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ザキング 永遠の君主 9.「君がいないこの場所」

ピーーーー!!!

検査台の機械音が耳元をかき乱した。
宮殿に入るためには誰もが検査台を通過しなければならなかったが、ソリョンは毎回ここで警告音を鳴らす人物の一人だった。
いつも検査台に引っかかる下着を着用していたからだ。
腕を広げたソリョンの体を宮人がくまなく調べていく。


「 急いでください。上から時間を稼げと言われていても、急ぎましょう。」


検査台でソリョンの足を掴んでおけという命令があったのも事実なので、宮人はさらに困った様子でソリョンの体を調べた。
やはり他の問題はなく、下着のせいだった。
ソリョンが静かに笑いながら検査台を降りた。
先に入って待機していたキム秘書がソリョンのそばにぴたりと並んだ。


「 このようにむやみに押し入っても大丈夫でしょうか…書面報告を受けるときも2回確認したかと思えば3回強調して、明らかに様子がおかしかったですし… 」

「 だから来たんじゃないの。皇帝は今、宮殿にはいないわ。」

「 それなら、なおさら来てはいけないと思いますが…もし本当に宮殿にいらっしゃらなかったら問題にするんですか? 」

「 問題にしてこそ、私が皇帝の問題になれるじゃない。」

「 どういう事ですか…?なぜですか? 」

「 皇帝は問題を解くのが好きだから?…ここで待ちなさい。 」


ソリョンの欲には限りがないと思いながら、キム秘書は言われた通り立ち止まった。
皇帝の執務室に出入りできるのは、大韓帝国内でも5本の指に入る人物だけだ。
ソリョンは堂々とした足取りで執務室に向かう廊下を歩いた。


「 宮を気軽に出入りできる商店か何かと勘違いしているようね! 」

「 保安検査台で時間稼ぎをしようとしましたが、失敗したようです。」

「 訪問目的の欄には何と? 」


ゴンの最側近であるノ尚宮とモ秘書が息を切らしながら話をする声だった。
何とかしてソリョンが皇帝の執務室に行くのを防ごうとする動きが慌しかった。
あんなに急いで…あれでは皇帝がいないという事実を立証しているようなものだ。
ソリョンは廊下を進みながら自信満々に答えた。


「 陛下に国政報告をしに来た、と書きました。」


向かい合ったノ尚宮の顔には鋭い剣幕が立っていた。
そして怒りを隠さずソリョンに声を荒げた。


「 国家非常事態でなければ書面で報告するようにとはっきり通達したはず。実務担当者同士で話はついていたのに、どうしてこんな狼藉者のような入宮を! 皇室の敷居をもっと高くしなければならないのですか?一国の総理に、礼儀作法から教えなければならないのですか!? 」

「 一歩お下がりになってみては? 」


ソリョンの穏やかな脅迫だった。
目を見開いたノ尚宮の唇が堅く閉じられた。


「 陛下が行方不明になったそうですね。これがまさに国家非常事態です、尚宮様。私はごまかされませんよ。こんなふうに隠されては困ります。」

「 陛下はずっと書斎におられて、今は御就寝中です。」

「 なら私は真っ直ぐ寝殿に向かえばよろしいのですね。 」

「 線を越えたこの無礼者が…!!任期5年の選出公務員の分際でなんというッ…! 」


ノ尚宮の目には霜柱のような激しい怒りが湧いていた。
ソリョンの野望はいつか皇帝を害するだろう…ノ尚宮はいつも戦々恐々としていた。
そして自身の野望を目の敵にするノ尚宮のことを、ソリョンも嫌悪していた。
自分がやってきたことを勝手に低く評価するのも許せなかった。


「 先に行かないでください、尚宮様…線は今から超えるんです。 モ秘書、陛下に伝えて下さい。私が執務室で待っていると。」


冷たく言い放ち、ソリョンはノ尚宮に向かって目を伏せた。


「 おどき下さい。」

「 動くでない!この宮で私が引き下がるとでも!? 」

「 それではお互い困りましたね。大韓帝国で私の前を塞ぐことができるのは皇帝陛下ただお一人。力は私の方が強いんですよ?尚宮様… 」


ソリョンは躊躇うことなくノ尚宮を押し除けた。
権力も腕力も、老いた尚宮よりソリョンの方が強いことは誰もが知っていた。
しかし、まさかソリョンが本当にノ尚宮を押し除けるとは誰も思っていなかった。
ノ尚宮本人が一番驚いたはずだ。
突き飛ばされたノ尚宮は驚いて身を震わせた。
しかし、ソリョンは気にもしない表情で執務室のドアまで押し開けた。


