安井息軒《時務一隅》(四)後段

(24頁裏)

一 民間衰微致し、荒地多く相成候根元ハ、御府內戶口相增候と、

(25頁表)

勝手に出家致し候との二つに起リ申候、往古ハ漢土の法に效ひ、致出家(出家致し)候者にハ、必ズ度牒【①】を渡され、致出家(出家致し)候事に御座候、然れども度牒容易に不相渡(相ひ渡さず)、廿五歳まで、道心堅固に相勤メ候者、師より其段書取リ願書吟味の上、無相違(相ひ違ふ無く)候へバ、度牒相渡る事に御座候、其後二十歳にて御渡相成候へ共、道心の吟味如何にも行屆候故、僧徒の身持宜敷(宜しく)、其口數少ナク候て、天下の害不甚(甚だしからず)候、今日に至てハ、八宗【★】の寺數、四十八萬に餘り【②】、大小平均致し、一寺に僧侶三人と積り候ても百四十八萬人に相成、誠に夥敷(夥しき)事に御座候、右僧侶に使れ候者相加ヘ候てハ、不耕不織(耕さず織らず)して、美服珍食致し候者、二百四五十萬に可及(及ぶべく)、此者共の衣食住、殘らず民力より出候、四民致困窮(困窮致し)候儀、尤の事に御座候、殊に古ハ佛法歸依の者、心次第に、僧徒に供養致し候事に有之(之れ有り)候處、耶蘇教御禁制の後ハ、宗門改【③】と申事相始り、天下の人、一人も

(25頁裏)

佛法に歸せざる事不相成(相ひ成らず)【④】、貪婪(どんらん)無智の姦僧、其勢に乘じ、葬式又ハ宗門改の節、種々難澁申立、民財を貪リ取、己が酒食の用に當候等、誠に見聞に不ル忍(忍びざる)行多く候、是全く僧徒の御制法不相立(相ひ立たず)、其數多く、其行不正(正しからざる)處より、用度:【⑤】不足致し、右體民間の難儀と相成申候、然共千三百年來、人々肺腑に淪(※シミ)候佛法、速に御潰(※ツブ)し被成(に成られ)候てハ、天下の民心に相響き、騒動の基に御座候間、先ヅ古制に御復し被成(に成られ)、寺社奉行より、度牒御渡しなき者ハ、披剃【⑥】不相成(相ひ成らざる)趣、嚴敷(嚴しく)被仰出(仰せ出され)、是迄披剃致し候者も未ダ一寺の主と不相成(相ひ成らざる)者ハ、其師より願出、改て度牒御渡被成(に成られ)候樣致度(致したく)候、此儀ハ度牒無之(之れ無く)披剃致し候者ヲ御防グの手筋に候間、本寺より致歎訴【⑦】(歎訴致し)候ても、其旨御諭被成(に成られ)候へバ、少も御構無之(之れ無き)事に候、僧徒流罪以上の罪を犯候節ハ、其寺をも致破却【⑧】(破却致し)、墳墓ハ其儘差置、最寄同宗の寺、請持たるべく候、又末寺小菴等破壞致し、三年以

(26頁表)

上無住の地も同樣たるべく候、此法制相立候ハバ、往々僧徒の數、幷ニ寺數相減し、身持も宜敷(宜しく)相成、民間の患苦、少しハ相除可申(申すべく)候、」【⑨】御府內戶口相增ざる法ハ、戶籍を正し候外、有之間敷(之れ有るまじく)候、御府內田舎とも、編伍の法【⑩】、正敷(正しく)行ハれ候ハヾ、此弊忽ち相止可申(申すべく)候へ共、是迄蟻聚致し候小賈等、盡く其在所へ御差返相成候てハ、路頭に迷候者多く、美意より出ても、御善政とハ難申(申し難く)候、然バ先ヅ田舎の戶籍を正し、譯ありて出候ても、其郷を出候者ハ、村役人【⑪】より其領主地頭へ相願、送狀持參爲致(致させ)可申(申すべく)候、送狀無之(之れ無き)者ハ、御府内町役人【⑫】共請込候儀、決して不相成(相ひ成らず)、若(もし)內證にて請込、跡にて露顯に及候ハバ、依リ品ニ(品ニ依リ)地面共御取上ゲ【⑬】被成(に成られ)候樣、被仰出度(仰せ出されたく)候、御仁澤四方に行屆候後ハ、此二條の御取計方、如何程も可有之(之れ有るべく)候得共、只今にてハ、人情動揺の端に可相成(相ひ成るべく)候、此等の處にて被差置度(差し置かれたく)候(未完)


