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尊敬する人物

その1 John Britten


それは今から30年近く前、1993年ごろの事でした。

雑誌「Clubman」の読者だったんですが、

アラン・カスカートさんのレポート記事に目を奪われました。

あるレースバイクのレポートだったのですが、

そのバイクは異形の存在でした。

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まず普通は必要不可欠のメインフレームがない!

リヤサスがエンジンの前についている!

ホイールやスイングアームがカーボンファイバー製!

ラジエーターがシートの下にある!

フロントのサスペンションはガーターフォーク!

それまでのバイクの概念を覆す、強烈な存在でした。

コレで速くなければ、ただのゲテモノです。

しかしデイトナサーキットのバンクの最上段を走り、

当時最強のワークスドゥカティをあと一歩まで追い詰めた

恐るべき性能のバイクでした。

その名はブリッテンV1000。

このバイクには、さらに信じられないエピソードがありました。

ジョン・ブリッテンさんと数人の仲間で作り上げたバイクなのでした。

バイクが発明されて僅かの時期じゃないんですよ。

普通はメーカーが威信を掛けて、バイクを作り上げる時代です。

何十人、時には何百人が力を合わせるモノです。

それを自身と数人の仲間でやり遂げるなんて。

しかも第一級の性能を持ったバイクを。

ジョン・ブリッテンさんはその時から自分のヒーローになりました。

インタビューで彼が明かすには、

全て自分でやってるから思い通りに出来る

自分でやってるからお金もそんなに掛からないよ

本業は建築家なんだ

とのこと。

彼はプロのバイクエンジニアじゃなかったんです!


それからは雑誌に彼のバイクが乗るたびに、即購入。

マン島TTでは成績を残せなかったけど、

1995年にはBEARSのワールドチャンピオンになりました。

しかしそれとほぼ同時期の1995年9月5日、彼は亡くなりました。

死因はガンでした。

カーボンファイバーの部品製造、エンジンのアルミ鋳造。

防毒マスクをしてるとはいえ、カラダには良くない作業です。

それを一人で全部やってたんだもの。

癌になってもおかしくない、むしろ当たり前です。

残された家族と仲間たちは残ったバイクでレースを続けましたが、

それも数年後には活動を終えました。

1998年、筑波サーキットにブリッテンV1000がやって来た時の映像。

21:45からブリッテンV1000が走るパートとなってます。

正直、筑波では狭いようですね。

でも怪物の片鱗は見せていると思います。

映像を見て改めて思うのは、彼の凄さ。

本物の天才だったと思います。

そして、何よりバイクが好きな男であったことも。







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