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ザキング 永遠の君主 8.「遥か彼方の世界へ」

閉まりかけのシャッターと割れた窓ガラス、ガランと開いたままのドア。
数日間主人を失い、あまりにもみすぼらしく崩れていた金物店を見てテウルは小さくため息をついた。
キム・ボクマンの車から遺体で発見されたイ・サンドの金物店だった。

イ・サンドはキム・ボクマンが運営していた違法賭博サイトの会員であることが分かった。
借金も相当な額で、キム・ボクマンがイ・サンドを殺す動機は十分だという話だった。

それだけだろうか…?

結果的に、テウルはシンジェとともにイ・サンドの殺害に使われた凶器であるバールをゴミ捨て場から発見した。
そこからキム・ボクマンとイ・サンド2人の血痕が出たため、捜査は思ったより簡単に終結へ向かった。

捜査を終えようとするパクチーム長を引き止めたのはテウルだった。
釈然としない気分のためだ。
事件ごとに難度は違うが、今度の事件はおかしいほどすらすらと解けた。

犯人を捕まえる途中で見つかった遺体、血痕のついた凶器…
被疑者であるキム・ボクマンは絶対に違うと否認したが、全ての証拠がキム・ボクマンを正確に指していた。
まるで誰かが彼を犯人に仕立て上げるために画策したかのように…

もちろん、結局重要なのは論より証拠だ。
しかし石橋をもう一度叩いてみる価値はありそうだ…ちょっと面倒ではあるが。

シンジェが金物店の中に入って手がかりを探している間、テウルは携帯から電話をかけた。
相手は先日会ってイ・サンドに関する情報を得たばかりの彼の妻だった。
しかし、やはり電話には出ない。


「 奥さんの電話、切れてる。」


店から出てきたシンジェにテウルが説明した。
シンジェは「 だろうな。」という反応だ。


「 借金取りを避けて逃げてるんだろう。 この事件まだ追う気か? キム・ボクマンはどうせクズだ。違法賭博と殺人なら長くムショにぶち込んでおけるのに…なんでだ? 」

「 それが刑事の言うこと!?結局兄貴も一緒に来たじゃない。キム・ボクマンが冤罪で悔しい思いしないように…」

「 俺はお前の為に来たんだ。お前が悔しい思いしないように…追うなら今出てきた証拠から信じろ。お前の言う通り誰かが仕組んだ事件なら、その証拠が必ずある。」


頼もしくて心強かった。
テウルはじっとシンジェを見つめると笑った。
シンジェは金物店の引き出しから見つけた2G携帯をテウルに渡した。
指紋が付かないよう、ラテックスの手袋に包んだまま。


「 何かあるかもと探せば何かが出てくるもんだ。一応これも確認してみろ。」

「 おー、やるじゃんカン・シンジェ! 」




「 2年3組5番カン・シンジェー!!」


突然聞こえてきた大きな声にシンジェとテウルは振り返った。
すぐに相手を見抜いたシンジェが顔をしかめた。


「 今日はいったい何の日だ…過去から俺を呼ぶ奴ばっかりだな。」


シンジェを呼んだのは一人だが、その後ろから次々と仲間が横断歩道を渡ってシンジェとテウルがいる路地に入ってきた。
この町のチンピラ達だった。


「 いや〜いつぶりだ?高校を卒業して、この前の報告書からはもう3年になったか?こんな物騒な町に何の用だ。」


もったいぶりながら聞く親分を見たテウルは囁くようにシンジェに聞いた。


「 …担任? 」


そうでなければ同じ高校を卒業したとは到底思えない容姿だった。
ハゲ頭にしわが寄った肌はシンジェより20歳は老けて見えた。


「 いや、同級生だ。先に行け…こいつに殺されるぞ。俺がムショ送りにしたんだよ3年前に。」

「 あー…同級生が出所後に大成功したみたいね。子分がいっぱいだ。 」

「 みたいだな…俺の方はお前一人しかいないってのに。時々やっぱりあっちの道に進むべきだったかと後悔するよ。」

「 私を信じなさい。兄貴はもう立派な強力3チームの刑事でしょ。」


まるで鬼神のようにシンジェの言葉を理解したテウルが、ニヤリと笑いながらヘアゴムで髪を結った。
シンジェはそんなテウルを印象深い目で見つめていた。
髪を束ねて戦意を固めたテウルがシンジェより前に出てチンピラたちを指差した。


