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#14 幼少期の生い立ち

毎日ネタ収拾のためアンテナを張っていますが、ここらへんで一息。

毎日noteのダッシュボードを眺めており、たくさんの方がnoteを閲覧してくれています。お読みいただいている方、本当にありがとうございます。

そんなみなさんに、僕という人間をもう少し深く知ってもらって、さらにnoteを読んでほしいと思い、自己紹介を兼ねて記述していきたいと思います。



時は1991年。

母の地元である秋田県で生まれ、父の転勤に伴いすぐに盛岡に引越し。幼稚園生になる3歳前に東京に定住し今に至ります。

当時の僕はかなりの引っ込み思案で、人前に出ることがとにかくいや、さらに人の目を見て話せないという極度。幼稚園の入園面接のときには緊張と照れにより一言も言葉を発することなく面談が終了するという始末。でも無事入園できました。

今でも鮮明に覚えていますが、小学生に上り2年生の時、クラスのみんなの前でリコーダーの発表会がありました。とにかくそれがイヤでイヤで、なんとか休めないか思案をした少年が考えた末の行動は、前日に風邪をひいてないか脇の下に体温計を入れることを20回くらい繰り返していました。冬でも半そで短パンの少年はもちろん風邪をひいているわけがなく、ひたすら体温計と格闘する奇行を母に諭され、翌日の発表会に行ったわけですが、終わってみればなんてこともないんです。なんならやり切った感があって清々しい気持ち。

そう、この少年、いつだって嫌なことがあるとなんとか逃げ出したい気持ちが先行してしまう少年だったんです。

小学3年生の時には、周囲の友達からの誘いと、父がアマチュアで野球をやっていた影響もあり、地元の野球チームに所属。以後高校3年生まで丸坊主で白球を追いかける日々になるわけです。

高校は千葉県の八千代松陰高校。お笑いトリオ・ジャングルポケットの齋藤さんの出身校です。近年、県内で頭角を現しており、昨年夏の大会では準優勝、プロも排出しています。

さて、当時のぼくはというと、1軍と2軍をいったりきたりする微妙な選手。そのうえグラウンドの裏にて数人でサッカーをしているところを監督に見つかり謹慎処分をくらう所業。謹慎になると、約2週間も練習をさせてもらえず、毎日グラウンド外の草むしりをすることになります。

結果、高校最後の夏は、ベンチに登録できる20人から漏れ、アルプススタンドでその夏を終えることとなりました。

先述にある、いつだって嫌なことがあるとなんとか逃げ出したい気持ちが先行してしまうという点、この少年が高校生になってもその気持ちはありましたが、高校野球においては逃げ出せないんです。どれだけキツイ練習があっても、終わらないと帰れないんですもん。

諦めて練習をやっていくうちに、その気持ちは次第に変化を遂げ、おかげさまで「やってやる」に変わりました。

そうです、あのリコーダーの発表会が終わったあとの清々しい気持ち、あれを覚えてしまったんです。

練習が終わったあとにみんなでバスと電車を乗り継いで帰るわけですが、そこで労を労いあったり、あれがきつかった、でもこれは楽しかった、とか色んな話をしていました。きっとこれは「苦」を共にした友達としか共有できない世界、でもその世界があったおかげで、嫌なことに立ち向かうことができる少し逞しい少年になりました。


このあたりから、今の自分が形成されてきたと感じています。


次回は大学編をメインにお送りします。










ちなみにこの少年、あんなに引っ込み思案だったのに、高校2年生の時に全校生徒の前でモーニング娘。を踊りました。


あと、昨年は結婚式で2回も踊っています。


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