「 ……!!」


がらんとしていなければならない執務室だった。
それを見越してこんな無理なことまでしたのだから…

皇帝は一ヵ月間外部に姿を現さなかった。
こんな長い外出は初めてで、皇室でもこれを収拾するためにSNSを通じて皇帝のあらゆる写真を掲載し、国民の関心を逸らしていた。

ところが、ゴンは執務室の机の前にすっくと立っていた。


「 今週の報告は書面で受けると伝えたはずだが…? 」


暗色のナイトガウンを羽織った楽な姿で、ゴンはソリョンを見つめながら尋ねた。
隣に立っていたヨンはまるで訳がわからないといった眼差しでソリョンを眺めていた。
慌てるのはソリョンと同じだったノ尚宮だが、唇を一度噛んでからスッと表情を変え、満足げに話した。


「 はい、そうです。お伝えしたのに…いきなり総理が押し入ってこられたのです。せっかくですので手短に報告を受けられてはどうですか?陛下。」

「 では そうしようか?ノ尚宮は下がって仕事を続けてくれ。」


ノ尚宮は渋々と執務室のドアを閉めて退室した。
夜更けの時間、明かりを灯した執務室にソリョンはバツの悪い顔で立っていた。
ゴンは机の前に進み,ソリョンに向かって冗談ではない冗談を言った。


「 長い間解けていなかった難問を解いていました。 心配をかけて申し訳ない。こんな時間まで退勤もできず。 」

「 国の仕事とはそういうものです。答えは出ましたか?私は数学が苦手で、答えが解らないときはいつも0か-1のどちらかにしていました。」

「 不思議ですね。 私の答えも0でした。」


いくら皇帝でも、一ヵ月もの間数学問題を解いている筈がなかった。
ところが本当に答えが0になる問題があったかのように話すゴンに、ソリョンの眉の片方が微妙に上がった。


「 羨ましいです。私が握っていた問題は誤答だったのに。 少し日焼けされましたか?ずっと書斎にいらっしゃると思っていましたが… 」

「 そうですか?書斎がある光栄殿は昼には陽の光が降り注ぎ、夜には星が手で掴めそうなほどよく見えます。お祖父様が光栄殿を建てる時、大金を費やしたようです。」


臆面もなくしゃあしゃあと言ってのけるゴンに、ソリョンは声を出して笑った。
それからすぐ真顔になり口の端を上げた。


「 国政報告は言い訳で、陛下のご不在を確認しに来たわけですが、やはり来てよかったです。 陛下は今日、私に借りが出来ましたね。」


そんなはずはない。
ゴンはソリョンに借りなどなかった。
ソリョンがやってきたこの夜、ゴンは執務室にいて、ソリョンはゴンが不在だったといういかなる証拠も見つけられなかった。
終始余裕のあったゴンの表情も徐々に強まった。
ソリョンは最後まで自信満々だった。


「 この問題もよく解いてみてください。 それでは、来週お会いしましょう。」


「 …ク総理 」


後ろを向こうとするソリョンをゴンが呼び止めた。


「 はっきり言います。気を悪くしたくはなかったが、傷付かずに心して聞いて欲しい。」

「 ……。」

「 私は、私のすべての瞬間が大韓帝国の歴史となり、その歴史が不滅であることを願っています。 私はこの国の皇帝ですから。 しかし善良な性情だけでそれは可能でしょうか? だから私は総理に貸しなど作りません。」


ソリョンがただ感づき推測したところで、それを貸しとして残すことはできないという意味だ。
これまでソリョンのどんな挑発にも優しく答えてきたゴンだったが、今日だけは冷たく断固としていた。


「 私が不在だった時間が後日、どのように記録されるかもう少し見守りましょう…理解できましたか? 」

「 ……!」

「 それでは、来週会いましょう。」


ソリョンは固まったままゴンを見つめていたが、仕方がないというように丁寧に頭を下げ、執務室を後にした。
ソリョンが完全に去ってから、ゴンは机に手をつき安堵の息を吐いた。
そして同時に、ガウンの下から覗くズボンが外出着だったことに気づいた。


