飛び出せ!佐久間探検隊
第十八回 豪華な通勤電車とバスだけど電車の旅
ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。
阪和線の鳳駅からは、隣の東羽衣駅までの支線があります。
そこに走る電車、普通電車なのですが超豪華なのですよ。
その電車と、近くにバスだけど電車という不思議な乗り物がありますので、
ついでに乗ってみました。
鳳駅がスタート地点になります。
改札に入ったら右折して、奥の階段を降ります。
支線のせいか、阪和線本体とは違うホームになります。
ホームに降りました。
真っ昼間ですが、そこそこ人がいます。
折り返し東羽衣行きになる電車がやってきました。
最新鋭の225系5100番台です。
到着。
行き先の表示は、既に東羽衣に変わっています。
乗車してみましょう。
車内に入ると目立つのが、このステッカー。
そーです。
なんと無料のWi-Fiがついてます!
座席を見ると、2人掛けと1人掛けの転換クロスシートです!
1駅だけの支線ですが、関空快速や紀州路快速と同じクオリティ。
何と贅沢な事でしょう!
しかも先頭車には車いす対応の立派なトイレまで!
正に至れり尽くせり。
東羽衣までの運賃は130円で、追加料金は不要なんですよ!
さらに車内を見上げると、案内はLCDとなってます。
右側は広告スペースに。
程なく電車は出発し、線路は高架になって国道26号線を渡ります。
国道26号線を渡ると、もうすぐ終点の東羽衣駅になります。
東羽衣駅に到着しました。
乗車時間は、わずか3分間。
ワンマン運転なので、運転士さんはすぐに反対側へ移動します。
何故この路線の電車が贅沢なのかといえば、
ここがワンマン運転だからなのです。
阪和線の他の普通電車にもトイレと転換クロスシートはありますが、
Wi-FiとLCDは全ての電車にありません。
ついてない電車もあります。
しかしワンマン運転が出来るのは、この225系5100番台だけ。
試運転で一度だけ入線した事があるので、
223系の体質改善車も可能かもしれませんが
だから羽衣支線の電車は、こんなに贅沢な仕様なんです。
3分間の贅沢を味わった後は、
バスだけど電車という不思議な乗り物に乗ってみます。
先ずは東羽衣駅の改札を出ます。
改札を出たら、右側にあるデッキへ進みます。
デッキはそのまま南海電鉄の羽衣駅へと続いています。
屋根があるので、雨に濡れなくて済みますね。
通路から見えるのは、南海本線。
今年の5月に上下線とも高架になりました。
それまでは地上で、踏切があったんです。
その踏切には昔話が。
阪和線の鳳駅から東羽衣駅の区間は、
戦前に海水浴客を運ぶために開業しました。
和歌山へより先に開業するほど、重要な路線でした。
しかし海水浴場は南海本線の向こう、踏切を渡った先にあったのです。
そこで南海は特急でも踏切を徐行して、
踏切が閉まっている時間を少しでも長くしました。
南海と阪和線(当時は阪和電鉄)のライバル争いを物語るエピソードです。
ちょっと高低差はありますが、通路を進んでいきます。
エスカレーターの左隣を進みます。
まぁエスカレーターに乗っても、羽衣駅に行けますが。
この通路は東羽衣駅と羽衣駅を結んでるのですが、
東羽衣駅~違うビルの廊下~羽衣駅といった構成です。
そのため、それぞれに高低差があります。
エレーベーターはついてるのですがその場合、
東羽衣駅のエレベーター→間のビルのエレベーターで1階へ→
羽衣駅のエレベーターで再び2階へ、となります。
もうちょっとどうにかならなかったのかなぁ?
