安井息軒《時務一隅》(三)b

08-01 小普請衆は、恒祿御座候ふ故、賞罰の法正しく相ひ成り、撰擧の道行はれ候得ば、御教導如何程も行き屆き申すべく【①】候。
 是れ迄の處、頭支配たる人、自身の組を回護(かば)ひ、火付・盗賊・親殺しの類御座候ひても、種々に申し掠め、其の身を殺さず、其の家に庇付申さず候ふ樣、取り計り候ふを第一と心得候ふ故、右體の惡黨、少しも恐るる所なく、暴惡益々増長致し候ふ。

脚注:
①底本は「行屆不申」と否定文に作る。いま文脈により、「不」を「可」の誤字と見なし、「行屆可申」に改める。待考

意訳:小普請衆は、〔藩職に就いておらずとも幕府より〕一生俸禄の支給がございますので、〔上述の通り、昌平黌など教育機関ではこれまで“褒賞”だけで“罰則”がありませんでしたが、これを改めて〕賞罰の法が正しく定まり、〔上で提言した長期的な身辺調査を組み込んだ〕官吏選抜制度が行はれるようになりましたら、ご教導はいくらでも行きわたりましょう。

 〔しかし、〕これまでのところ、〔彼らを監督するべき〕小普請支配(頭支配)である人は、自分の監督下の組員を庇い立てし、彼らがたとえ放火・強盗・親殺しなどを犯すことがございましても、色々と言い繕って、彼らの身を処刑せず、また実家に閉門(庇付)せずに済みます様に取り計らうことを第一と考えておりますため、右の悪党たちは全く怖いもの知らずで、ますます乱暴で道理に外れた振る舞いをいたします。

余論:前段で息軒は、身近な問題として小普請衆(藩職を与えられていない旗本・御家人)と旗本・御家人の次男三男(家督を相続できず将来の展望が見えない若者)の二つに問題の焦点を絞った。ここでは、まず小普請衆の問題について検討する。
 息軒によれば、小普請衆が強盗や殺人を犯しても、幕府がその罪を隠蔽してしまうため、彼らはますます増長するのだという。
 昨今の「上級国民」に関する批判にも通じるし、少年法改正をめぐる議論にも通じる。


08-02 尤も三河以來忠功の家も之れ有る事故、手厚く御取り扱ひに成られ候ふ儀、忠厚の美意に相ひ叶ひ、外國の及ばざる所に御座候へ共、是れ迄二百六十年の深仁渥澤下し置かれ候ふ事故、先祖の忠功に御報ひに成られ候ふ儀、不足も之れ有るまじく、先祖忠義の心より見候はば、子孫の惡行を憎み、御上を恨み候ふ儀は少しも之れ有るまじく候。
 況(まし)て一を罰して百を戒め候ふ、御仁心より出候ふ事に候得ば、皆々相ひ愼み、行を正し、武を厲み、庶人蕃昌の基と相ひ成る事に候ふ間、此の上無き御仁政に御座候ふ。

意訳:もっとも小普請衆のなかには〔、徳川家がまだ松平姓で三河の小領主に過ぎなかった時代から仕えている〕“三河以来”の忠功の家柄の者もいることなので、幕府が彼らを手厚くお取り扱いになられますことは、〔君主が苦難の下積み時代をずっと支えてくれた古参の家臣に対して〕誠実であろうとする立派な心がけ(忠厚の美意)にも合致し、〔創業の功臣を謀殺して「狡兎死して走狗烹らる」という格言を生んだ中国のような〕外国が及ばないところでございますけれども、これまで260年間にわたって恩恵(深仁渥澤)を与えおかれましたことですから、〔将軍家が“三河以来”の〕先祖の忠功にお報いになられました件については、不足が有ろうはずがなく、〔逆に彼らの〕先祖の忠義の心より現状を見ましたなら、〔きっと自分たちの〕子孫の悪行を憎みこそすれ、御上を恨みますことなど少しも有るはずがありません。

 まして〔「一罰百戒」という〕一人を厳しく罰してみせることで、他の百人を戒めます思いやりの御心(仁心)より出ます事ですので、みんな〔過ちや軽はずみなことがないように〕慎み、行いを正し、武術に励み、庶民繁栄(蕃昌)の礎となることでありますので、〔小普請衆を処罰なさることは、実は〕この上ない御仁政でございます。

余論:前段で、小普請衆の不行状が後を絶たないのは、幕府が彼らを庇うからだと批判したが、ここでは幕府の“三河以来”に対する配慮を「忠厚の美意」と称し、一定の理解を示す。だが、やはり「一罰百戒」の精神で処断すべきだと提言する。
 これにより徳川家臣団の風紀が一新すれば、「庶人蕃昌の基と相ひ成る」といい、これこそが「この上ない御仁政」なのだという論旨は、息軒の功利主義的立場をよく示している。功利主義という言葉は、往々にして利己主義と誤解されがちだが、そうではなく公共利益第一主義というほどの意味である)
 息軒の意を汲んで解釈すれば、幕府が“三河以来”を手厚く扱うことは「創業の功臣たちの功績を忘れない」という意味で美徳であり、道徳的行為として称賛されるべきことだが、あくまで将軍家と家臣団の私的関係に留まる問題に過ぎず、為政者たる者は私的道徳の実現よりも、公共の利益を最優先すべきなのである。


08-03 然れ共罰は人心の惡む所に御座候ふ。是れ迄の弊風になれ、惡事を常と心得居り候ふ者を、俄かに正法にて御罰しに成られ候ひては、民を網する譬へに相ひ類し、御仁政とは申し難く候ふ間、行儀心得相ひ改めざる節は、家の滅亡にも及ぶべき段、前以て、三度も五度も教諭相ひ加へ、愈々(いよいよ)改めず候はば、其の節罪に從ひ、御罰しに成られ候樣致したく候ふ。

意訳:しかしながら“罰”は、人々が嫌がるものでございます。これまでの悪い風俗に慣れきって、悪事を通常のこととだと思い込んでおります者たちを、急に正法でもってお罰しになられましては、《孟子・梁恵王》に見える「民を網にかける」という譬え話と同じになり、御仁政とは申しがたいですので、“もし行儀や考えを改めない時は、実家のお取り潰しにまで及ぶ可能性がある”ということを、前もって何度も指導を加えておいて、いよいよ態度を改めないのでしたら、その時は罪に応じてお罰しになられますように、していただきたいです。

余論:処罰はあくまで手段にすぎず、目的は小普請衆の生活態度を改めさせることなので、事前に何度も”今後は方針を改め、最悪の場合、お家取り潰しもあり得る”と説明しておき、そのうえで態度を改めないものを処罰するべきだという。
 新たな規制を導入して抜き打ち的に取り締まるのは、《孟子》にいう“君主が人民を罠にかける”比喩と同じだという。
 この「民を網する譬へ」とは、「恒産なくして恒心なし」の出典となっている比喩かと思われるが、本段の文脈にすこしそぐわないようだ。小普請衆は上で述べたように「恒禄」(永世年金)があり、彼らが犯罪に手を染めるのは生活苦のためではないからだ。彼らは、たとえ金に困っていたとしても、それは贅沢や放蕩が原因であって、孟子(や息軒)が問題視している構造的な貧困によるものではない。

 息軒が留意しているのは、罰則を設ける場合、人は往々にして”好き勝手やり放題だった連中に、これまでの報いを受けさせてやるのだ!”という心理状態に陥って、罰則の本来の目的は違反者をなくすことにあるのに、「違反者を捕まえねば気がすまない」と考えがちになることだ。

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