「 もしもし〜!そこの先生方〜そうやって道路を大勢で塞がれたら困ります〜! 」

「 なんだ恋人か?…あぁ、刑事さんか。最近俺は女刑事の方が怖くてね。転職でもしようかと思って。専業主夫にでもなるか? 」


親分ダルグの言葉に後ろに立っていた男達がゲラゲラと笑いだした。
余裕のあったテウルの顔が苛立ちで引きつり始めた。
テウルがどれほど苛立っているかも知らず、ダルグは更にいたずらっぽく挑発した。


「 怖いもの知らずが、2人で来たのか? 」


「 3人で来た。」


答えは意外な方向から出た。
対峙していた全員が、一瞬で声の主の方へ頭ごと視線を向けた。
向けた先にはコートを着てサングラスまでかけたゴンが微笑みながら立っていた。


「 ちょっと!どうやって来たの!? 」

「 車に乗って。君の正五品。なかなかいい車だな。」

「 な、何に乗って!?…とりあえず後で話そう、 後で…! 」


テウルは一度額に手を当てたあと、ゴンに下がるよう促した。
しかし、ゴンはいつの間にかサングラスを外してコートのポケットにきちんとしまい、体を動かす準備をしていた。
シンジェはそんなゴンを憎らしく睨みつけた。
謎の男の登場と知る由もないその関係に、ダルグが困惑しながら尋ねた。


「 お前ら味方同士か?3人で相手しようって? 」

「 私はただの見物だ。そっちの公権力だけを相手にしなさい。 」

「 紛らわしい奴だな…おい、2年3組5番のカン・シンジェをやれ!俺はコイツに山ほど借りがあるんだ! 」


ダルグの叫びに後ろに立っていた男たちが一斉に飛びかかった。
ゴンは一歩下がってシンジェとテウルの戦いを観察した。
今すぐ近衛隊に入ってもいいほどの動きだった。
テコンドー道場の娘、やはりただ刑事になったというだけではないようだ…
もちろん、シンジェの動きも。

満足気なゴンの視線が届くと、シンジェは相手のみぞおちに激しく拳を振りながらもゴンから視線を外さなかった。
身に覚えがないゴンとしてはシンジェの敵対感は理解できないが、理解もできた。
理解出来たことが少し煩わしかったりもした。
無駄に勘が良すぎる自分が厄介なゴンだった。

ゴンが肩をすくめると、シンジェはゴンから視線を外してテウルを見た。
テウルは見事な飛び蹴りで1人を地面に倒した。
その時、別の1人が凶器を持ってシンジェの背後を狙った。


「 ぅあッ…!」


倒れたのは凶器を持った方だった。
驚いたシンジェが振り向くと、いつの間にかゴンが男の肩をつかんで拳を振り上げていた。


「 なんだこの野郎は!おい、コイツを捕まえろ! 」

「 やめた方がいい。私は他人に触れられるのが…大嫌いなんだ。」


さっきまで笑っていたとは思えない涼しげな口ぶりだった。
そうやってゴンまで割り込んで、路地はめちゃくちゃになった。

最初は数的な劣勢で押されているように見えたが、実力の差があまりにも大きかった。
3人は素早くダルグ達を制圧した。
ほとんどの子分が倒れたとき、結局ダルグが降伏を宣言したのだ。

戦いが終わるや否や、テウルはゴンの腕をつかんで引っ張っていった。


「 頭おかしいの…!?運転!? あんた免許は!? 」

「 皇帝に免許はない。 免許証を発給する側だから。」


喧嘩を手伝ってくれたことを褒められると思っていたゴンは、テウルの叱りに厚かましくも言い返した。


「 いい加減にして!どうやってこの場所が分かったの? 」

「 君に会いに警察署に行ったら外回りだと言われた。ナビを見たら何度もここが映っていたので来てみたんだ。ここで会えてよかったよ。国科捜まで行くところだった。…ああ、ここだ。」


説明していたゴンはテウルの肩越しに手を上げた。
残って路地を整理してきたシンジェが、まめまめしくもコンビニで絆創膏まで買ってきたのだ。
シンジェはテウルに袋を差し出した。


「 適当に買った。飯でも食いながら貼ろう。」

「 こうしてまた会ったな。体は平気か?さっきはずいぶん殴られていたようだが… 」


テウルが袋を確認する間に、ゴンがシンジェにいたずらな挨拶をした。
シンジェはゴンを睨みつけながらきっぱりと答えた。


「 何でここに来た?さっきはてっきりあっちの仲間かと。」

「 2人してやめなさいよ!ご飯が先、ご飯が! 」


シンジェとゴンの間を分けたテウルが先頭に立って言った。


「 え〜なんでこんな適当に買ったの…最近は防水絆創膏もあるのに…これも、なんで1つだけ?大きい方が私のだからね! 」

「 きっちり半分に割ればいい。最初から大きい方を食べることばっかり考えるな。」


絆創膏と一緒にシンジェが買ったというのは、1つを2つに分けて食べる棒付きアイスだった。
テウルの横にシンジェが立ち、狭い路地とあっては中途半端なままウロウロと2人の後ろについて歩くしかないゴンだった。
アイスを見て大喜びしながらも、テウルがチクチクと呟いた。


