安井息軒《時務一隅》(五)中段b

23-01 扠(さて)其の米穀諸產物を賣り、金を求め候ふには、貴賤ともに商賈を相手と致し候ふ。商賈利を求むるに、至って巧なる者に御座候ふ故、其の急なるに乘じ、賤(※ヤス)く求め置き、賣り出し候ふ節は必ず什の二、三より、過半の利を貪り候へば、入用の品、前以て調べ置き申さざり候ふ故、餘儀無く高値に買ひ取り、甚だしきに至りては、封君の身として、米を高値に買ひ入れ、在府の食料と致し候ふ。尤も山國等海運宜しからざる場所は、餘儀無き筋に候へ共、制度相ひ立ち候へば【★】、是れも亦た別に仕法之れ有るべく、其の筋は下に申し述ぶべく候ふ。

意訳:さてその米や諸々の産物を売り、現金を求めますには、〔武家も平民も〕貴賎ともに商人(商賈)を相手といたします。商人は利益を追求することにとても巧みな者たちでございますので、売り手が〔現金化を〕急いでいるのに乗じて、安く買い叩いておいて、売り出します時は必ず2~3割から5割以上の利益を貪りますので、〔多くの人々は、何月にはどういう行事があるという年間計画を立てて、その時に〕必要な品物を事前に調べて〔、必要になる分だけは売らずに手元に残して〕おくという事をいたしませんので、〔いつも必要に迫られて〕仕方なく高値で買い取り、甚だしきに至っては、〔年貢として米を取り立てる〕領主(封君)の身でありながら、米を高値で買い入れ、参勤交代で江戸に滞在している時(在府)の食料といたします。もっとも内陸の山国など海運がよくない場所は、〔国元から江戸藩邸まで米を運び込むわけにもいかず、江戸で高い米を買い求める〕他に方法もない道理(筋)ですけれども、制度が成立しましたら【★】、これもまた別に仕方があるはずで、その方法(筋)は下に申し述べようと思います。

注釈:
★候へば:古文文法では「已然形+ば」は確定条件(~ので)を表すが、漢文訓読では「レバ則」というように仮定条件(もし~ば)を表すことがある。これが定着して、古典文法の已然形は現代文法の仮定形となった。ここでは、仮定形で訳す。

余論:息軒による商人が力を付けてきた原因。
 根本的な原因は、武家の、年貢が入ったらすぐさま全部売って現金化し、何か必要な物品が生じたらその都度発注をかけ〔、足が出ればツケにす〕るという行きあたりばったりな経営にある。武家が年間予定を確認して売り時と買い時を考えないから、商人に足元を見られていいように買い叩かれ、かつボッタクられるのである。
 この「入用の品、前以て調べ置き」は、つまり年度初めにその年度の経常予算を見積もれということだが、なかなかに困難であるらしく、渋沢栄一が明治5年に政府に提出した上奏文にも似たようなことが言われている。


23-02 右の形勢に付き、一物も商賈の手を經ざる物之れ無く、賣買の利潤夥しく候ふ故、武家百姓年々衰微致し、商賈日々蕃昌致し、五穀百貨を生ずる者、年々相減し、遊民日々相ひ增し、金錢は往古より百倍相ひ增し候へ共、天下に金錢に事を闕き候ふ事も、往古に百倍致し候ふ。是れ全く租庸調の法相ひ變じ、米穀產物を金に變じ、其の金を以て、諸色を買ひ入れ候ふより生じ候ふ弊風に御座候。

意訳:右の情勢であるため、一つとして商人の手を経由しない物は無く、売買の利潤がとても大きいですので、武家と百姓は年々衰弱(衰微)いたし、商人は日々繁盛(蕃昌)いたし、食料や多くの品物(五穀百貨)を手づから生産する者(百姓)は年々減り、手を使って働くことのない者(遊民・商賈)は日に日に増え、〔市中で取引に用いられる〕貨幣(金錢)の量は昔より百倍も増えましたけれども、社会(天下)で貨幣(金錢)に事欠く事も、昔より百倍になり申し上げました。完全にこれは租庸調の税法が変化し、〔人々が〕米や特産物をいったん現金に換えて、その現金で諸々の品物を買い入れる〔という貨幣経済が定着した〕ことより生じました悪い習慣・習俗(弊風)でございます。

