ザキング 永遠の君主 42.「燦然と輝く記憶だけが」
大韓民国のイ・リムの竹林にも幢竿支柱が姿を現した。
手錠をかけられたリムの手には息笛が握られていた。
テウルはリムの背中に銃口を当て、一歩ずつ扉に近づいて行った。
最後に後ろを振り返ったテウルは、生まれ育った世界を目に焼き付けた。
見えるのは暗闇の中で風に揺れる竹ばかりだったが、テウルは戻れないこの場所を記憶に留めておきたかった。
そしてついに…
テウルはリムにのみ開かれる次元の扉の中へリムと共に足を踏み入れた。
扉の中に広がっていたのは異様な光景だった。
住む世界が入れ替わった無数の人々の写真が、まるで遺影のように宙を漂っていた。
扉の中に入るや否や、テウルはすぐにリムの手から息笛を取り上げた。
息笛を奪われたリムはふてぶてしい顔でテウルを睨んだ。
「 それで…どうするつもりだ? 」
「 待たないと…イ・ゴンが過去で謀反を阻止して世界を元どおりにするまで。もし彼が失敗した時は…私があんたを殺して阻止する。」
テウルは持っていた銃をリムに向けて構えた。
リムが口の片端を上げた。
「 甥が世界を元に戻せば、お前はイ・ゴンに関する全ての記憶を失うことになるぞ。 」
「 そう…だから胸が苦しくて張り裂けそうなの。その美しくて眩しい記憶が全部…心に刻み込まれてるから。 」
カチリ…
撃鉄を起こして銃を装填したテウルは歯を食いしばった。
「 ここで銃は使えない。時間も空気も…何ひとつ流れていないのだからな。」
「 そんなの分からないでしょ。まだ誰も…ここで銃を撃ったことなんてないはず。」
世界が正しい方向に進むという信頼は一体どこから来るのか…
依然としてリムは理解できなかった。
世界とはそうして手にするものではなかった。
足元へひざまづかせ、力で屈服させ、掴むものだった。
テウルはリムに狙いを定めたまま微動だにせず、ただひたすらゴンの成功だけを祈った。
その時、テウルの片手に燃えるような痛みが広がった。
驚いたテウルは手の中の息笛を見下ろした。
亀裂の生じた息笛は燃え上がり、瞬く間に灰のように消えていった。
あまりに一瞬の出来事に、その光景を見ていたリムもまた当惑した顔でテウルを見つめた。
そしてすぐに何かを悟ったように笑い出した。
「 私が…手にしたのだな。ついに私が!完全な萬波息笛を手に入れたのだ…!!」
ギラギラと目を輝かせたリムは楽しそうにそう言った。
結局は自分がやり遂げたかのように…
「 私の笛が消えたなら、甥が持つ片割れも消えたはずだ。残念だったな…もうイ・ゴンは永遠に帰ってこない。お前も私と…永遠にこの場所へ閉じ込められるのだ。」
絶望の中、テウルは空っぽになった自分の掌を見下ろした。
本当にゴンはリムを殺せなかったのだろうか…
信じられなかった。
信じたくなかった。
そんなテウルの挫折がリムには愉快だった。
「 甥は失敗したようだな。見ての通り、私は無事だ。」
「 …あんたが無事でいられるわけない。イ・ゴンが失敗したならなおさらッ…! 」
テウルは迷わず引き金を引いた。
カチッ…!カチッ…!
しかしいくら引き金を引いても、やはり起こるべき事は何も起こらなかった。
銃弾が銃口から放たれることはなかった。
それでもテウルは諦めずに引き金を引き続けた。
絶望の底から祈りを込めて…
リムはそんなテウルをあざ笑った。
「 下賤の者のはかない望みを見るのは愉快だが………さすがに我慢の限界だ。」
テウルの動きが止まったその隙を突き、一気に距離を詰めたリムはテウルの首に手を伸ばした。
その瞬間だった。
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タン!タン!タンッ…!!
立て続けに鳴り響く銃声と共に、ゴンとヨンは廊下を守っていたイ・リムの部下たちを素早く処理していった。
天尊庫では父の血を踏んだ8歳の幼いゴンが、今まさにリム目掛けて四寅剣を振り上げたところだった。
しかし剣が振り降ろされるよりも先に、ギョンムが幼いゴンの後頭部に銃を突きつけた。
以前とは違う状況だった。
「 …殺せ。 」
リムは毒蛇のような目でギョンムに命じた。
幼いゴンの死が…
運命を変える瞬間が…
目前に迫っていた。
タァーーンッ!!!