「 あ… 」


不覚にも慌ててしまった。
ソリョンの自信満々さが今になって一気に理解できた。
だが衝撃に陥っている暇もなかった。
再び執務室のドアが大きく開き、ノ尚宮が押し寄せてきたからだ。


「 チョ隊長はしばらく出ていてください! 」

「 そこにいろ。国と皇室の明暗が今お前に懸かってるんだ、ヨン。 」


執務室を出ようとしたヨンは瞬時に固まった。
いずれにせよ自分の主人はゴンだったため、ヨンは命令に従い立ち止まっていた。
ノ尚宮はゴンの元へ一気に詰め寄り、背中でも大きく殴るように手をあげたが、それより先にゴンが母のようなノ尚宮を抱きしめた。
ノ尚宮がどれほど心配したか、すべて推し量ることはできなくても分からないわけはなかった。


「 悪かった。また迷惑はかけると思うが、次は心配させないよう努力してみるよ。」

「 心臓が一日に何十回もくっついたり落ちたりして…そんなにこの老いぼれが死ぬのを見たいのですか?海外にでも行かれたら葬儀に間に合いませんよ!三日葬にすべきか…五日葬にすべきか… 」

「 自信を持って言うが、そなたは長生きする。」

「 ああ、もう…なんてこと… ク総理はスパイでも送り込んでいたのかまるで幽霊のように押し入ってくるし…宮人たちの間にも噂が立つし….インターネットに変な文でも出回ったらと………ん?」


終わりそうもない嘆きを並べるノ尚宮の声が突然、ぴたりと止まった。
ゴンの懐からぱっと離れ、ノ尚宮は急いで机の下に置いてあった上着を手にした。


「 これは何ですか…?ボタンは?全部どこに行ったんですか?? 」

「 ああ…それが、急な事態が起きてちょっと使ったんだ。こっちと貨幣が少し違ったから。本当に···“一寸先は闇”とはよく言ったものだな。」

「 あんな高価なものを!?沢山あったのに…!こんな風に1つ残らず…あぁ… 」

「 滞った仕事が山積みなんだろう?言ってくれ、全部やるから。」


ゴンはノ尚宮をなだめながら、彼女の背中をそっと押して執務室の外に押しやった。
そうしてふと、ノ尚宮のように小言を並べたりせずじっと立ったままのヨンの顔色を伺った。


「 あいつは何で一言も喋らないんだ。不安そうな顔して… 」


その言葉にもヨンは沈黙を貫いた。
一ヵ月も姿を見ていなかったのだから嬉しくて自分を抱きしめても足りない状況だが、そう素直になれるはずもなく、不遜とも取れる不満げな視線をゴンに送った。


「 ノ尚宮、ヨンの目を見たか…?今私を睨んだぞ。ノ尚宮!聞いているのか!? 」


ヨンはゴンの目を盗んで無線機を手にした。


「 プヨン君様の警護レベルを”平時”まで下げろ。」

-はい!


待ちに待った皇帝の還宮だった。





       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





車から降りてドアを閉めた後、建物に向かって歩いていたテウルはふと立ち止まった。
初めて光化門でゴンに出会い警察署に連れてきた時、ゴンが取り調べを受けている間、マキシムスは警察署の前に繋がれていた。
人々が集まってマキシムスを見ていたその場所が、今はがらんとしていた。
「入ってくる人には気付かないが、出て行く人には寂しさで気付く」ということわざは、こんな状況のことを言うのだろうか。

庭でも警察署でも、しばしばマキシムスとその主人のことが思い出された。
確かに、マキシムスもゴンも消しがたい強烈な記憶ではあった。
シンジェはゴンが去ったあとになくなったものはないかとテウルに尋ねたが、そんなことは全くなかった。
敢えて問題を挙げるなら、いたずらに寂しくなったテウルの心だけが問題だった。
ゴンが残していった言葉が特別おかしかった訳でもない。


ー ついに、きみに会えたな…チョン・テウル警部補…

いつ私を知ったの?ついに私に会えたと言っていたけど…

- ありがとう。君がどこかにいると思えたから、あまり寂しくなかったんだ…25年間。

私は何もしていないのに、ありがとうなんて…


テウルはそら笑いを浮かべた。
ついに戯言にすっかり染まってしまったようだ。
むしろゴンが消えてくれて幸いだったのだ。
もしもあともう少し一緒に時間を過ごしてたら···
そう思いながら建物に向かって歩いていたテウルは、ポケットに入れていた手に違和感を感じふと立ち止まった。