「 初めから2つ買ったらいいじゃん。2人いるのに1つなんて… 」


たどたどしく後ろを歩いていたゴンはその場に立ち止まった。
さっき2人と向き合った時から感じていたことがあった。
シンジェとテウルは、長く一緒に過ごした時間と同じくらい親しく楽な関係に見えた。
ゴンにとってヨンが人生の一部であるように、シンジェとテウルにもそれを感じた。
その2人の気楽さが、ゴンには心地悪かった。

ゴンはボサボサになったテウルの髪をぼんやりと見つめた。
2人ではなく3人だということを、テウルは本当に気づいていないに違いない。


「 君、今日も帰りは遅いのか? 」


ゴンは食事を終えて食堂を出るテウルに聞いた。
テウルは後ろを振り返った。


「 なんでそんなこと聞くの? 」


ゴンの口元が寂しくなった。


「 挨拶をして行こうかと。また君を待つ事になりそうだから。」

「 どこに行くの? 」


ゴンは離れて歩くシンジェをちらりと見てから、テウルの疑問に答えた。


「 私の世界へ。私は皇帝だ。宮を長く離れすぎた。あの幢竿支柱のような形のアイスも2人だけで食べてしまうし… 」

「 家は並行世界にあるんだっけ?なに、漢南洞(ハンナムドン)から隣の梨泰院(イテウォン)にでも行くの?…ああ、呪文を思い出したとか? 」

「 行き方を知らなかった訳じゃなく、行きたくないから行かなかったんだ。」

「 ……そ。じゃあ気をつけて。帰りは遅くなるから。」


特別な未練もなく、テウルはくるりと向きを変えると再びシンジェの方へ歩いていった。

最初からゴンを寂しくさせる女性だった。
しかし、あの時はまだ大丈夫だった。
テウルが虚数ではなく実数0という事実だけで満足し、25年間の懐かしさが自分一人だけのものだということも頭では理解できた。
だが一ヶ月という時間は短いといえば短いが、長いとも言える。
その間にテウルが自分に対して何の感情も築かなかったという事実が、ゴンをより一層寂しくさせていた。

同じ世界に立っているのに、違う世界にいる気分だ。
テウルの世界にはこのひと月、最初からゴンなどいなかったかのように…





       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





夕暮れ時、久しぶりにマキシムスの背に跨ったゴンは早足で馬を走らせて竹林に到着した。
遅くなるというテウルに会う代わりに、書店に寄ってから来た。
帝国には存在しない詩人が書いた詩を読んできたところだった。




粉々に砕け散った名前よ
虚空に散った名前よ
呼べど主のいない名前よ
呼べば私が死んでしまう名前よ
心のうちに残る一言は
とうとう最後まで言えなかった…

“招魂” / 金 素月




林にさしかかると、目が痛むほどの赤い夕焼けが竹を照らしていた。
ふと、切々とした喪失の詩がこの林と調和しているような気がした。
朝はそんな雰囲気ではなかったのに…

ゴンは朝もここを訪れた。
正七品のマキシムスではなく、テウルの正五品に乗って。
その時は忘れずに鞭を持ってきた。
自分の持っている萬波息笛が、世界の扉を開く鍵になるかどうかはっきりさせておきたかったからだ。

そして、その通りだった。
息笛とともに林に入るや否や空には雷鳴と稲妻が走り、初めてここへ渡ってきた時のように巨大な幢竿支柱がゴンの前を塞いだ。
そう、まさに今、この瞬間のように…

ゴンは思った。
息笛が鍵なら、この世界に来て自分が立てた仮説は真実に近いのではないだろうか、と。
謀反の夜からリムの遺体が発見されるまでには半年という空白の時間が存在した。
半年の間、果たしてリムは大韓帝国の中で逃げ回っていたのだろうか。

彼の狙いが最初から息笛だったとすれば…ゴンよりもずっと前に、世界を越える門の存在とその門の鍵が息笛だという真実を知っていたはずだ。
そして息笛を持った彼が世界を越えたなら···
ここ大韓民国に来たイ・リムが、再び大韓帝国に戻り死を迎える必要があっただろうか。

