チャイの自己紹介*今の自分を作っている出来事ベスト3
すでに僕のことをよく知ってくださっている方もいるかもしれませんが、ちょっと改めて自己紹介をしたいと思います。
チャイ
1982年2月7日生まれ。相模原市出身。
教師、公認心理師、Well-Being Dialogue Cardファシリテーター
家族は妻と1歳の男の子の三人で、東京郊外に住んでます。
仕事は教育関係の仕事、コーチング&カウンセリング、結婚相談所、教育セミナー(企業研修・教員・保護者向け)などをしています。
今回は自分の自己紹介として「今の自分を作っている出来事ベスト3」を挙げて、その内容を書いていきたいと思います。
その3つとは、
19歳でトルコに留学したこと
27歳で父を亡くしたこと
37歳で結婚したこと
です。
それでは早速説明していきます。
1.19歳でトルコに留学したこと
僕は高校時代に世界史を学ぶ中で、人を結束させるイマジネーションの力としての宗教に大変興味を持ちました。そして、宗教についてもっと学びたいと思うようになりました。そういった意味で、世界史から見たときのトルコの重要性は明らかに群を抜くものでした。
トルコは、世界で唯一、世界三大宗教のうちの2つの宗教の頂点を極めた土地であり、現代の西欧文明の起源とも言えるギリシア・ローマ文明の発祥の地であり、地理的にも現代においても文明の十字路です。
僕は、日本の大学の雰囲気に馴染めなかったこともあり、10代最後の年をトルコで過ごすと決めて1年間のトルコ留学をしました。そして、この時の異文化体験こそが、自分の人生の価値観を決める上で重要な原点になりました。また、宗教が生活に根ざしているイスラーム世界で生活した経験も宗教というものを考える上で重要な示唆を与えてくれました。
僕はトルコで、
・異文化の中で自文化を見つめること
・イスラームと向き合う中で、対照的に仏教を学ぶ経験
・トルコ語というツールを通して自分の居場所を作る体験
をしました。
これらはいずれも自分の人生の原点であり、この感覚が今の自分の宗教観、価値観、人生観の礎を作りました。
※今回のトルコ南部の大地震には大変に心を痛めています。僕の友人の従兄弟夫妻も亡くなりました。復興に向けて皆様の温かいご支援を何卒よろしくお願いします。
2.27歳で父を亡くしたこと
父が亡くなった時、自分は仕事やプライベート、親族の死など、様々なことがあって心身ボロボロの状態でした。自分が生きていくにもどうしたらいいのかわからない自暴自棄に近いような状況で、先が全く見えないまさに絶望と言えるような状況でした。
父はリストラに遭い、収入も減る中、慣れない仕事でストレスが溜まり、突然ガンを発症。そこからあっという間に全身に転移し亡くなりました。
父は自分の責任を感じていたのか、申し訳なく思っていたのか、家族に内緒で家計をやりくりするために、僕らの知らない間にたくさんの借金をしていました。またさらによくないことに、その間に実家の住宅ローンの団体信用保険は解約されていました。
父が亡くなった時には、うちは借金まみれでした。当時、母と妹は働いてなく、僕はボロボロの状態、もう本当に絶望しかありませんでした。今思い返してもあそこからどうやって這い上がってくればいいのか想像がつかないくらいです。(この話はいつか書けそうだったらゆっくり書きたいと思います)
僕は親に心配ばかりかかて自分勝手に生きてきました。(宗教を研究するとか、10代でトルコに留学するとか、大学卒業後「積極的フリーターになる」といって就職しないとか、、)
そんな、親に心配ばかりかけてきた自分が、長男として、どうにか一歩を踏み出さないといけない状況でした。父の闘病中、病床で「お前は教師に向いているから教師になったらいい」と言われたことをきっかけに、通信教育でもう一度大学に通い教員免許を取りました。父の最期に直面する中で一つくらいは親の言うことを聞こうと思ったのです。
実は僕は、学校の先生というものが嫌で、教師になろうなんて思ったことは一度もありません。むしろ、学校教育には疑問と不満しかなく、教師には尊敬や憧れよりむしろ蔑みの念を抱いていたくらいです。
ですが、一度もまともに働いたことのない自分が社会人になるには、教員免許をとって、公務員として教員になることはほぼ唯一の道であったとも言えます。
そんな僕は教師になり、必死に働きました。学生時代から(卒業後も)塾の先生として子どもたちに教えてきた経験から「教えること」へのプロ意識がありました。ですが、教師になって本当の意味で「教育」というものに触れ、教育という仕事の醍醐味と難しさ、奥深さ知りました。教育という仕事は、僕の想像をはるかに超える壮大な仕事で、教師というのはあまりにも深い仕事でした。
