安井息軒《時務一隅》(四)前段c
15-01 習俗は至って變じ難き物にて、右之通り御法相ひ立て候ひても、頑愚の民、墮胎致し候ふ儀計り難く候ふ。若(も)し墮胎の手傳ひ致し候ふ穏婆之れ有る節は、人殺しの罪に處せらるべく候ふ。墮胎相ひ賴み候ふ當人及び五人組は、子を間引き候ふ物と、同罪たるべく候ふ。
此の法十年行はれ候はば、親子之至情、自然と子を殺すに忍びざる樣相ひ成り申すべく、幾十萬の人民相ひ助かり、人君の御務め第一の事と存じ奉り候ふ。
意訳:習俗はいたって改変が難しいもので、右の通りご法令が立てられましても、頑固で道理にくらい(頑愚)人民が、引き続き堕胎をいたします件は予測困難です。もし堕胎の手伝いをいたしました産婆(穏婆)がいた時は、必ず殺人の罪に処せられるべきです。堕胎を依頼しました当人及びその五人組は、子を間引きましたものと同罪であるべきです。
この法令を十年間実施しましたら、親子の自然な感情(至情)として、自然と我が子を殺すに忍びないようにきっとなり申し上げ、〔中絶や間引きによって失われるはずだった〕幾十万の人民が助かり、〔これこそ〕君主のお務めの第一優先事項と存じ上げます。
余論:興味深いのは、政策と民情の因果関係である。息軒は"「親子之至情」を回復させれば「間引き」が根絶される”のではなく、"「間引き」が根絶されれば「親子之至情」が回復する”といい、原因と結果が逆転している。
ただ、最近は勉強やトレーニングに関して、”やる気があるからやるのではなく、やるからやる気が出るのだ”という説明をよく耳にするようになった。やる気を生み出すドーパミンは行動を起こすことで初めて分泌されるので、やる気が出るのをいくら待っていても無駄だし、「やる気を引き出す工夫」というのもあまり意味がないという説である。
息軒の考えには往々にして「先行後知」(朱子学は「先知後行」、陽明学は「知行合一」)の傾向が見え、行動を抑制することで人格を陶冶できると考えている。
15-02 私在所飫肥(※オビ)封內にても、往年より、子を間引き候ふ人も之れ無き程能く行はれ、只だ今にては、打ち棄て置き候ひても子を間引き候ふ惡俗御座候ふ處、三十二三年前、大略前文通りの法度相ひ立ち、一人の罪人も御座無く候ふ。親子の至情、さも之れ有るべく事に御座候ふ。
意訳:〔右の法令は、〕私の郷里である飫肥領内でも、昔から、我が子を間引きます悪習がございましたが、32、3年前、大略前文通りの法令が立ち、〔それ以来〕一人の罪人も全くいないほどよく実施され、現在では〔役人が人民に説いて聞かせたり、取り締まったりせず、そのまま〕放置しておきましても我が子を間引きます者は一人もございません。〔飫肥藩では〕親子の自然な感情が、確かにあるに違いない事でございます。
15-03【息軒注】
先年在所に於ひて、右の法相立候節、板敷と申す村に一人の老人之有り、此令を承り候ひて、「我等も子供七人生まれ候ヘ共、貧窮故四人間引き、三人育て候ふ處、三人の子供、追々死去致し、遂ひに養子を致し候ふ事に相ひ成り候ふ。此の御法度、三十年前仰せ出され候はヾ、今日の難儀は致すまじき者を」と痛哭致し候ふ由、此の言を承り候ふ者、皆「尤(もっと)も」と感動致し法令行はれ候ふ一助と相ひ成り申し候ふ。
意訳:むかし私の郷里において、右の法令を立てました時、板敷と申します村に一人の老人がおり、この法令をお聞き申し上げて、「私ども夫婦にも子供が7人生まれましたけれども、貧しさゆえに4人を間引きし、3人だけ育てましたところ、その3人の子供が一人また一人と(追々)逝去いたしまして、とうとう養子縁組をいたします事になりました。このご法令が30年前にお出しになられていましたら、きっと今日の苦労はいたさずに済んだものを」と痛哭いたしました事があり、この言葉をお聞きしました者は、みな「もっともなことだ」と感じ入り、法令が執行されます一助となり申し上げました。