ポケットから車のキーを取り出すと、そこにはライオンのぬいぐるみがぶら下がっていた。
今まで気づかなかった自分に呆れるほど存在感を放ったライオンのキーホルダー。
誰かがぶら下げたのかもしれない。
いつ、誰が…?
本能的に浮かんだのはゴンだった。

テウルは早足で強力3チームの事務所に向かった。
事務所の真ん中に置かれた大きなホワイトボードにはキム・ボクマン事件に関する資料が乱雑に、しかしそれなりの規則を持って張りつけられていた。
テウルはキム・ボクマンとイ・サンドの顔と彼らと繋がりのある人物の写真を注意深く観察した。

ゴンのことを考えて時間を過ごす時ではなかった。
一日も早く真犯人を見つけ出したかった。


「 証拠が証拠だ…証拠が証拠になる……必ず証拠がある……… 」


テウルの悩みが深まった。





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尚衣院(※サンイウォン)に入ると、ゴンはノ尚宮に尋ねた。


「 そのボタンがない上着のポケットに入っていたものはそなたが保管しているんだろう?両ポケットにあったものは書斎へ、内ポケットの本は寝殿へ置いておいてくれ。」


左のポケットにはライオンのキーホルダーが、右からはチキン店のスタンプカードが出てきた。
内ポケットに入っていたのは金素月(キム・ソウォル)詩集だった。
ノ尚宮はしばらくその詩集を眺めていた。
それらをすべて確認したのに、ノ尚宮は余計な考えを消すかのようにゴンの言葉には答えず、 ギュボンに催促した。


「 時間がないから準備しなさい。」


ギュボンは用意されていた黒いスーツを持ってゴンの方へ近寄ってきた。
葬儀用の喪服だった。
それに気づいたゴンは、驚きの目でノ尚宮を見た。


「 昨夜、陛下の軍上官だったチェ・ギテク艦長のお父上がお亡くなりになりました。」

「 お加減が悪いとは伺っていたが… 」

「 陛下の軍同期の方たちもご出席なさるそうで、巷の噂を一蹴し、陛下のご健康な姿をお見せするためにもご参列下さい。」


ゴンは苦々しい表情でスーツを見ながら呟いた。


「 ……良かった。間に合って。」

「 ですから、次からはちゃんと行き先を…! 」


と小言を言おうとしたノ尚宮は、ハンガーにスーツと一緒に掛けてあった黒いネクタイを手に持って一瞬立ち止まった。
ネクタイを渡す手に切なさがにじみ出ていた。


「 お入りになる時はお締めになって、しばらくの間だけご辛抱ください。」


仕方がなかった。
ゴンはネクタイを受け取りながら頷いた。
葬儀場は聖堂だった。
ゴンは大聖堂に入る直前、やっと手に握っていたネクタイを無理やり首にかけた。
緩く結んでも首が締め付けられるようでゴンの顔色はすぐに暗くなったが、周りが気付くほどの素振りは絶対に見せなかった。
聖堂にはすでに海軍制服を着た数多くの将校が集まっていた。
ゴンとボート競技を共にした同期もいた。
弔問の行列が長いのを見ると、確かにチェ・ギテク艦長は海軍内でも皇帝の上官になるほど模範的な人物であるようだ。
ゴンは遺影の前に頭を下げて哀悼の意を伝えた。
喪主であり師匠でもあるチェ艦長がゴンに挨拶した。


「 ご参列下さり感謝致します、陛下。」

「 ご無沙汰しています。このようなことでお目にかかるのは大変残念です。 私は軍人として剛直な艦長に従い、模範を示す大人として尊敬していました。 お父上もとても誇らしかったと思います。」


ゴンは8歳で既に父を失っていた人だった。
その心からの言葉に、チェ艦長は深く頭を下げた。


「 陛下の誠意に感謝致します。」


かすかな笑みでゴンは慰めの気持ちを伝えた。
皇帝は柔らかいからこそ強い…そうチェ艦長は感じていた。


「 光栄殿にだけいらっしゃると聞いて心配しましたが、杞憂だったようです。 またいつでもいらしてください、艦橋の上に。元海軍大尉としていらっしゃっても良いし、大韓帝国軍の元師としていらっしゃっても良いです、陛下。」


