安井息軒《時務一隅》(五)中段

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一 王室御盛之時ハ、唐の租庸調【①】を祖として、財用を御制し被成(に成られ)候故、金錢至て少く候得共、上下共少しも不自由無御座(御座無く)候、租庸調とハ、田あれバ租【②】あり、身あれバ庸【③】あり、宅あれバ調【④】ありと申候て、天下の征税を三に定め、其間に折色【⑤】と申事ありて、土地の名產、公用に相成候物ハ、前以て製し置、本税と貴賤輕重を平均致し、其品を以て、年貢運上【⑥】へ差當テ候故、人君たる者ハ、一色も市に買候物無之、下民も品物にて、互に交易致し候故、金錢の入用少く、商賈ハ唯其窮する所を通じ候迄に御座候故、四民の中にて、商賈の數、至て

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少く候、因之(之に因りて)耕民多く、遊手少く、自然に生之者【⑦】多、食之者寡(之を生ずる者多くして、之を食ふ者寡なし)【⑧】の道理に相叫(かな)ひ、上下共に富貴致し候、歴史を考へ候に、王室にて金銀御鑄立(ふきたて)の儀【⑨】、三四に過ず、足利氏の時、金銀乏敷に付、明國へ申遣し、永樂錢【⑩】三十六萬貫申請【⑪】られ、天下の金錢、不足無御座(御座無く)候、今日豪商ハ、一人にても、右の十倍ハ儲蓄可致(致すべく)候、是にて古の世柄【⑫】御推知可被下(下さるべく)候、豐臣氏以来ハ、庸調を租に合せ、田地の税を五六倍に相增し、諸侯大夫ハ、米を賣て諸品を買入、百姓ハ金納とも申事相始り候、米穀を賣り、金子を上納致し候事に相成候故、上ハ人主より、下百姓【⑬】に至候迄、金錢なくてハ、一日も難暮(暮れ難く)候、扠(さて)其米穀諸產物を賣、金求候にハ、貴賤ともに商賈を相手と致し候、商賈利を求るに、至て巧なる者に御座候故、其急なるに乘し、賤(※ヤス)く求め置、賣出し候節ハ必什之二三より、過半の利を貪り候へバ、入用の品、前以て調ヘ置不

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申(申さざり)候故、無餘儀(餘儀無く)高値に買取、甚しきに至てハ、封君の身として、米を高値に買入、在府の食料と致し候、尤山國等海運不宜(宜しからざる)場所ハ、無餘儀(餘儀無き)筋に候へ共、制度相立チ候ヘバ、是亦別に仕法可有之(之れ有る可く)、其筋ハ下に可申述(申し述ぶべく)候、右の形勢に付、一物も商賈の手を經ざる物無之(之れ無く)、賣買の利潤夥敷候故、武家百姓年々衰微致し、商賈日々蕃昌致し、五穀百貨を生ずる者、年々相減し、遊民日々相增し、金錢ハ往古より百倍相增し候共、天下に金錢に事を闕き候事も、往古に百倍致し候、是全く租庸調の法相變し、米穀產物を金に變じ、其金を以て、諸色を買入候より生じ候弊風に御座候、然共只今に至り、租庸調の法、御復し被成(に成られ)候儀も不容易(容易ならざる)事に候、譯ハ庸調を租に合せ候後、別段庸調御取立相成候てハ、下民難澁無限(限り無く)候、租を減じ庸調に御戻し被成(に成られ)候儀も、勢行ハれ兼可申(申すべく)候、但其意に倣ひ、折色にて諸品御取立

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被成(に成られ)候ハヾ、少しハ上下の御益に相成、商賈の權を削り候一策と存じ候、諸家も此例に倣ひ、在府中入用の品ハ不及申(申し及ばず)、邑中必用の品、米穀粗材細貨の類に至る迄、互に致交易(交易致し)候儀、御免相成候ハヾ何程の助けと相成、自然民力相緩み可申候。


