飛び出せ!佐久間探検隊
第八回 知られざる名峰、蘇鉄山登山に挑む!
ドモ。佐久間探隊の隊長、佐久間ディックです。
今回は堺の知られざる名峰、蘇鉄山の登頂に挑戦してきました。
スタート地点は堺駅南口。
今の堺駅の入口とは離れてますが、高架になる前はここが堺駅でした。
歴史的経緯は、こんな感じです。
南海本線開通時は、別の場所に堺駅がありました。
1912年に阪堺線の支線が宿院から大浜海岸まで開通すると、
道路の南に龍神駅が出来ました。
乗り換え用の為です。
関西の一大観光地だった大浜公園への乗換駅として竜神駅は栄え、
1945年の堺大空襲からの復旧時に、堺駅は貨物駅になりました。
1955年の線形改良で堺駅と竜神駅は統合され、
新生堺駅がこの地に誕生しました。
以来高架化工事が完成する1985年までの30年間、
ここが堺駅だったのでした。
大きな道路に出てみる。
ここはフェニックス通りと呼ばれる、国道26号線の一部です。
目の前に南海本線の高架があります。
高架の下を潜り、先へ進む。
フェニックス通りの名の通り、道路にはフェニックスが植えられている。
すぐに大浜北町交差点に到着する。
大阪市内からやって来た国道26号線は、この交差点を右から手前に曲がる。
交通の要所とだけあって、クルマの通行量はかなり多い。
大浜北交差点の先は、やや寂しい感じになる。
探検隊はさらに先へと進む。
次の交差点には、煉瓦造りの門が。
かつて関西にその名を轟かせた、大浜公園である。
探検隊が目指す蘇鉄山も、大浜公園の中に存在する。
大浜公園に到着。
大浜公園の開設は1879年。
当初は眺望がウリの料亭が並んでいた。
坂田三吉と関根金次郎が対局を行った地でもあった。
転機は1903年。
第5回内閣勧業博覧会の第2会場になり、堺水族館が開業。
堺水族館は博覧会終了後は市営となり、
巨大な水槽を擁して「東洋一の水族館」と称された。
1913年には大浜潮湯が開業。
潮湯とは海水を湧かした銭湯。
海水だからミネラル分があるため、昔から肌に良いとされてきた。
現在でもここより少し南の出島に、湊潮湯が営業している。
栄華を極めた大浜公園も、太平洋戦争で閉鎖された。
戦後は再開するものの、埋め立て地造成による海水浴場の閉鎖、
第二室戸台風による水族館の閉鎖により、
今はひっそりとした公園になっている。
大浜公園の案内図の一部。
探検隊が目指す蘇鉄山は、11番の場所。
ちなみに5番の猿飼育舎は、
2008年に飼育されてる猿がメタボという事で話題になった。
園内へ入り、蘇鉄山を目指して進んで行く。
この日は土曜日の昼過ぎであったが、公園内を行く人は少ない。
道の途中にあった、大阪窯業煉瓦工場之跡の記念碑。
公園の近くにあった煉瓦工場を記念したもの。
明治になって近代化が進むと、煉瓦造りの建物が増え、
煉瓦の需要が増大した。
が、関東大震災で煉瓦造りの建物の被害が甚大であったため、
その後建築の主流は、鉄筋コンクリートに取って代わられた。
記念碑に別れを告げ、探検隊は蘇鉄山へ進む。
目に飛び込んできた立派な記念碑は、明治天皇御駐蹕之跡。
先程触れた第5回内閣勧業博覧会に、明治天皇が来られた際の記念碑。
かなりの迫力である。
蘇鉄山へと探検隊は進む。
ん?あれは?
ついに探検隊は蘇鉄山の登山口に到達した!
が、まだ登山口に到着しただけ。
厳しい登頂は、これからなのだ。
探検隊は気を引き締めなおした。
探検隊は登頂を開始した。
必死の探検隊をあざけ笑うかの如く、
山は厳しい表情を見せる。
蘇鉄山の登山道なのに、何故かクロマツが探検隊を出迎えていた。
山のヌシ、蘇鉄の先兵ということか。
登山道の中腹。
ビバークしようか迷ったが、探検隊は意を決して先へ進んだ。
頂上まではあと少し。
無酸素登頂の為か、探検隊の額には汗がにじむ。
頂上に到着した!
探検隊はついに蘇鉄山の登頂に成功したのだ!
改めて山頂を眺める。
蘇鉄が探検隊を出迎えている!
探検隊の目には歓喜のあまり汗以外のものが流れる。
蘇鉄山は1879年、大浜公園開園時に築山として整備された。
1885年に蘇鉄山そばにあった御蔭山の山頂に一等三角点が設置された。
三角点とは測量の際、基準となる点。
山頂などに設置される。
1939年、御蔭山の切り崩しが決定し、
一等三角点は蘇鉄山の標高6.84メートルの地点に移設された。
以来、蘇鉄山は一等三角点を持つ日本一低い山なのである。
2000年に国土地理院より山名が認定されて。公式に認められた。
現在は標高6.97メートルの地点に、一等三角点は移設されている。
これがその一等三角点。
日本一だけあって、誇らしげだ。
探検隊が間違いなく、蘇鉄山山頂に足を踏み入れた証明。
改めて山頂付近を見渡してみる。
蘇鉄もあるけど、やっぱりクロマツが多いなぁ。
山頂付近から見下ろした下界のようす。
今日は雲海もなく、麓が見渡せる。
下山しての帰途、蘇鉄山の南側に現れたもう一つの登山口。
探検隊はこちらを「南方ルート」と呼ぶことにする。
南方ルートは厳しい勾配のようだ。
探検隊は既に疲れていた。
このまま無理に登頂を続ければ、遭難の可能性もあるだろう。
探検隊は泣く泣く、南方ルートからの登頂を断念した。
なぁに、無事生還さえすれば再登頂の機会もあるだろう。
探検隊はその日が来ることを信じて、蘇鉄山を後にした。
「知られざる名峰、蘇鉄山登山に挑む!」
おわり