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飛び出せ!佐久間探検隊


第二十一回 京の都にあったもう一つのお城は今!


ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。

京の都のお城といえば、思い浮かべるのが二条城。
国宝の二の丸御殿をはじめ、豪華絢爛なお城です。
しかし、もう一つお城があったんです。
その名は伏見桃山城。
近鉄系の遊園地、

「伏見桃山キャッスルランド」

の目玉で、コンクリート製の模擬天守がありました。
しかし遊園地は2003年1月末に惜しまれつつ閉園。
それから約19年。
伏見桃山城は今どーなってるか、探検隊は調査を開始した。
出発地は京阪丹波橋駅の北口。
探検隊は意気揚々とスタートした。

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改札を出たところにある看板。
伏見桃山城は①出口。
探検隊は右折した。

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年季の入った通路を進む。
すぐにカーブに差し掛かった。

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①出口を出たところ。
探検隊は右折した。

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右折すると現れるのは、下町の風情溢れる通り。
「ここが京都」という感じは希薄だ。

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道路が盛り上がってるのは、近鉄京都線の上を跨ぐから。
京阪と近鉄の丹波橋駅はすぐそば。
かつて(近鉄京都線が奈良電だった時代から)は、
乗り入れもしていた。
京阪の駅北にある電留線は連絡線の名残り。

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近鉄を跨いだ先には、京都教育大学の付属の学校が。
幼稚園、小学校、中学校がワンセット。
通学時間になると、人が溢れそうになるんでしょうね。

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暫く歩いた先にあるのは、伏見区桃山長岡越中南町の交差点。
京都から奈良を経て和歌山までの国道24号線との交差点になる。
さすが主要道路とだけあって、結構クルマが走っている。

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交差点を超えると、緩やかな坂道が続く。

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そうこうするうち、踏切が。
JR奈良線の踏切である。
と言っても奈良線は京都駅から木津駅までなので、
奈良県内を走ってないのだが。

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踏切の名は第二御陵踏切。
非電化時代列車の本数は少なかったけど、
現在ではかなりの本数の列車がここを通る。

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その為現在は複線化工事の真っ最中。
手前の線路は複線化後に使用される予定。
現在は奥の線路で全ての列車が運行されている。

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踏切を過ぎると登り坂が続く。
かなりの高さを上るみたいだ。

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坂を上ると、道路が歩道に変わる。
この先には桓武天皇陵がある。
そう、平安京遷都を実施し、京の都を開いた天皇だ。
それ故かこの付近には宮内庁管理の土地も多い。
少し歩けば明治天皇陵もある。
探検隊はここで右折した。

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右折すると、閑静な住宅街が。
心なしか一軒は大きめのように感じる。

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住宅街の中の交差点。
探検隊はここで左折した。

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曲がった先も閑静な住宅街。
「本当に道は合っているのだろうか?」
疑念が頭を過り、念の為にと地図を見直す。
どうやら道は間違っていないようだ。
ほっと一安心して坂をまた上り始める。

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道はやがて右へとカーブする。
しかしここら辺りに住んでたら、
通勤通学や買い物で足は鍛えられるだろうなぁ。

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カーブした先には、T字の交差点が。

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迷わず探検隊は左折した。

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左折した先にも、また坂道が。
こうも坂道が続くと、辟易としてくる。

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坂を上ると、大きい道に出くわす。
かつてこの道は、伏見桃山キャッスルランドへのバスが走ってたそうだ。

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暫く歩くと、茶色の門が見えてくる。

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ここが伏見桃山運動公園の駐車場。
かつてはキャッスルランドの駐車場だったはずだ。

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門には立派な額が掲げられている。
かつてはここに

「伏見桃山キャッスルランド」


と書かれた額が掲げられていたのであろうか。

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門に貼られていた案内看板。
朝が意外と早いのには驚かされる。

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ここは広域避難場所にも指定されている。
結構な広さなので、もしもの時はかなり役に立つだろう。

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徒歩の場合はこの小さな門から出入りする。
場所は駐車場の門の左隣。
なかなか良い雰囲気を醸しだいている門である。

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この門にも立派な額が掲げられている。

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門を潜ると、舗装された小道が。
砂利の方が趣はあるが、ここまでで疲れた足には舗装の方が有難い。

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少し歩くと見えてきたのが、城門。
この門がどうやら伏見桃山城の大手門であるようだ。

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しかしこの門、かなりの大きさである。
写真を撮影するのに、かなり遠ざかる必要があった。
駐車場がガラガラだったので簡単だったけど、
混雑していたらかなり難儀しそうである。

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門の前にあった案内看板。

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扉こそないが、かなり立派な大手門の出入口。
なんか今にも馬に乗った前田慶次が飛び出してきそうだ。

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門に掲げられた立派な額。
古びた具合が、良い味を醸し出している。

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出入り口の右に、残念な事を知らせる看板が。
遊園地だった時代は天守の中に入る事が出来ていたが、
現在では耐震基準を満たしていないので非公開となっているそうだ。

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門を潜り、姿を現した伏見桃山城。
外観は綺麗で、ガキの頃にCMで見た風景そのままである。
伏見桃山城は天守・小天守・楼門の三つの建物からなり、
林原美術館所蔵の洛中洛外図を参考に設計されたそうである。

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小天守。
三重四階の建物。
小天守と言っても、かなりの大きさである。

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こちらは天守。
五重六階の立派な建物。
小天守もそうなのだが、とても鉄筋コンクリート製には見えない。
それ程立派な天守である。

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天守の傍に控えている楼門。
残念ながらこちらも間近で見る事は出来ない。

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東側から見た天守。
看板や木からその大きさが伺えると思う。
それ程大きな建物なのである。
先程の看板通り現在内部は立入禁止であり、
最上階からの風景を見る事が出来ないのは甚だ残念だ。
さぞや絶景だったに違いない。

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天守の周辺にはあらゆる場所に立入禁止の標識と、警戒ロープが。
あまりに多過ぎ、かつ目立ち過ぎで景観の雰囲気を損ねている。
景観に関して一過言を持つ、京の町とは思えない処置だ。
仕方ないと言えばそうなのかもしれないけれど。

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天守に近づけるのはここまで。
石段を上った先に、楼門があるのだが。
致し方あるまい。
探検隊はこの先への探検を断念した。

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こうして伏見桃山城の探検は終了した。
遊園地だった頃の華々しさはないけれど、
良い雰囲気の公園
だなぁと探検隊は感じたのであった。
唯一残念に思ったのが、この公園の立地。
出発地である丹波橋駅からは、かなりの高さを上っている。
遊園地が閉園となったのも、これが一因かもしれない。
しかし上るだけの価値はあった、
探検隊はそう確信して大手門を再び潜ったのであった。

「京の都にあったもう一つのお城は今!」

おわり。

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