ゴンは下唇をそっと噛んだ。
不吉な予感は間違っていないだろう。


「 イ・リムが世界を行き来する可能性…生きている可能性… 」


彼の可能性とともに、ゴンの心臓の鼓動が大きくなった。
この扉の中へ入れば、再び大韓帝国になるだろう。
ゴンは後ろ髪を引かれる思いで振り返った。
振り返れば、そこにテウルがいるようで…


もっと早く気付けばよかった。
美しいものを見てしまう前に…
行きたくない気持ちが大きくなる前に…

ゴンの瞳がおぼろげに揺れた。
どうしても行かなければならなかった。
答えが先に出ていても、解が必要だった。
ゴンはマキシムスの手綱を強く握った。





       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





金物店で見つけた2G携帯を鑑識班に預けた後、テウルは夜遅く退勤した。
退勤後はテコンドー道場の隣にあるカフェのオーナー、ナリと落ち合いスーパーで買い物をすることになっていた。
いつものようにカートを引いて買い物をしていたが、テウルはナリの話に呆れて足を止めた。


「 は…?いくら貸したって?? 」


マキシムスが庭先にいる間、面倒を見に来たゴンがナリと時々話をしていることぐらいはテウルも知っていた。
ナリはマキシムスに…いや、マキシムスのような馬を育てる男に関心が高かったし。
その関心はテウルがいくらゴンは正気じゃないと説明しても、簡単にはおさまらない種類の好奇心だった。

何もせず息をしているだけでも暮らしには困らないのに、わざわざこんな小さな町に来てカフェを開くほど、ナリは元々突拍子のない性格だった。
だからテウルもいつも通り気にせずほったらかしていた 。

しかし、お金を貸したなら話は変わる。
呆れ返ったテウルはナリを見つめた。


「 200万と7560ウォン。 チェックアウトしないといけないのにホテル代がちょうどそれだけ足りなかったんだって。」

「 アンタんちは金庫の鍵が閉まらないの…?手元に7560ウォンしかないのにそれを最後まで使い切ろうとする奴に、そんな大金を貸したの!? 」


いくら金持ちだからって…
テウルはもどかしくて胸を叩いた。
ナリは肩をすくめて陳列台に置かれた飲み物をカートに入れた。


「 並行世界から来た皇帝なんだって? 」

「 あんたはその言葉を信じるの? 」

「 私、天体観測サークルだったから。彼は歩幅も正確、発音も正確、会話も上手。あれは並大抵の教養じゃない。あの人はきっと只者じゃないから今に見てて、2倍になって帰ってくるはず。」


ナリが自分とは人を見る観点が全く違うということはよく分かっていた。
それでも、大韓民国の警察としては貸し倒れ…いや、貸し倒れになる予定の知り合いを黙って見ているわけにはいかなかった。


「 で、キム・クソ野郎は今どこにいるの? 」

「 帰ったんじゃない?自分の世界に。さっき家に帰るって言ってたけど? 」

「 え…? 」


テウルは、その時になってやっと昼の会話を思い出した。
自分の世界に戻ると挨拶をしに来たということか…

あの時はとても慌ただしく、また戯言を言うのかと思って軽く聞き流した。
なのにナリにまで同じ話をしたなんて…なぜかいい気分ではなかった。
あれだけ騒がしかったゴンが家に帰るなら良かったと安心しなければならないのに、なぜかえって胸が苦しくなるのか…分からなかった。
ナリがカートを押して説明した。


「 彼、自分の国の皇帝なんだって。 宮殿をあまりにも長く空けたから戻らないといけないって。」

「 ……。」



どうやってスーパーから出てきたのか分からない。
家に帰るというナリと別れ、テウルはスーパーの袋を両手いっぱいに持ったまま庭先に立った。
幼い頃から今日まで、毎日向かい合い慣れ親しんだ庭だ。
ところが、なぜか不自然に感じられた。
マキシムスとゴンがいない。
狭い庭を占めていたマキシムスの姿が見えなかった。
自分を待っていそうなゴンもいなかった。

本当だったみたいだ。
本当に…「家」へ帰ったようだ。
家というところが、テウルが一人では訪ねることもできない程遠いところなのかもしれないと思うと、何も考えられなかった。
そうやって考えてしまうこと自体がとんでもない並行世界の話を信じ始めているという事でもあったが、テウルはまだ気づいていなかった。

テウルの耳に残るゴンの言葉…


「 行く方法を知らなかった訳じゃなく、行きたくないから行かなかったんだ。」


そう言い張っていた人はいなくなり、テウルとゴンの声だけがぽつんと庭に残っていた。




ザキング 永遠の君主
   8.「遥か彼方の世界へ」

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