安井息軒《時務一隅》(五)前段a
18-01 〈洪範〉五福の中、「富」を第二に置き候ふ。仁君賢長と雖も、富まざれば、其民を救ふ事能はず、財用乏しく候へば、種々の惡政生じ、國家の衰微と相ひ成り、終には親離れ衆叛き候ふ儀、古今同病に御座候ふ。
意訳:儒家経典である《尚書・洪範》は、「五福」の中で「富」を第二に置いています。いかに恵み深い君主(仁君)や賢明な首長(賢長)といえども、〔国家が経済的に〕富んでいなければ、その人民を救ふ事はできず、予算(財用)も乏しいですので、種々の失策(惡政)が生じ、国家が衰微していき、最後には親族は離反し家臣(衆)は叛乱を起こしますことは、古今同病でございます。
余論:息軒による財政再建論の導入。
一般論として「儒家は道徳ばかり言って、経済活動を否定している。理想主義で現実を見ない」という誤解があるようだが、そんなことはない。中国思想において、為政者の第一の責務は人民を飢えさせない事であって、それは儒教からマルクス主義へ宗旨変えした今も変わらない。
ここでは、財政が悪化すれば、外敵の侵略を待たずして、国家は自壊することを「古今同病」という。確かに、我々はそれを80年代のソ連を通じて学んだ。
18-02 然れども人君富国の道は、商賈の其の家を富ますとは、雲泥の相違に御座候ふ。商賈は人を損し候ひても、己を益する事は、務めて此を行ひ候ふ。其の權輕く、其の事小に候ふ間、其の害も甚だしからず候ふ。人君として斯道を行ひ候得ば、「財聚れば則ち民散ず」の道理にて、終には國家を失ふに至り候ふ。故に人君の國を富まし候ふは、賢を撰び、能を擧げ、節を制し、度を愼むを本と致し、其の枝葉に至り候ひては、緊要の筋多端に御座候ふ。
意訳:しかしながら君主(人君)の富国の方法(道)は、商人(商賈)のその商家を富ます方法とは、雲泥の違いがございます。商人(商賈)は他人を損させましても、自分の利益になる事は、仕事として行います。商人は権勢も軽く、やっている事も規模が小さいですので、その害も大したことはありません。しかし君主として、この〔商人のような、資産を増やすためなら人民の貧苦は厭わないとばかりに、重税を課す〕方法(道)を行いますと、《礼記・大学》の「政府に富が集中すれば、人民は逃散する」という道理によって、最後には国家を失うにいたります。
だから君主が自国を富ませますには、きちんとした人物(賢)を側近に選び、有能な人材を(能)を官吏に推挙し、日常生活から節制して、度を慎むことを根幹にして、それから〔官僚制度の整備、法律の改正、賞罰の実施、経済政策といった〕枝葉の事案にいたりますが、差し迫って必要な手立て(緊要の筋)はあれやこれやと多い(多端)です。
余論:息軒による財政再建論の導入の続き。
国家が、民間企業と同じ発想で利益追求をしてはならないと釘を刺す。民間企業であれば、利益追求のために他に損害を及ぼすことも辞さないし、そうしたところで(江戸時代では)企業の規模もたかが知れているので、無視しても構わないが、国家が同じ方針で資産の増大を図ってはならない。
では、富国はどのようにしてなされるべきか。息軒は《救急或問》で富国政策を問われて、「其要ヲ摘ンデ之ヲ言ヘバ修身明德ヲ以テ本トシ、舉賢使能ヲ以テ用トシ、然ル後ニ官制ヲ定メ、法度ヲ正シ、材ヲ生ジ用ヲ節シ、之ヲ助クルニ賞罰ヲ以テス」と説き始めているが、大略同じ意味であろう。
19-01 古人の言に、一利を生ずるは、一害を除くにしかずと申し候。利を生ぜんと致し候へば、必ず上下の間に、害を生ずる者に候ふ。唯だ其の害を宗と致し、除き候へば、利は自然に其の中より生じ申し候ふ。