彼の招待に快く頷いて、ゴンは聖堂を出た。
聖堂の前に集まっていた記者たちは、久しぶりに外出したゴンを撮るために慌ただしくシャッターを切った。
行く道をあまり騒がせたくはなかった。
ゴンは無表情な顔で急いで歩き、まっすぐ待機していた車に乗り込んだ。

後ろのドアを閉めたヨンが助手席に乗り込むや否や、皇室機動隊のバイクを先頭に皇帝の車は出発した。
ゴンは腰をまっすぐに伸ばしたまま後部座席に座り、車が記者団から遠ざかるのを待った。
そして記者たちの姿が見えなくなった瞬間、ゴンはすぐにネクタイを外した。
我慢していた激しい呼吸がすぐに沸き起こった。
ゴンは手の甲で額に染み出た汗をぬぐった。


「 はぁ··· 」


押し寄せた古いトラウマにゴンの息が荒くなった。
無慈悲な伯父の大きな手、父を殺した手、その手によって首が絞められた瞬間があっという間にゴンの意識に浸透した。

ゴンをサングラス越しに見ながら、ヨンはあえて表情を引き締めた。
ゴンは強い人で、このような状況を昨日も上手く乗り切った。
そばで助けられることはなかった。
運転手がルームミラー越しにゴンの様子を伺っているのが見えた。


「 運転にだけ集中するように。それが陛下の安全だ。」

「 …はい、隊長。」


いつもの硬いヨンの声はゴンの慰めとなった。
ゴンは徐々に安定を取り戻していった。
首元まで上がっていた白いシャツのボタンをゆっくり外し、上着も楽な服に着替えた。
身なりが緩むとゴンの表情もさらに和らいだ。


「 ヨン、私とずっと喋らないつもりか? 」


帝国に帰って以来、ヨンは近衛隊長として必要な言葉の他にはゴンに一切声をかけていなかった。
何も言わず留守にしたことで酷く心を痛めたようだった。
とても心配したはずだ。
ヨンの傷ついた心をどう癒せばいいのかとゴンは考えていた。
そっと尋ねたゴンに向かって、ヨンは助手席から手を差し出した。


「 なんだよ、手をつないでくれって? 」

「 携帯電話を下さい。GPS追跡アプリをインストールします。陛下に繰り返し無断で··············書斎に篭られると私の首が飛ぶので。」


ヨンの無愛想な返事に、ゴンはヨンがクビになどなる筈はないと知りながらも、素直に携帯を預けた。
どうせ他の世界に行けばGPSなど役に立たないが、この方法でヨンの心が晴れるならそれでいいと思った。

ゴンを乗せた車は悠々と走り、次の行き先へと向かった。




※ 尚衣院(サンイウォン)…王宮の日用品と宝物の管理を受けもつ官庁





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入り口から廊下に至るまで、ゴンは建物にいた学生たちの熱烈な歓声と向き合わなければならなかった。
ゴンは自分を歓迎する生徒たちに慣れたように手を振った。
諸国民の愛を一身に受ける皇帝…そのタイトルを維持できることが嬉しかった。
自分の存在が誰かにとっての喜びであり慰めなら、断る理由がなかった。
そのために重い責任と義務を果たしているのだ。

教授室の前に差しかかったゴンはドアをノックした。
入って来るようにという声はいつもより心細く聞こえた。
ゴンがドアを開けて入ると、机の前に座っていたジョンインが驚いて立ち上がった。


「 陛下…!」


驚きで自分を迎える“おじ上”に、ゴンは信頼の笑顔を見せた。


「 参りました、叱られに。」


皇帝である自分が宮殿を空けると、皇位継承序列一位であるジョンインの警護段階が上がる。
今回は一ヵ月も席を外していたのだから、ジョンインはさぞ疲れたことだろう。


「 お元気でしたか? 」

「 陛下も、お元気そうで何より。家も大学も、近衛隊の目を避けられる場所はないのでコンビニにも行けず、ビール一缶も思いきり飲めませんでしたよ。 陛下は楽しかったですか?今回はどちらまで? 」


これまでの不便を吐露しながらも、ジョンインは心温まる様子でゴンに尋ねた。
ゴンが一年に一度、心の病気を患うように宮殿をふらりと去ることを理解してくれる人だった。
同じ皇族なので宮生活の息苦しさを理解することもでき、過去のゴンの痛みを最も近くで見守ってきたジョンインは、ゴンを気の毒に思う部分もあったのだろう。
何より気性が善良で、ゴンの不足な点までも大きく包み込んでくれるような…そんな存在のジョンインにゴンはいつも感謝していた。
父の穴は埋められなくても、それでも失った肉親の情を少しでも感じられる気がして…