その時、
一発の弾丸によって撃ち破られた天尊庫の天井窓が、激しい音とともに砕け散った。
リムは咄嗟に腕を上げて降り注ぐ色ガラスの破片を防いだが、しかしそれと同時に握っていた萬波息笛を床に落としてしまった。
非常事態を知らせる警報が鳴り出し、各所に取り付けられた赤い警光灯も目まぐるしく回り始めた。
ー 天尊庫に非常事態発生。
近衛隊は今すぐ集結せよ。
近衛隊は今すぐ集結せよ。
無線からは緊迫した声が聞こえてきた。
突然の襲撃に乱されたリムの部下たちは、ゴンとヨンに向けやみくもに銃弾を浴びせた。
ヨンはすぐさま幼いゴンに覆い被さり、全身で銃弾を防ぎながら部下たちを相手にした。
2人だけで戦うにはあまりに不利な状況だったが、ゴンとヨンには命をかけてでも守りたいものがあった。
ゴンは飛び交う銃弾をかわしながらリムに照準を合わせ、引き金を引いた。
リムは素早く横にいたギョンムを盾にした。
ダンッ!!
以降、その一生をリムへの忠誠に捧げたギョンムの虚しい死だった。
心臓を撃ち抜かれ即死したギョンムを盾に使いながら、リムは床に落とした息笛を散乱したガラスの中から探し出した。
手にした完全な萬波息笛をリムが握りしめた次の瞬間、突然ゴンの胸元に焼けつくような痛みが走った。
急いで内ポケットに入れていた息笛を取り出すと、亀裂の生じていた息笛は瞬く間に燃え上がり、灰のように消えていった。
ゴンが顔を上げると、息笛を手にしたリムはすでに天尊庫を抜け出していた。
ゴンは前に立ちはだかるキム・ギファンと残りの手下を処理しながら、逃げたイ・リムの後を追った。
足、肩、背中…すでに体の至る所を撃たれ朦朧としていたヨンは、ぼやけ始めた視界の中で走り去るゴンを見つめた。
腕の中にいる幼いゴンの脈拍は微弱ながらも確かに動いていた。
幼いゴンは生きていた…
ヨンは安堵した。
幼いゴンは、ヨンがゴンに初めて会った時と同じ顔をしていた。
こうしてみると、8歳で即位した皇帝は思っていたよりずっと小さくて幼かった。
ヨンは切ない目でゴンを見つめた。
しかし、一緒にいられる時間は束の間だった。
非常警報を聞いて駆け込んできた宮人たちの声と足音が天尊庫に響いた。
ヨンは見つからないよう急いで身を隠したが、引きずる体は水に濡れた綿のように重かった。
ぼんやりと薄れていく意識の中でもゴンとの記憶だけは鮮明だった。
自分はゴンとともに育ち、泣き、笑った。
だからこそ…情の深いロマンチストな主君が次元を隔てた切ない恋をすることも、最後には2つの世界を背負って進まなければならないことも、不憫でもどかしかった。
それでも今日、ゴンは1人ではなかった。
ゴンが孤独ではないことを常に願っていたヨンにとって、それは大きな慰めとなった。
割れた天井窓の下、
はらはらと舞い降りてきた白い雪が閉じていくヨンの瞼にそっと重なり…
涙と共に頬を流れ落ちた。
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雪道を駆け抜けてゴンはイ・リムを追った。
その手には裏門に立て掛けておいた四寅剣が再び握られていた。
最も忠実な側近までをも自分の盾として使ってしまったリムの元には、もはや手下は1人も残っていなかった。
血にまみれ、狂ったように走り続けたリムが息を切らしながらようやく竹林に到着した時だった…
突然吹き始めた風と、立ち込めた神妙な気運がリムを包み込んだ。
神秘的な光が闇を照らし、巨大で完全な幢竿支柱が目の前にそびえ立っていた。
荘厳な扉を眺めながら、リムは恍惚の表情を浮かべた。
「 私の思った通りだ…やはり……私が正しかった。これこそが別世界に続く扉なのだ…! 」
歓喜に沸いたリムが扉の中へ入ろうと足を踏み出した…まさにその時だった。
「 逆賊 イ・リム!!! 」
