落ち込んでいる人を見るとき
友人、後輩、恋人など、身近な人が落ち込んでいたら、どう接するのが正解だろう?
もしあなたが落ち込んでいるとき、どう声をかけられたいだろう?
これはよく考えるテーマだ。
せめて自分と同じような悩みを持っている人くらいには、その心を軽くしてあげられる人でありたいと思うが、そんなに上手くはいかない。
もちろんここら辺の話は、その人の人生経験や性格によって最適解は変わるので、あくまで考察の域を超えない。
そういう変化していくものだから、現時点でのぼくの答えを残しておこう。
ぼくの答えは、「自分の時間を相手に捧げる」こと。
なぜなら、それは表面的な慰めの行動とは違うから。
自分が沈んでいるとき、相手の人生が充実している傍らで慰めを受けてもあまり刺さらない。むしろその差で鬱は増加するさえある。
きっとぼくが重めの人間なんだろうけど、あなたもこっち側に来てよ、と思ってしまう。すごく良くないけど。
そう思ってしまう人間だから、逆に相手が沈んでいるとき、自分の充実を壊してでも時間を作る。例えば、強引に有給をねじ込んで仕事を休むとか。代償を払う。
特に、ネガティブ極まってもう死にたくなっている人には、とにかく会うこと。できる努力は全てして、その人と対面するための時間を作りだすこと。自分の一日をその人のために潰す覚悟を持つこと。
いい言葉をかけようとか、カッコいい自分を見せようとか、そういうことは意識しない。
相手が、
行動する気力が無いなら、ご飯を家で一緒に食べるだけでいい。
少し歩けるなら、公園で酒やタバコを一緒するだけでいい。
とにかく、時間を作って会うこと。
その上で、どこか外に連れ出すのがいいと個人的には思う。が、それが無理なら、ゆっくりしていればいい。そこでの行動や言動はある程度何でもいいと思う。
5年前くらいは「近くに居ること」とか「大丈夫という言葉をかける」とか、そういうのはまやかし的な意見だと思ってナナメに捉えていたが、いまはそうでもない。案外、それだけで良くなることもある。
それくらい、「自分の時間を相手に捧げる」という自己犠牲を伴った行動は、それ自体に価値がある。
だから、現時点では、それが僕の回答だ。
人生そういう日もあるだろう?
むしろそういう日ばっかりだろう?
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