に年に建てられたこの建物、建築家が設計した建物ではない。
医師であった是枝近有氏が自ら設計し、
彼の患者でもあった宮大工の村田蔵元氏が施工したもの。
石造りのように見えるが、実は木造4階建て。
壁に人造石を貼り付けてるのである。
施工当時は相賀池という大きなため池があって、
その池に突き出た半島の先端に建っていた。
後に池は埋め立てられたが、建物は今でも当時の雰囲気を残している。
2002年2月14日、登録有形文化財となった。
著名な建築家が設計したものではないのに美しく、
今も当時の姿を保っているのは正に「奇跡」としか言いようがない。
4階のベランダ部分。
丸みを帯びた手すりの装飾が美しい。
2階の窓上部にある装飾。
かなり手が込んでいる。
外観で目立つ柱の上部。
こちらにも手の込んだ装飾が施されている。
看板があることからわかるように、
この建物は現在でも医院として使用されている。
予約制のようですが。
北側に回って柱を見てみる。
古代ギリシアのコリント式に範を得た、柱の膨らみが良くわかる。
この建物を目にすると、「圧巻」の一言であった。
小規模ながら締まっていて、美しいのである。
探検隊は後ろ髪を引かれる思いで、この地を去った。
願わくば、いつまでも眺めていたい名建築である。
いつまでもこの地で美しい姿を見る事が出来ますように。
「百舌鳥梅町の地に奇蹟の建物を見た!」
おわり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?