その元凶の階段。
ここにエレベーターがあればねぇ。
階段を降りると、羽衣駅に到着です。
高架化されて綺麗になりました。
これから乗るのはバスだけど電車なので、券売機で切符を買います。
バスだけど電車なのは、高師浜線。
ここ羽衣駅から高師浜駅までの路線です。
本来はちゃんと電車が走ってたのですが、
高架化工事をするため今年の5月22日から3年間代行バスになったんです。
ですから走ってるのはバスなんですが、
あくまで電車の代行なので扱いは電車になります。
災害や事故で不通の際には代行バスが運行されますが、
工事で3年間という長期間は珍しい例です。
昔、隊長のオヤジの田舎には士幌線という路線があって、
田舎で乗客がいないから末端区間は代行バスでした。
終着駅の地区には、家が4件しかなかったし。
代行バスと聞くと、どーしてもそれを思い出すのでした。
改札機に切符を通します。
これは普通の駅と一緒。
構内に入ると、案内の看板がお出迎え。
従って左折します。
ここが高師浜線代行バス乗り場への入口。
3年間の期間限定なので、質素な造りとなってます。
まるで秘密基地の入口みたい。
通路の先には、精算機と改札機があるようです。
手前にこんな案内が。
途中の伽羅橋北バス停と伽羅橋南バス停で降りる場合と、
終点の高師浜バス停で降りる場合は改札機が違います。
この改札機を通すと清算が終了した事になり、切符は回収されます。
途中から乗った場合は、降車時に料金を入れる事となります。
これが「バスだけど電車」の高師浜線代行バス。
特に他のバスと変わった感じはありません。
発車時間までしばらくあるので、運転士さんは休憩中のようです。
乗車します。
途中の伽羅橋駅ですが、バスは道路を走るので位置がかなり変わってます。
そこで代行バスのバス停は伽羅橋北と伽羅橋南に分割されてます。
利便を図るためですね。
改札機で精算したので運賃の表示はなく、支払い方法の案内となってます。
発射を待つ車内。
乗客6人を乗せて、バスは出発しました。
昼間で道が空いてたので、10分ほどで終点の高師浜バス停に到着。
臨海スポーツセンターの駐車場の一角になります。
そういえば工事が始まって3か月ほど。
休止となった高師浜駅や伽羅橋駅、途中の風景に変化はあったのかな?
近くなので歩いてみましょう。
北へと進路を進みます。
ほどなく横断歩道を渡り、小さな塀にある階段を渡ります。
この小さな塀、実は防波堤の跡なのです。
元々ここら周辺は遠浅の浜が多く、関西でも屈指の海水浴場もありました。
ところが臨海工業地帯の造成で海は埋め立てられ、
防波堤だけがこうして残ったのでした。
典型的なトマソン(不動産に付着して美しく保存された無用の長物)ですね。
閑静な住宅街を進んでいきます。
しばらく歩くと、駐車場の先に開けた場所が。
ここが高師浜駅です!
高師浜駅は1919年10月25日、伽羅橋駅‐高師浜駅間延伸と共に開業。
1970年3月1日に高架化された際、駅舎は取り壊されるはずでした。
しかし地元の熱意により、駅舎は引き続き使用される事になりました。
駅名の看板は裏返しになってます。
休止期間中に日焼けするのを防ぐためでしょうね。
駅舎の特徴となっている、ステンドグラス風の樹脂板。
以前は本物のステンドグラスでした。
諏訪ノ森駅旧駅舎や蛸地蔵駅駅舎にも同様にステンドグラスがあり、
南海本線の駅舎の一つの特徴でした。
しかし2020年3月、高師浜駅では高石市からの申し出により、
ステンドグラスは外されて樹脂板となりました。
外されたステンドグラスは保存・活用されるそうです。
現在休止期間中なので駅舎の入口は閉鎖され、
代行バスの案内板が設置されています。
駅周辺の観光案内図。
最近のブームにより、工場夜景がプッシュされてますね。
そういえば高師浜線では高石市市制50周年を記念して、
2016年10月8日から2020年9月16日まで、
ラッピング電車の「走る!工場夜景号」が運行されてました。
羽衣駅の高師浜線ホームに停車する、「走る!工場夜景」号。
ヘッドマークもついてました。
2016年10月16日撮影。
羽衣駅に到着直前の、「走る!工場夜景」号。
模型が高石市のふるさと納税返礼品になった事も、話題になりました。
2016年10月16日撮影。
観光案内図のとなりにひっそりとある看板。
浜寺俘虜収容所跡を示す看板です。
ここ浜寺の地には、日露戦争の時には捕虜収容所がありました。
区画が碁盤の目のようになってるのも、その名残。
待遇はかなり良く、電灯が完備されていたそうです。
周辺の村では、電気がなかった村もあったのに。
また捕虜の中にはユダヤ人のヨセフ・トランペルドールさんもいました。
彼は待遇の良さに感激し、
日本がロシアに勝てたのは日本人の心にあると思いました。
そして、
「日本のようなユダヤ国家を作ろう」
と帰国後にパレスチナに渡って運動を始めました。
しかし志半ばで彼は銃撃により亡くなりました。
最後の言葉は
「アイン・ダバル! トフ・ラムット・ビアード・アルゼヌ」
(俺に構うな! 国のために死ぬほどの名誉はない)
だったそうです。
この「国のために死ぬほどの名誉はない」は、
浜寺で彼が日本人兵士から聞いた言葉でした。
今日、イスラエルでは彼の事を「建国の志士」として尊敬されてます。
さて、続きとして羽衣駅まで歩いてみたのですが、
枚数がまだまだありますので、次回に致します。
「豪華な通勤電車とバスだけど電車の旅」
おわり。
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