安井息軒《時務一隅》(二)04a
04-01 人材は國家の根本に御座候ふ。國大なりと雖も、人材乏しく候得ば、衰微に赴き候ふ儀、必然の道理に御座候ふ。「世不絕聖、國不絕賢」(世は聖を絕たず、國は賢を絕たず)の道理にて、何時(いつ)の世、何所(いづく)の國にも、其の世其の國を治め候ふ程の人材は、必ず其の時代、其の土地に生まれ候ふ者に御座候得共、身分卑賤、絕世の才を抱き候て、空しく朽ち果て候ふ儀、古今同慨に御座候ふ。然れ共是れは格別の豪傑にて、世の中に多くは之れ無き者に候ふ。
且つ人君の國・天下を治め候ふは、大工の家を作り候ふと同樣にて、其の用に備ヘ候ふ材多からざりては、事調ひ申さず候ふ。材木は惜しまず費し候得ば、如何程も相ひ調ひ申し候得ども、人材は預め教育致さず候ふては、急には成就致さず候ふ。之れに依り古の明君は、人材教育を急務と致し候ふ。
意訳:人材は国家の根本でございます。いかに国土が大きくても、人材が乏しければ、〔国運が〕衰微に向かいます件は、必然の道理でございます。〔楚の荘王が言った〕「いつの時代にも聖人はおり、どこの国でも賢者がいる」の道理で、いつの時代、どこの国にも、その時代・その国を治めます程度の人材は、必ずその時代、その土地に生まれますものでございますけれども、〔そうした人材が〕身分が卑賎であったがために、絶世の才能を抱きながら、空しく朽ち果てます件は、古今同慨(今も昔も同じく人々が感慨を抱く)するところでございます。しかしながら、これは規格外の豪傑の話で、〔そこまでの人材は〕世の中にそう多くはおりません。
そのうえ君主が天下国家を統治しますのは、大工が家を建てますのと同様でして、その使用に備えます「材」(木材・人材)が十分多くなくては、物事の準備が調いません。それでも材木なら費用を惜しまなければ、どれほどの分量でも調達できますけれども、人材はあらかじめ〔時間をかけて〕教育いたしませんと、急には出来上がりはしません。こういうわけで昔の明君は、人材教育を急務といたしました。
余論:人材確保が国家運営の基本であり、いつの時代も人材育成が国家の急務であると説き始める。
なお本段の「世不絕聖、國不絕賢の道理にて、何時の世、何所の國にも、其の世其の國を治め候ふ程の人材は、必ず其の時代、其の土地に生まれ候ふ者に御座候」とほぼ同じ内容の語句が、《救急或問》にも「人材モ亦此ノ如シ、其國ヲ治ル程ノ人ハ、必其地ニ生ズル者ナリ、古人世不絕賢ト云ヘルハ是レナリ、」と見える。
04-02 當時は封建の御制度、唐虞三代と道を同じくし、世界第一の美政に御座候。然れ共士を貢し賢を擧ぐるの法之れ無く、寺社奉行以上は、御譜代諸侯の中より拔し、芙蓉の間(寺社奉行・留守居・町奉行・大目付・勘定奉行・遠国奉行・三殿家老)以下の役人は、旗下・御家人の中より、御選び成され候ふ事故、人材選擧の道、至て狭く候ふ。
況(まし)て太平の末弊にて、諸侯並びに大身の幕士は、大抵深宮の内に生まれ、婦人の手に長じ候ふ故、驕奢淫逸の風、自然相ひ生じ、諂諛を喜び、剛直を厭ひ、人君の心得、民間の疾苦等は、夢にも知らざる人多く候ふ。箇樣の體にては、太平無事の時さへ、上下の害少なからず、萬一外夷變を生じ候ふ事抔(など)御座候ふては、天下の爲に實に寒心すべき事に御座候ふ。
意訳:現代(※江戸時代)は封建制度で、〔中国古代の陶唐氏(堯)・有虞氏(舜)と夏・殷・周の〕の「唐虞三代」と政治路線を同じくし、世界第一の美政でございます。しかしながら立派な人物(士)を推挙し、賢才を選抜する制度は無く、また寺社奉行以上は譜代大名の中より抜擢し、「芙蓉の間」(寺社奉行・留守居・町奉行・大目付・勘定奉行・遠国奉行・三殿家老)以下の役人は旗本・御家人の中よりお選びになられますため、〔幕政に必要な〕人材を選ぶ道筋はいたって限られます。
まして太平の世が長く続いた弊害で、諸侯並びに高位の幕臣は、たいてい奥深い宮殿のなかで生まれ、婦人の手で成長しますので、自然と驕り高ぶって奢侈にふけり怠けて遊び回る(驕奢淫逸)性向が生じ、へつらわれる事(諂諛)を喜んで剛直さを嫌い、"君主の心得や庶民の悩みや苦しみなどは、夢にも知らない”という人が多いです。このようなていでは、太平無事の時でさえ、為政者と人民双方(上下)が被る害も少なくありませんし、万が一にも外人どもがテロ(變)を起こしますようなことがございましては、社会(天下)にとって実にゾッとする(寒心)事でございます。