意訳:〔チンギス・ハーンに仕えた耶律楚材という〕昔の人の言葉に、“一利を生ずるは、一害を除くにしかず”(新しい利益を一つ生み出すより、これまであった害を一つ除去する方がよい)と申します。新たな利益を生み出そうと致しますと、必ず政府と民間の間に新たな障害(害)を生ずるものです。ただ今あるその障害(害)を中心といたしまして、それを除きますと、利益は自然とその中より生じ申し上げます。
余論:息軒の「改善」に対する考え方。《救急或問》にも全く同じ話がある。
日本のスポーツ指導における「長所を伸ばすより弱点を無くすことばかり考える」を思い出すが、それまで誰も思い付かなかった画期的なサービスを提供するより、みんながずっと不満に感じてきた点を修正してくれたほうが、確かにいいと思う。
19-02 又た費を省くは、事を省くにしかず、事を省くは、吏を省くに如ずとも申し候ふ。兎角役人多く候へば、事相ひ增し、事相ひ增し候へば、費相ひ增し申し候ふ。清廉の吏は、古今共に得難き者に候ふ故、吏は其撰を精(くは)しくして、數少なきを善と致し候ふ。馬痩せ候ふ故、別當を置き候へば、馬益々痩せ候ふと申す事、誠に末世の風俗を、能く言い取り候ふ詞に御座候ふ。
意訳:また〔《資治通鑑》には〕“経費を省くより、事業を省くほうがいい。事業を省くより、官吏を省くほうがいい”と申します。兎に角、役人が多いですと、〔役人を遊ばせておくの勿体無いからと、不必要な〕事業が增え、事業が增えますと、経費が增え申し上げます。
〔そもそも安心して仕事を任せられる〕清廉潔白な官吏というものは、今も古も獲得が難しいですから、官吏は注意して選り抜き、定員数が少ないのを善しといたします。“馬が痩せましたからといって、〔世話をさせるために〕馬丁を配置しますと、〔馬丁が馬小屋から引き出してくれて便利だからと言って、みんなをこれまで以上に馬を使うようになり、働きすぎで〕馬がますます痩せます”と申す事は、まことに末世の社会風潮をよく言い表しました言葉でございます。
余論:息軒による緊縮財政のための、公務員定数削減案。同じ話が《救急或問》にも見える。
痩せ馬の故事は未詳。識者の教を待つ。
19-03 且つ吏員が少なく候へば、其の官に應じ候ふ人材も得易く、小祿の者に役料多く與へ候ひても、吏員多き時よりは、役料少なく、人材御撰びの道も、少しは廣く相ひ成り申し候ふ。先づ第一に御手を付けられ、役人御精撰に成られるべきは、御勘定局に御座候ふ。天下の財本、此の局に歸し候ふ間、清廉才幹の吏、出入の大計を持し、財を用ふるの法立てず候ひては、國家富有の期、之れ有るまじく候ふ。
意訳:そのうえ官吏の定員が少ないですと、その官職に適した人材も獲得しやすく(=定員数が多いと、人数合わせてのために不適格者まで雇わざるを得なくなり)、俸禄が少ない御家人には〔役務に励むよう〕役職手当を多めに支給しましても、官吏の定員が多かった時よりは、支給する役職手当の総額は少なくなり、人材をお選びになる道も少しは広くなり申し上げます。
それで、まず第一に手をお付けになられ、役人をご精選に成られるべきは、会計事務局(勘定局)でございます。日本社会の資本(財)の大本は、管轄がこの事務局に帰属しますので、清廉で才能ある官吏が国家予算の出入納という大切な計画を管轄し、その上で国家予算(財)を運用するという法令を立てませんと、国家に予算が潤沢な(富有)時など絶対にないでしょう。
余論:安井息軒による公務員改革案。定員数を減らすことで、不適格者が混じらないようにする。また経理担当は待遇を良くする。同じ話が《救急或問》に見える。