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ハグレモノよ、Wake Up!
読者諸賢、ごきげんよう。新年明けましておめでとうございます(今更)。
さて、新年一発目の今回はいつも以上に支離滅裂かつとんでもなく暗い文章になってしまうかも知れないが、どうかご容赦頂きたい。自分自身でもとどのつまり何を言いたいのか分からない、ぼんやりとした考えを整理する目的で書かせて頂きたい。
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最近、何となくぼんやりと「自分はキラキラした光の下では生きられない、ダークサイドの人間になってしまったのだ」と考えることが増えた。それは一重に私自身と、その周囲の人々が年齢を重ねてある程度のいい歳になってきたからだと思う。
私くらいの年齢になってくると、周囲と様々な差が生じてくる。例えば結婚、出産、それから出世、収入格差等々……若かりし頃には然程気にしていなかった、いや、今現在も気にしていない筈の差異があれこれと浮き彫りになってくる。
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私は現在絶賛独り身かつ、不本意ではあるがわりかし仕事ファースト人間である。今まではそれを然程気にしてはいなかったし、現在もそんなに気に留めてはいない筈であった。たまに「一緒に手料理を食べてくれる誰かが居たらなぁ」とか「こんなにバカ真面目に働いてられるか畜生が」とか思うことも無くはないが、自身の生活には概ね満足している……筈だ。しかし最近どうも、同世代ないしは自身よりほんの少し上の世代の方々が仕事にバリバリ邁進しつつも、恋愛や家庭、趣味といった別のカテゴリーも両立させている姿を見ると、妙な心苦しさを覚える。
そこでじっくりと考えてみたのだが、私は恐らく「諸々のカテゴリーを両立させている人々を羨んでいる」というよりは「自分はこんな生き方をしていて大丈夫なのだろうかという不安に駆られている」状態にあるのだと思う。
……こんな事を言うと各方面から破茶滅茶に怒られそうなのだが、正直、私が現在生きている(居住地やその他諸々の概念を含めた)世界は薄汚れていると思う。詳細な事は書かないし、努々書くべからずといった感じなのだが、この世界線に身を浸していると民度の最底辺を目の当たりにすることもザラではない。そして私は限りなく、その最底辺に近い側の人間であるような気がしてならないのだ。
太陽の光が眩しければ眩しいほど、照らされた対象物の影は濃く長く伸びゆく。それと同じで、仕事に邁進しつつも家庭や趣味を両立させて活き活きと、かつ極めて上品に暮らしている人々の姿を見れば見るほど、汚れた世界で齷齪と生きている自分自身は穢れているのではないか、という不安が強くなる。
なお、勿論、私の目から見ればキラキラと生きているように感じられる人々も陰では何らかの悩みや不安、不満を少なからず抱えているだろうし「全てが順風満帆な訳ではねぇんだよ」と私に対して思うかも知れない。或いは「独りでバリバリ稼いだ身銭を自分の為だけに使える生活をしているあんたこそ羨ましい」と私に対して思う方もいらっしゃるだろう。それは重々承知である。
しかしやはり……私だって肩書的には社会人(正社員)だし、自分で選んだやりたい仕事に従事しているし、何なら社畜と形容されても致し方ないほど最近は身を粉にして働いているし、社会の歯車のうちの一つであると思う(思いたい)のだが、多くの人々が家族や誰かに「おはよう」と告げる時間に、一人で布団に入って眠りに着く自分は、品のある美しい世界からは弾かれてしまったのではないかと錯覚してしまう。
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……さて、唐突だが、私は「モノブライト」というロックバンドが物凄く大好きである。宇宙で一番好きなバンドと言っても過言ではない。そしてそんな彼等の楽曲の一つに、夜型の生活を送る人間の悲哀を描いたものがある。