余論:幕府の人材確保が機能していない原因を挙げて、①選抜対象の範囲が徳川家臣に譜代大名と、極めて狭いこと、②旗本と譜代大名はお屋敷の奥深くで女性に囲まれて育つため、総じて贅沢で怠惰で柔弱でお世辞に弱い世間知らずであり、有事の役に立たないことだという。
なお、ここで息軒は幕藩体制を「世界第一の美政」と称えるが、見様によってはいささか含みがある。息軒が本篇を老中に奏上したのは、昌平黌儒官であった文久2~3年のことである。この1~2年前の文久1年に(後記:誤り。中村貞太郎の獄死は文久2年のこと)、三計塾塾生で、かつ息軒の長女須磨子の再婚相手で、かつ安井小太郎の実父である北有馬太郎こと中村貞太郎が、清河八郎を庇って獄死している。清河八郎は「虎尾の会」の盟主で、山岡鉄舟とともに倒幕計画を企てるも、それが露見して幕府に追われていた。中村貞太郎は、その清河八郎の逃亡を幇助した咎で捕縛されたのである。
04-03 小身の衆、御家人抔、平生の暮し行き屆かず候ふ故、少しは人情に通じ候ふ處も御座候得共、志なき者は、放蕩無賴に陥り、身を立てんと思ひ候ふ者は、希世求官(世を希み官を求め)候ふ心、肺腑に淪(し)み候ふ故、一身の才知、専ら其の筋に働き、天下の時務形勢には、至って疎く候ふ。是れ皆其の人の不才には之れ無く、身分に依り候ふて、風習の害に之れ有り、自然右の譯け合ひに相ひ成り申し候ふ。
各官御登用は、多人數の中より、御精撰成され候ふ事には御座候得共、風習の人を害し候ふ事甚だしき候故、萬人に勝れ候ふ俊才たり共、右風習の中に生長致し候ふては、其の才生得の十分一も成就致すまじく候ふ。尤も往年より匹夫より御家人となり、追々相ひ進み、諸大夫に昇り候ふ者も御座候得共、是れ等は吏才小々之れ有る迄にて、遠大の事は少しも心得申さず、甚だしきに至り候ふては、巧詐を宗(むね)とし、一身の利を營み候ふ外、別に效(かい)も之れ無き者多く御座候ふ。
然らば人材教育は、尤も今日の急務と存じ候ふ。
意訳:身分が低い人々や御家人などは、〔俸禄が少なくて〕平生の暮らしが何かと行き届きませんので、少しはヒトの心理(人情)にも通じておりますところもございますけれども、〔将来に対して何の〕こころざしも抱いていない者は放蕩無賴に陥り、〔逆に〕身を立てようと思っております者は、世祿を望み官職を求めます心が肺腑に染みておりますので、全身の才気と智慧は専らその方面(=立身出世)にのみ働き、日本社会(天下)の急務や情勢については至って疎いです。これはみなその人の才能不足に原因があるのでは無く、身分による習慣の弊害にあり、自然と上述の様な事情に成ります。
各官吏のご登用は、大人数の中よりお選びになられるものではございますけれども、風俗・習慣がヒトを害します事は甚だしいですので、いかに万人に優れた俊才であっても、上述のような風俗・習慣の中で成長いたしましては、その才能も生来の十分の一も発揮できません。もっとも昔から平民(匹夫)から御家人となり、次々と出世して大臣(大夫)にまで昇りつめました者もございますけれども、彼らは官吏として立ち回る才能が小々あっただけで、〔国家の存亡に関わるような〕遠大な事柄については少しも理解しておりませんでしたし、甚だしきに至ってはいかに巧みに嘘をつくか(巧詐)を重視して、個人的な利益を得るほかは、別にこれといった甲斐性も無い者が多くございます。
そうであれば、やはり人材教育こそが今日最優先すべき急務と存じます。
余論:前段では、人材として見た時の大名や旗本といった高い身分の人間の欠陥を挙げた。この段では低い身分の幕士の欠陥を挙げる。彼らは裕福でないがゆえに、世情には通じてはいる。ただし、身分が低さゆえに将来に希望を持てない者は容易に身を持ち崩すし、逆に立身出世を夢見る者は組織内部の出世競争に明け暮れて、社会問題や社会情勢に関心を持たず、また貧しい生い立ちゆえに個人の利益を優先しがちになり、総じて視野が狭く、役人としては大成しない。
そのうえで息軒は、そうした弊害はその人に才能がないからではなく、ただ生まれ育った環境がなせるわざだという。