注釈:
①租庸調:古代の税制。唐朝で制定され、日本へも律令時代に導入された。
②租:律令時代の税で、米を物納する。江戸時代の年貢に相当。
③庸:律令時代の税で、労役。布・米・塩で代納できた。
④調:律令時代の税で、繊維製品を物納した。
⑤折色:中国の明朝(1368-1644)の税制では、米や麦による現物納を原則とし、これを「本色」という。本色に対して、絹・銭鈔・銀などで代納することを「折色」・「折納」という。
⑥運上:江戸時代の雑税。農業以外の各業種(商・工・漁・鉱・運送)の営業者に課せられた税。
⑦生之者多:底本は「者」字の右下に「ヲ」を送る。恐らく「之」字の右下に付すべきを誤刻せり。
⑧生之者多食之者寡:《礼記・大学》生財有大道。生之者眾、食之者寡、為之者疾、用之者舒、則財恒足矣。※《救急或問》でも引用していた。
⑨王室にて金銀御鑄立の儀:日本の朝廷による貨幣鋳造。683年に富本銭が鋳造されたが記念コインのような扱いで通貨として流通しなかった。708年に和同開珎が鑄造され、通貨として市場に流通した。それから250年間で、金貨1種、銀貨1種、銅貨12種(皇朝十二銭)が発行されたものの、その後は豊臣秀吉が金銀貨幣を鋳造するまで600年間、日本では自前の貨幣が鋳造されず、中国の宋銭や明銭が通貨として使用された。
⑩永樂錢:明朝が発行していた銅銭。日本は宋や明へ砂金を輸出して銅銭を輸入し、国内市場で通貨として使用した。
⑪請:底本は正字体(月が円)に作る。文字コードの関係で常用漢字体を用いる。
⑫世柄:世相
⑬下百姓:「下ハ百姓」に訂正するべき。


余論:息軒による商業抑制論、というか、中間業者排除案。
 太宰春台や横井小楠といった一部を除けば、日本の儒者は総じて貨幣経済に否定的で、素朴な物々交換社会を理想化する。江戸時代は税は米を物納していた。政府は物納された米を売却して現金化し、政府運営に用いた。この米の売買をーー個人的には不思議なのだがーー公的機関ではなく民間に委ねた結果、中間業者の商人が労せずして莫大な利ざやを稼ぐようになった。
 息軒は幕府や諸藩が、年貢の一部を公用品や必需品で物納させることで、公用品や必需品を商人から現金で購入する機会を減らすことを勸める。

 現代では、転売屋が人気商品を買い占めて、定価の数倍の値段で転売して利ざやを稼いでいる。そのぶん一般の消費者が定価で商品を購入できず、不利益を被っている。この問題は、2020年のコロナ禍に際して「マスク転売」として社会問題化した。結局、マスクの国内製造が軌道に乗り、布マスクでの代用を政府が推奨したことで、マスク転売は解消したが、そのほかの商品では今なお転売屋の活動は続いている。

 インターネットが世に出た時は、”これからはネットを介して消費者が製造者から直接買い付けられるようになるので、卸売業は消滅する。それにより、これまで卸売業者が取っていた中間マージンが省かれるので、同じ商品を今までより安く購入できるようになる”と言われていたが、実際には「転売ヤー」(転売屋とByer(買付人)の造語)という新たな中間搾取者が生じ、商品を定価で買えなくなった。

 息軒の趣旨は、商業全体の抑制というよりは、この「転売ヤー」対策と捉えたほうがしっくりくる。「商賈ハ唯其窮する所を通じ候」というように、商人の”物資を全国くまなく行き渡らせる”という社会的役割については、誰も損をしていないので、息軒も評価するに吝かではないのだ。
 ただ米問屋は、カルテル的に米価をコントロールして不当な利益を得ており、一般人が割を食っている状態なので、対策を講じようとしているに過ぎない。

 不思議なのは、「政府が米価を決定する」という発想にならないところだ。あるいは「米取引は政府機関で行う」ともならないことだ。実際、塩などの政府専売制はあったわけだから、発想として出てきても良いように思うのだが。(息軒は、というか儒者は、政府による専売制に否定的)

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