安井息軒《時務一隅》(五)前段b
20-01 其大法は誰も存じ候、三分して一を餘して候ふ道の外に出で申さず候ふ。猶ほ委(くわ)しき法を立て候はば、四分して其の二を常用とし、其の一を不時の用に當て、其の一を儲蓄と定めたき事に御座候ふ。
意訳:〔右で「出入之大計」といった〕その重大な方法とは、誰でも存じています〔《礼記・王制》の「三年耕せば、必ず一年の食有り」という〕、税収を三等分して〔ニを使い、〕一を残して積み立てていく方法(道)以外にアイディアは出てまいりません。
さらに詳しい方法を立案しますと、税収を四等分してその二を経常費用とし、その一を臨時費用にあて、その一を貯蓄して繰越すと定めたいところでございます。
余論:息軒による財政改革案。《救急或問》にも同じ話がある。
要するに例年歳出を歳入の75%以下に抑えて、25%を繰り越すことを目標に据えること、現代風に言い直せば「プライマリーバランスの黒字化」を主張している。この方法を、《救急或問》では「邑入四分」と名付けていた。
20-02 然れども百餘年來、内外に付き夥(おびただ)しき御入費に相ひ成り、四五十年は、宮中の費別して增長致し、主計の長官も致し方之れ無く、萩原近江守が故智を襲ひ、金銀吹替等にて、度支を御凌ぎに成られ候ふ樣子に候へば、右四分して二を用ひ候ふ法、容易に行はれ申すまじく候ふ。金銀も最早悪劣の極みに至り候へば、再應御吹替の儀、成りかね申すべく、橫征暴歛は、亡國の基に候へば、決して仰せ出され候ふ筋に之れ無く、千慮萬考致し候ひても、御節儉の外、財の生じ候ふ所御座無く候ふ。
意訳:しかしながら〔、田沼意次の時代が100年ほど前になりますが〕、ここ百余年来、〔江戸城の〕内外においておびただしいご費用がお入用となり、この40~50年は〔化政文化の影響で〕江戸城内(宮中)の費用が特に増大いたし、会計局(主計)の長官もどうする方法もなく、萩原近江守重秀(1658-1713)のアイディアを踏襲して、貨幣改鋳(金銀吹替)の実施などで、どうにか〔幕府の〕財政(度支)をおしのぎになられています様子ですので、右の税収の4分の2だけを経常費用として用います方法は、容易には実行できません。現在流通している万延小判と安政一分銀(金銀)も〔これまで何度も改鋳を繰り返してきた結果、額面では同じ慶長小判に比べて金含有率が8分の1以下という〕もはや悪劣の極みにいたっていますので、もう一度改鋳することは、絶対にできかね申し上げますし、あれこれ名目を設けて強制的に重税を取り立てること(橫征暴歛)は、亡国のもとですので、決してお言い付けになれます手法ではなく、千思万考いたしましても、ご節約・ご倹約の外、幕府資産を増やせる箇所はございません。
余論:息軒による緊縮財政の提言。
財政再建を図ろうにも、幕府にはもはや貨幣改鋳も、息軒が「邑入四分」と名付ける黒字化案も、増税も不可能であり、残っているのは節約と倹約だけだという。当時の貨幣は含有する貴金属によって価値が保証されており、単純に言えば、国内の貴金属が枯渇すれば新規発行はできない。現代の紙幣や貨幣が、貴金属の裏付けなしに、ただ政府の信用だけを担保として(その気になれば)いくらでも発行できるのとは、根本的に違う。
貨幣改鋳について。日米通商修好条規によって日本市場と国際市場の交換比率にズレが生じ、外国人が銀貨を日本国内に持ち込んでは小判と交換していく事を繰り返したため、日本国内の金貨が大量に海外へ流出した。これを解消するべく、幕府は貨幣改鋳を実施した。総じて貨幣改鋳はインフレを誘引するため、対外輸出による生活物資の不足とあいまって、未曾有のハイパーインフレーションを引き起こした。この物価高騰は息軒が《時務一隅》を書いた文久年間には小康した。
21-01 然らば御英斷を以て唐の太宗宮女三千人を出し候ふ類を始めとして、格外の御改革に在らせられず候ひては、天下の形勢、百四五十年前に相ひ復し申すまじく候ふ。
意訳:そうであれば、〔第14代家茂将軍の〕ご英断でもって唐の太宗が宮女三千人を解雇しました類を始めとする、規格外のご改革でございませんでは、天下の形勢を140~150年前〔の元禄期〕に戻すことはできません。
余論:主権者に対して改革の覚悟を求めている。というか、「改革」という熟語が文久年間にあったのか。
江戸時代の人間にとって、元禄期がいわば「バブル期」のような黄金時代にあたるらしい。
21-02 外夷邊を窺ひ、人心動揺の患をも、深考遊ばされ、宗社を重みし、兆民を憐む御心にさへなされ候へば、別に成され難き筋にも御座無く候ふ。萬事行ひ難きは、因循姑息の心より起こり候ふ。御剛斷御座無く候ひては、往々天下の御大事と存じ奉り候ふ。
意訳:〔もし家茂将軍が〕外人どもが日本の周辺を狙っており、国内の人心が動揺している憂い(患)について深くお考え遊ばされ、国家(宗社)を重んじ、万民(兆民)を憐むお心にさえおなりになれれば、〔節約・倹約という方法は〕特に実施が難しい手立てでもございません。
何事であれ実行困難な事は、古い決まりに捕らわれて、何でもその場しのぎですませる(因循姑息)心より起こります。ここで〔指導者の〕ご果断がございませんと、往々にして天下の一大事になると存じ上げます。
21-03 右御勸めに成られ候ふ手筋は、「納約自牖」(納を約(い)るること牖よりす)と申す言御座候。牖は室中に明かりを取る窓に御座候ふ。人には貴賤共、必ず明らかに分かり居候ふ筋之れ有る者に候ふ。其の筋より御申し立てに成られ候はば、御承知に相ひ成り申すべく候ふ。上に是れ程の御剛斷に在らせられ候はば、其の餘の御良法、如何程も相ひ立ち申すべく候ふ。
意訳:右のことをご老中から家茂将軍にお勧めになられます手筋としては、《周易・坎卦・六四》の「納約自牖」と申します言葉がございます。「牖」は室内に明かりを取るための窓でございます。ヒトには貴賎ともに、必ずはっきりと理解しています道理が〔ヒトそれぞれに〕あるものでございます。その道理よりお申し立てになられましたら、〔家茂将軍も〕きっとご承知になり申しあげるにちがいありません。
幕府(上)にこれほどのご果断がございましたら、その他の良策はどのようなものでもきっと立てられるはずです。
余論:「納約自牖」とは、月光が明かり取りの窓から射し込み、暗い室内を照らし出すように、臣下の言葉が君主の心にすっと入っていくことを意味する。北宋の程頤は《周易程氏伝》で、觸龍が趙太后を説得した故事を事例として引用している。