余論:息軒による江戸時代の産業構造変化分析。
 江戸時代の日本は、総人口の9割近くを農民が占める第一次産業主体の農業国だったが、貨幣経済の発展にともない、第三次産業人口が次第に増えていった。
 そもそも米は、誰もお腹いっぱいになればそれ以上は食えないし、食わない。だから、一人の年間米消費量が米1俵だとすると、人口2600万人強の江戸時代なら年間2600万俵あれば全人口に米が行き渡り、それ以上は作っても誰も食べないし、食べられないので、作るだけ全て無駄になる。〔鎖国中だから輸出もできないし。〕毎年新米が出荷される以上、米問屋としても余った米を手元に保存しておいてもジリ貧なので、結局、1~2年以内に捨て値ででも売り切ってしまう必要がある。
 だから、たとえ五公五民で年貢米を持っていかれたところで、総人口の10%にも届かない武家と商人で、全収穫の50%相当の米を食いつくせるわけはなく、彼らが食べる分を差し引いた残る40%相当の米は現金と引き換えに市場に流れる。そして、この米を食べようという人間はもう他にはいないのだから、最終的に安値で農民の元へ戻ってくる。"自分で作った米を口にすることができず、ひもじい思いをしている貧農"などいない計算になる。
 太閤検地の基準では、米1俵には田んぼ1反=10畝=300坪=10アール=1000平方㍍が必要なので、2600万俵分の米を生産するには2600万反(2億6000万アール)の田んぼが必要で、古代律令制の基準では口分田は6歳以上の男子1人に2段(720歩=約24アール=約2反)、女性1人にその3分の2(480歩=約16アール=約1.5反)だったので、一家4人で5反は耕せるとして、2600万反を耕すには2080万人の農民がいればよく(江戸時代に農業技術が飛躍的に進歩したことで1人辺りの作業効率が上がり、肥料の導入によって1反辺りの収穫量が太閤検地の頃より激増したこと(ちなみに現代では1反から8俵とれる)などを考慮すればもっと少なくてよく、)江戸時代の農民(が人口比85%として)2210万いるうち、約130万人は余剰人員となる。
 この余剰人員が農家から他業種へ転職していったのだろう。江戸時代を通じて、肥料の導入や感慨設備の整備などにより1反あたりの収穫量が増大していったわけだから、離農人口も増え続けたにちがいない。


23-03 然れ共只今に至り、租庸調の法、御復しに成られ候ふ儀も容易ならざる事に候ふ。譯は庸・調を租に合はせ候ふ後、別段庸・調を御取り立てに相ひ成り候ひては、下民の難澁限り無く候ふ。租を減じ庸・調に御戻しに成られ候ふ儀も、勢行はれ兼ね申すべく候ふ。但だ其の意に倣ひ、折色にて諸品御取り立てに成られ候ふはば、少しは上下の御益に相ひ成り、商賈の權を削り候ふ一策と存じ候ふ。

意訳:しかしながら現在に至り、租庸調の税法をお戻しになられます件も容易ではない事です。その訳は〔豊臣秀吉の時に〕庸(=労役)・調(=布類)に相当する課税分を租(=米)に合わせ〔て「年貢」として一括納税するようにいたし〕ました後で、さらに別に庸・調をお取り立てになりましては〔税の二重取りということになり〕、人民(下民)が生活が思い通りにならず苦しむ(難澁)事は限りないです。さりとて今さら租(=米)を減らして庸(=労役)・調(=布類)をお戻しになられます案も、時勢としてきっと行いかね申し上げるはずです。
 ただその趣旨にならい、「折色」で諸々の品物をお取り立てになられましたら、少しは政府と民間(上下)の利益になり、商人の権勢を削ります一策になろうかとと存じ上げます。


23-04 諸家も此の例に倣ひ、在府中入用の品は申し及ばず、邑中必用の品、米穀粗材細貨の類に至る迄、互ひに交易致し候ふ儀、御免に相ひ成り候はば何程の助けと相ひ成り、自然民力相ひ緩み申すべく候ふ。

意訳:〔幕府だけでなく〕諸藩(諸家)もこの例にならい、江戸滞在(在府)中に入り用の物品は申し上げるに及ばず、〔地元の〕郷村(邑)で必要な物品、米や大きめの資材や細々した雑貨(粗材細貨)の類に至るまで、互いに物々交換(交易)いたします事を、お許しになりましたらどれだけ助けとなり、〔現在、ハイパーインフレーションで逼迫している〕民間活力(民力)にも自然と余裕が生まれ申し上げるはずです。

余論:息軒による「中抜き」抑止策。
 コロナ禍の最中、厚生省が1億円で発注したコロナ警戒アプリのCOCOAがろくに機能せず、実は1200万円で下請けに丸投げされていた事実が発覚した。他にも政府が福島原発作業員に出していた特殊危険手当が元請けに全て中抜されて、現場作業員の手に全く渡っていなかったとか、東京5輪のスタッフを日当1人1万2000円で募集している人材派遣会社が実は政府からは日当1人20万円で請け負っていたとか何とか……。

とにかく、中間搾取の横行が目立つ。結果、派遣社員や現場作業員は低賃金の貧困生活に苦しむし、政府は景気対策を兼ねて大盤振る舞いしているはずなのに、一向に消費マインドが回復せず、財政的に苦しい。中間業者ばかりが肥え太る。

 どうすればいいか?と言われれば、そりゃ政府が人材派遣会社を介さず、自分で直接アプリ開発スタッフなり、除染作業員なり、五輪スタッフを募集して、用意しておいた人件費をそっくりくれてやればいい、という話になる。あるいは、最低でも中抜きやピンハネを、消費者金融のグレー金利と同等に見なして、法律で制限をかけろや、という意見にいきつく。
 小泉構造改革のころから、人材派遣会社によるピンハネ問題はずっと指摘されているのに、なぜか規制が入らない。

 息軒が言っているのは、そういう意味のことだ。漠然と商業活動に反対しているわけではなくて、政府はまず中間業者(商人)の利益追求によって生産者と消費者が不当な不利益を被っている現状を認識し、そして何か具体的な手を打てと言っているのである。

 

いいなと思ったら応援しよう!