〜忘れがたいゴム動力模型飛行機〜 64年前
昭和32年 11月24日 土曜日 くもり
外は曇り、はい色の雲がうかんでいます。
六じょうではお兄ちゃんが机の前で勉強をしています。
ぼくはだるくなり横になっていると、すきま風かなにかがふいてきたらしくす~っとすずしくなりました。
向こうですーっとしょうじがあかる(開く)音がして、それに続いて
「晃ちゃん、飛行機、飛ばしに行かない?」と柱によっかかかりながらいいました。
お兄ちゃんは床の間においてあるB級の大きな飛行機とA級の * 神風を両手で持ってきて「これ、先に持っていけよ」といって渡しました。
あぶなく戸の外に出るとすーんと寒くなり、プロペラが少しづつ回りだしました。リリリーん、門をあけると、いっそうひどくカラカラと回りだし、
* 風向きの方に向かって走るとさっきよりもっとひどく回りだし飛行機も少しづつ上下にガタガタガタと動き出し、ぼくの手まで少し上下に動いています。
* 神風:これは第二次世界大戦時の日本の戦闘機の機種名ではなく、
戦争末期に、悪化する戦況打開のために零式艦上戦闘機(愛称:ゼロ戦)を特攻機とした使ったことから、この無謀な特攻隊を”神風”と呼んだ。
話が横道に入るが、当時の日本の戦闘機はどの機も美しい姿をしている。
陸軍では海軍のゼロ戦と並ぶ一式戦闘機 (愛称:隼) も美しく好きだった。
因みに東京の空にきれいな五輪マークを描いてくれた”ブルーインパルス”の創設者は元海軍大差・国会議員も務めた源田実さん、航空自衛隊育ての親と呼ばれています。
中学に通う総武線の車中で揺られながら彼の本を読んだものです。
* 風向き:風の吹いてくる方向