天地を裂くような声が竹林にこだました。
リムが後ろを振り返った瞬間、鋭い剣が息笛を持ったリムの腕を斬りつけた。
鋭い眼光を放つゴンもまた、全身を赤黒い血に染めていた。
切られた腕の苦痛にのたうちながらも、リムは獲物を逃さない獣のように地面に転がった息笛に手を伸ばした。
ゴンはリムのそのもう一方の腕にまで容赦なく四寅剣を振った。
「 ゔぁああッ!! 」
イ・リムの呻きが響き渡った。
地面を這いながらゴンを睨み上げたリムは、悔しさに満ちた叫びを上げた。
「 貴様は一体何者だッ…なぜ私の邪魔をする!!どこでその四寅剣を手に入れたのだ!? 」
「 …私は大韓帝国の皇帝であり、四寅剣の所有者であり……貴様に降りかかる天罰を執行する者だ。 」
「 皇帝だと…?皇帝はたった今私の手で殺してきた!貴様が皇帝のはずがない…!! 」
ゴンは四寅剣を握る手に力を込めながら、父親から教わった四寅剣の文言を噛みしめるように吐き出した。
「 天は精を降ろし…地は霊を救う…日と月が形を成し…山川が生み出され…稲妻が走る… 」
リムは直感した。
「 …成長した太子か。これも息笛の力なのだな。貴様は…イ・ゴンか!! 」
別世界への扉が開かれるだけではなかった。
時間の扉まで開くことができるのだ。
それを悟り、再び息笛を掴むために這い出したイ・リムは果てまで狂っていた。
ゴンは沸き上がる怒りを剣に込めた。
ようやく父の教えを…皇帝の召命を…果たすことが出来る。
「 天地万象の根源を動かし…山川の邪悪を退け…玄妙な道理として斬り…これを正せ。………逆賊イ・リムを打ち首に処す!! 」
四寅剣がイ・リムの首を切り裂いた。
白い雪原に、青い竹に、赤い血が飛び散った。
黒い鳥の群れが一斉に飛び立っていった。
……ダーーーンッ!!!
同時に、テウルの銃から放たれた弾丸がリムの心臓を貫いた。
ゴンの扉の中ではついに想思花が芽吹き、強い風に乗り一気に舞い上がったその赤い花びらはリムの扉の中にまで吹き込んだ。
宙に浮いていた写真は次々と消滅し、倒れたイ・リムはあっけなくその目を閉じた。
そしてその屍は息笛と同じように…瞬く間に灰となり消えていった。
「 …成功したんだね。じゃあもう2度と…帰ってこれないんだ…… 」
風に舞う花びらの中で
たった1人残された暗黒の中で
テウルは静かに涙を流した。
ゴンは自分の首筋に手を当てた。
首の傷は完全に消えていた。
ー 2つの世界が今と違う方向に
流れたら…それじゃ私はあなたを思い出せなくなる。私はあなたを知らないまま生きていくことになる…
涙に咽ぶテウルの声だけが残った。
溢れた涙がゴンの頬を伝った。
2度と会えない遠く離れたその場所で、2人は互いを想いながら共に泣いた。
ゴンの書斎の黒板に書かれた数字が消え、テウルの部屋に置かれた大韓帝国の写真と紙幣が消え、ゴンが大事にしていたテウルのヘアゴムが…強力3チームの記念写真の中で笑っていたシンジェが…テウルが持ち歩いていたライオンのキーホルダーが……
すべてが…
跡形もなく消え去った。
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ヨーヨーを回しながら街を歩いていた少年は、地面すれすれに下りていたヨーヨーを強く引き上げた。
真っ赤な糸は今にも切れそうなほど細かった。
切れそうで…しかし切れなかった。
少年はくるくると回り続けるヨーヨーを見下ろした。
「 切れると思ったのに…芽が出たのか。扉は閉まって記憶だけが残るだろう。」
切るべきか…
そのままにすべきか…
少年は少年であり
青年でもあり
時には老人で
宇宙のどこにでも存在した。
少年は神である故に…
少年は最後に
勢い良くヨーヨーの紐を下ろした。
ザキング 永遠の君主
42.「燦然と輝く記憶だけが」