注釈:
①度牒:政府期間から新たに得度した僧侶・尼僧に交付される身分証。公験、告牒、度縁。北魏に始まり、日本へは律令時代に導入され、太政官が発行した。朝廷と関わりの薄い鎌倉仏教は、独自に発行していた。江戸幕府は直接関与せず、各宗派の総本山にのみ度牒の発行を許可することで統制を図った。
★八宗:日本に存在する大乗仏教の全宗派。すなわち法相宗・禅宗・密宗・法華宗・天台宗・三論宗・律宗・華厳宗の8宗派
②現在、日本の仏教寺院は約7万5000しか残っていない。
③宗門改:江戸時代に実施された宗教調査制度(1644~1873)。江戸幕府は島原之乱(1637)の鎮圧後、諸藩に命じて民衆を対象とする宗教調査を実施して「宗門改帳」を作成させた。これとは別に、諸藩が夫役のために住民調査を実施して「人別改帳」を作成しており、江戸中期にこの二つが統合されて「宗門人別改帳」となった。
④寺請制度・檀家制度により、人民は居住地の仏教寺院に檀家として帰属することが義務付けられ、寺院は檀信徒に寺請証文を発行した。寺院が檀信徒を破門にすると、宗門人別改帳から削除され、無宿人となる。明治政府は神仏分離令の後、氏子改・氏子調を布いて、人民が在郷の神社に氏子として帰属することを義務付けた。が、明治6年のキリスト教解禁にともない、廃止された。
⑤用度:①必要経費。②官公庁で支給される事務用品
⑥披剃:袈裟を披(か)けて髪を剃る。出家すること
⑦歎訴:なげき訴えること。 事情をうちあけてあわれみを乞うこと。 愁訴。
⑧破却:壊して無くすこと
⑨」:底本は閉じ括弧がある。話題の転換を意味する記号
⑩編伍の法:五人組制度か。
⑪村役人:村方三役。江戸時代の役人で、農民の中から選ばれ、郡奉行や地頭の下で農村運営にあたった。
⑫町役人:江戸時代の役人で、町人の中から選ばれ、町奉行の下で町政運営にあたった。
⑬地面取上:江戸時代の刑罰で、犯罪者の所有地を没収すること。

余論:安井息軒による宗教管理制度と戸籍管理制度の改革案。
 息軒は民間の経済的困窮と耕作放棄地増加の元凶を、「御府內戶口相增候」(地方から首都圏への人口流入)と「勝手に出家致し候」(自由出家)の二つと指摘し、それぞれ改善策を述べる。
 まず自由出家については、「度牒」(僧侶の身分証明書)の管理規制強化を提言する。それまで江戸幕府は「度牒」の発行を各宗派の本山に限って認可していたが、息軒は幕府の寺社奉行で一元的に扱うよう主張する。並行して、住職のいない仏教寺院を取り潰していく。
 次に「首都圏への人口流入」については、田舎から都市への移住を、政府による認可制とするよう提言している。なお現代中国が同じ政策を実施しているが、結局、大量の出稼ぎ労働者が都市に押しかけているので、実施してもあまり効果はなかっただろう。すでに出稼ぎに出ているものを田舎に返す帰農政策については、「美意に出ても、善政とは申し難く候」と否定的である。
 また寺社請負・檀家制度によって、日本の仏教が世俗化していく過程についても、考察を行っている。

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