深い夜を過ごす 明けた空は晴れて
僕は今日も太陽を抱いて 眠る、寝る
(中略)
誰も知らない明日が 誰もが知る今日になって
僕はいつも遅いから 君は朝日と消えていく
この曲がリリースされた当時、確か私は大学四年の就活生で、その時は単に「メロディーラインと演奏がお洒落だなぁ」と思う程度であったが、現在のライフスタイルを始めてからというもの、異常に歌詞が身に沁みるようになり、いつも聴く度に泣きそうになる。前述の通り私は多くの人々が目覚める時間帯に寝て、お昼より少し前に起きる生活を送っているのだが、まさにこの曲の歌詞は私と同じ側の人間が抱く、明るい世界へ出掛けてゆく人々とのすれ違いへの僅かな寂しさを描いている。なお、私は普段音楽を聴く際にあまり歌詞を重視しない為、何を言っていようがメロディーさえ美しければ聴いてしまう方なのだが、珍しくこの『ビューティフルモーニング(Wake Up!)』は詞もメロディーも大好きな一曲である。
そしてもう一人、私が好きなアーティストとして挙げるのがシンガーソングライターの中田裕二。彼の作品にも、首がもげそうになるほど深く頷いてしまう歌詞の楽曲が一つある。裕二氏の楽曲こそ歌詞を気にせずインスト的な感じで聴くことが多いのだが、この曲は別である(※ガチのファンに死ぬ程怒られそうな発言ですみません)。
いつもこの世に 弾かれて
けれど生かされている訳だ
なんかしら理由が あるのだろう
じゃあ それを知るまでは死ねないか
……まあ、何だかんだごちゃごちゃとしょうもない不安や文句を並べてしまった訳だが、今の立ち位置で生きると決め、薄汚れた世界に私を弾いたのは紛れもなく自分自身である。なのであまり被害者面をしてはいけないなと内省している。
なお、勿論私が今の世界線に飛び込んだのには理由がある。ここでそれを詳細に書き記すと文章量が膨大になるので簡潔に述べるが、私は今の仕事を「悩める人々の駆け込み寺になりたい」という理由から始めた。とはいえ生憎、私には人々が抱く悩みを根本的に解決する力は無い。しかし、せめて己の元に居る時間だけは訪れた人々に安息を与えたくて、その瞬間だけはにこりと笑ってほしくて、その為に私は連日職場に立ち続けているのである。「綺麗事を言うな」って思うじゃん?うるせーな本当なんだよ。こちとら本心でそう思ってやってんだよ(突然のキレ散らかし)。
ということで生かされている(生きている)理由は割と明白なのだが、それを知った上で更にその使命を果たすまでは死ねないなと思うのだ。明るい世界線で生きる人々と生活の時間軸や価値観がすれ違っても、キラキラ美しく品のある人間になれなくても、時折他者と自身を比較した上で己の闇を感じて苦しくなっても、ここで倒れる訳にはいかないと思うのだ。
転げ落ちた暗闇に
詩は生まれ 歌は宿る
と、裕二氏も歌っているし。ということで、最近は専ら自宅から職場へ向かう際に上記の二曲をヘビロテしている。自身の置かれている(というより選んで立っている)状況に寂しさや不安を感じる事はあれど、それでもそこに通い続ける理由があるのだ。
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ここまでの文章を読み返してみると、それはそれはまあ恐ろしい程に支離滅裂、荒唐無稽で苦笑してしまった。これ程までに読みづらく、かつ暗い回が過去にあっただろうか……まあ、今回は思考の整理が目的であると冒頭にも述べたのでその辺はご容赦頂きたい。
なお、今週末1/26(日)に、現在活動休止中のモノブライトが限定復活ライブを行う。私も勇んで参戦する。会場は大阪。私にとっては実に14年ぶりの関西である。ライブは勿論のこと、大阪グルメが今から楽しみで楽しみで仕方がない。お土産も沢山買うつもり。
ほな、今日はこの辺で。読んで頂きホンマおおきに。