子どもたちの成長と学びに向き合いながら8年を過ごし、どうにか家の借金を完済することができたことをきっかけに公務員としての教員を退職しました。
父の死が与えてくれたこの10年が自分のキャリアの骨格となりました。
3.37歳で結婚したこと
僕は仕事を辞めフリーランスで全国でいろいろなセミナー(ヨーガ合宿、仏教セミナー、世界遺産セミナー、異文化理解セミナー等)を開催して自由に生活していました。毎月いろいろなところに出かけたり、自分の好きなことを話したり自由な生活でしたが、収入は自分史上もっとも不安定な状況でした。そうした中、自分が開催した仏教セミナーで後に妻となる女性と出会いました。
彼女は売れていない画家でした。でも、とても素敵な絵を描く画家でした。僕は最初、彼女自身というよりは彼女の絵に興味があって、彼女からいろいろな話を聞くようになりました。そうしていわゆるデートを重ねていくうちに、自然と彼女のことをもっと知りたいと思い、付き合うようになりました。(これも一筋縄にはいきませんでしたが、その話はまた別の機会に)
彼女も僕もお金はほとんどありませんでしたが、たくさんの時間がありました。僕らは富山と神奈川に住む遠距離でしたので、平日夜の夜行バスで毎月行き来するような生活をしていました。お互い、お金も仕事もないようなもので、これ以下の生活がないような状態です。僕はこうした生活の中で本音で彼女と語り合う中で、この人となら自分が自分らしくいられる、未来を一緒につくっていけるかもと思って、結婚を決意しました。(ここからは驚くほど波乱の幕開けですが、それもまた別の機会に)
正直、今までお付き合いした女性は自分が100%好きみたいな状態でしたので、女性に過度にのめり込むような恋愛で、自分が自分らしくいられなかったと感じます。
妻にも伝えているので、問題ないのですが、実は僕にとって妻は80%くらいの好きな状態で、それは逆に、自分が自然体でいられるような存在です。僕は恋に恋するようなところがあって、恋愛に自分の100%の好きを求めがちでした。それが、妻は正直、自分のどストライクではない感じの人だったのです。
妻は、僕とは性格は真逆で好きなものやペースも真逆のような人。恐らく、学生時代同じクラスにいても友達にならなかったと思います。それくらい世界が違かった人です。
でも、彼女の絵に興味をもって、彼女と仲良くなり、彼女と一緒にゆったりと過ごす中でお互いの価値観を話していくと、お互いの真逆ぶりが面白いと思いました。そこから学ぶことがたくさんありました。同じものを見ても感じることが違うし、それがお互いの新しい発見になる。そして何より、彼女は精神的にすごく安定してて(そこも僕とは違う笑)、すごく素直で健気で優しい人でした。
結婚する際に、僕らは家訓を決め、お互いがお互いにとって100%のパートナーを目指そうと話しました。僕らはお互いが80%なので、これから100%を目指す余地があるんです。
そして日々、相手を想い、生活を重ねていく中で、いつも間にか、お互いを想う優しさは、お互いの関係を(当初二人が想定した100%を越えて)120%のものに育てあげていると感じます。
それは僕が、より僕らしくなること、彼女が、より彼女らしく魅力を発揮し、生き生きと生きていくことにつながっています。
僕は結婚を通して、本当の意味で自分の人生を歩む準備が整いました。
昨年は公認心理師という心理職の国家資格と、幸福学の権威である前野隆司先生が監修するWell-Being Dialogue Card ファシリテーターという資格も取得しました。2023年は、これまでの教育という文脈からさらに踏み込んで、心理の専門家として人の幸せに深くコミットする仕事を展開していくつもりです。悩みを抱える人のカウンセリング、経営者のメンタリングサービス、目標達成のためのコーチングサービスなどをすでに開始しています。
売れない画家だった妻はこの2月に日本で個展、今年の下半期には海外での個展も予定されています。
僕らは結婚して、さらに自由になったと感じます。
僕らにとって結婚は、まさにスタートであり、それは自分の人生を自由に開いていくためのきっかけでした。
なんかちょっとしんみりした雰囲気になってしまいましたが、以上、僕の人生の原点となっている「今の自分を作っている出来事ベスト3」でした。
人並み以上の苦労と経験をしてきたつもりです。
そうした意味で、これからも、信念(宗教や生きるための哲学)、教育、結婚という文脈で人の人生にコミットしていきたいと思っています。
人はいつからでも変われる。
どんな人にも限りない可能性がある。
あなたの人生の何かのきっかけになりたい。
そう思っています。
チャイ