「 …今回は、遥か遠い所へ行ってきました。人生で一番楽しい旅行になりました。」

「 こうして楽しくお喋りするのも良いですが、そろそろ身を固めて太子をもうけていただかなくては。皇帝としての義務を果たさなければなりませんよ。」

「 まるで時代劇だ…朝鮮時代のようでしたよ、今。」


ゴンの冗談に、ジョンインはケラケラと笑った。
ふと、ゴンの視線がジョンインの本棚の上に置かれた家族写真に止まった。
現皇帝にとって脅威にならないために、必然的に離れて暮らさなければならないジョンインの家族が一堂に会していた。


「 あそこに私の好きな写真がありますね。小学校の春の遠足の時に撮った写真です。 桜の花が満開で、私は片手でノ尚宮の手を握り、もう片方の手でおじ上の手を握っていました。一生家族と生き別れて暮らしているおじ上の手を… 」

「 陛下… 」

「 おじ上はそんな私が憎くはないのですか? 」

「 憎むなど…とんでもないことです。」

「 私の父の異母兄は、自分の弟を殺して甥である私の首を絞めました。 おじ上の子や孫達は、私のために一様に国を追われました…それも一生。だから気になるのです。私の父の従兄弟は、私の味方でしょうか?敵なのでしょうか…? 」

「 何を聞くのですか、陛下…!とんでもない話です。 私が私の心を証明するために子供たちの首を刎ねましょうか?親としてそれだけはどうしても出来ず、一生と分かっていても断腸の思いで海外へ送ったのです。いったいどんな悪い噂をお聞きになったのですか…? 」


ゴンは首を横に振った。
リムとジョンインは全くの別人だった。
ゴンは幼くして皇帝の座に就き、多くの者がジョンインに近づき揺さぶったが、彼は一度も揺らいだことがなかった。
むしろゴンが皇帝になるまでその座を守ってくれた人こそがジョンインだった。
それを今さら知らんぷりする訳ではなかった。


「 どんな噂にも私は惑わされません。私が聞いているのは別の話です。…もしや、私に隠し事があるのでは…? 」


70歳を超え、深いシワが刻まれた目元がぐらりと揺れた。
ゴンに隠し事があるとすれば、それもまたゴンのためだった。


「 私はおじ上を心から信じ、慕っています。私には何も隠さないでください。」


丁重に言ったゴンが、今日の訪問の本当の目的を懐から取り出した。
ジョンインが直接作成した逆賊イ・リムの遺体検案書だった。


「 これは私が長い間解いてきた問題です…私1人では証明できないので置いていきます。」


震える手で、ジョンインは古い遺体検案書を手に取った。
静かに教授室から出ていったゴンは、いつからこれが偽物だということを知ったのだろうか…
ジョンインは忘れていた過去を思い出した。

25年前のむごたらしい夜…皇帝を殺害し謀反を起こしたイ・リムは逃げた。
皇室の禁軍と軍警がその後を追ったが、半年が過ぎてもリムは見つからなかった。
リムは、見つかることなく自ら訪ねてきた…死体となって。
漁師が発見した遺体は波に揉まれ、全身の骨が砕けた状態だった。
自殺と推定されたが、近衛隊の射殺にしたのはジョンインの決定だった。

揺れる皇室の威厳を建て直すためで、その日の決定を後悔したことはなかった。
しかし目の前の遺体検案書には、単純に自殺を射殺に偽装するために作られた事実よりも重要な嘘があった。
ゴンが長い間解いてきたという問題は、その根本的な嘘に関するものである。

ジョンインの憂いが深まった。


ジョンインの研究室を出たゴンは、車に乗る前にキャンパスの建物を見て回った。
ゴンのそばにぴったりと寄り添ったまま、ヨンが尋ねた。


「 どうかしましたか? 」

「 ここも、図書館は同じ場所にあるんだろうか? 」

「 …図書館ですか? 」


ヨンが聞き返している間に見慣れた建物がゴンの目に留まった。
ゴンはここが図書館だと確信し、大きな歩幅で歩き始めた。
        



ザキング 永遠の君主
   9.「君がいないこの場所」

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