安井息軒《時務一隅》(一)03c
03-03 尤も才略傑出の者は、當時柔弱の風俗中には目立ち候ふ故、凡庸の者は多く惡(にく)み候ふ者に御座候ふ。古人も、人材ハ疵物に求めよと申し候ふは、即ち此の理に御座候ふ。此れ等の者は、善惡とも、其の行ひ候ふ處、世上に知り易く候ふあひだ、御心を盡され候はば御鑑定には洩れ申すまじく候ふ。
幕士の外にも、心得宜しく、鑑識ある者、必ず諸方に散在致し候ふ。手筋を以て是れ等も御問ひ合はせに成られ候はば益々明白に相ひ分かり申すべく候。
意訳:もっとも才知に傑出した人物は、現代の柔弱な風潮の中では目立ちますため、凡庸な者の多くは彼を嫌悪するものでございます。昔の人が、人材は疵物のなかに求めよと申しましたのは、つまりこの道理でございます。これらの者は、善かれ悪しかれ、その行動が世間で知られやすいですので、お出来になる限り〔目配り〕していただけたら御鑑定候補からお洩れいたすことはないでしょう。
幕士(徳川家臣)以外にも、心構えがよくて価値判断のしっかりしている者は、必ず諸方に散在いたします。伝手を通してお問い合はせになられましたら、益々明白に分かるはずです。
余論:「悪名は無名にまさる」という言葉があるように、なまじ優秀すぎて目立つ人は普通の人々からヘイトを集めがちなので、評判が悪い人物についても、きちんとチェックを入れておく。
昨今のネット社会においても、多くの人に嫌われバッシングを浴びる一方で、比類ないフォロワー数を誇る人物がいる。最近、吉本興業を辞めた漫才師とか。どうも歳を取ると、意気軒昂な若者を見ると拒絶反応が出て、本人が発信している言葉を聞かず、彼らに対する周囲の評価(往々にしてネガティブなそれ)だけを読んで、それに同調して済ませてしまいがちだ。
03-04 湯王七年の旱に、雨を祈り候ふ節、「女謁盛なるか、苞苴行はるるか」と申し候ふは、自身の罪を天に尋ね候ふ二箇条に御座候ふ。女謁は奥向の執り成しに御座候ふ。苞苴は賄賂に御座候ふ。此の二箇条は、他事に行はれ候ひても、大害を生じ候ふ故、湯王も「此の罪を犯し候ふか」と、自ら心遣ひ、天に問ひ申せられ候ふ。
況(まし)て治民安國の役人御選擧に、箇樣の儀行はれ候ふては、恐れ乍(なが)ら國脈衰微の基と存じ奉り候ふあひだ、此の二条は、嚴しく御禁制に成られたく候ふ。(未完)
意訳:殷朝を建国した湯王が、即位七年目に発生した旱魃に対して降雨を祈願しました際、「〔上天よ、この旱魃の原因は何ですか。私の政治に落ち度がありましか。〕『女謁』が盛んでしたか、『苞苴』が横行していましたか」と申しましたのは、自身の罪を上天に尋ねた2ヶ条でございます。「女謁」とは大奥のとりなしでございます。〔後宮の女性が、後宮内でこっそり君主に会って私的な頼み事をすることです。〕「苞苴」とは賄賂でございます。この2ヶ条は〔君主や高官が政務に関して請託を受けたり、賄賂を収受して約束をすることで、所謂る「収賄罪」です。人事に限らず〕他の事に関連して行はれましても、大きな害を生じますので、湯王も「〔私は〕この罪を犯しましたか」と、自ら気を回して、上天にお問いかけになられたのです。
まして治民安国の要(かなめ)である役人のご選抜・挙用(選擧)に、このようなこと(=収賄)が行はれましては、恐れながら国運が衰微するもとと存じ申し上げますので、此の二条(=女謁と苞苴)は、厳しくお禁じになっていただきたいです。(※続く)
余論:2021年、17年ぶりに国会議員が収賄罪で有罪になったなぁ、と。賄賂を収受する「苞苴」のみならず、ただ”お願い(請託)”するだけの「女謁」が、紀元前3世紀の戦国時代の時点ですでに罪に数えられていることに驚く。
本段で引用される湯王の雨乞い説話は、たぶん《荀子》に見えるものが一番古いはずだが、息軒が引用するものとはセリフが若干異なる。息軒はおそらく《芸文類聚・祈雨》あたりから引用したので無いかと思う。