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ザキング 永遠の君主 12.「1と0の間を超えて」

「 今から何が起きても驚くな。ただ私を信じろ。」


驚く間もなかった。

マキシムスに乗ってゴンの腕に包まれたまま、テウルは竹林に差し掛かった。
前回と同じ竹林だったが、今回は違っていた。

雷鳴が轟き稲妻が走り、現れた巨大な幢竿支柱…
マキシムスはその扉をよどみなく飛び越えた。
次の瞬間、そこは全くの別世界だった。


「 陛下!! 」


テウルはぎゅっと閉じていた瞼を恐る恐る開けた。
暗闇の向こうで明かりが揺らめき、切羽詰った声とともに忙しない足音が近づいてきた。


「「「 陛下!!! 」」」


テウルの目に飛び込んで来たのは目前に並んだ数人の男たちだった。
黒いスーツを着た彼らは深刻な表情で”陛下”と叫びながら周辺を囲んでいた。
テウルは悲鳴が漏れるのを必死に堪えた。


「 近衛隊は直ちに10歩後退しろ。ヨン…お前も。この人が驚いてる。」


ゴンの命令で近衛隊は直ちに後退した。
ゴンが”ヨン”と呼んだその人を見たテウルは、驚きで目を見開いた。


「 今の…あの人…!」


「 ああ。君の世界ではウンソプ君… 」


平然と答え、ゴンは笑みを浮かべた。
自分がウンソプを初めて見た瞬間に感じた混乱を、これでテウルも理解するだろうか。
戸惑ったままヨンから目が離せないテウルの耳元で、ゴンは低く静かに問いかけた。


「 ほら、私の言ったことは全て合っていただろう? 」


テウルはぼんやりとゴンの方へ顔を向けた。
ゴンが後ろからテウルを包み込む姿勢だったので、テウルが振り返ると二人の顔は触れそうなほど近かった。

涼しい顔をしていたゴンの表情が一瞬固った。
こんなに近くで顔を見合わせたのは初めてだった。
驚いたゴンはテウルの白く澄んだ顔を見下ろした。
髪を結ぶたびに思ってはいたが、近くで見るとさらにはっきりと見えた。

綺麗だった…テウルは。

ゴンは、新しい世界に適応できず呆然としている状態のテウルに告げた。



「 私は大韓帝国の皇帝で、呼んではいけない私の名前は… イ・ゴンだ。」



初めて自分の名前を伝えながら、ゴンはひょっとしてテウルが馬から落ちるのではないかと心配になり、腰にまわした腕に力を込めた。
テウルはこの世界そのものが不思議だろうが、ゴンにとってはテウルが自分の世界に来たことが不思議だった。
ゴンの口元に濃い笑みが浮かんだ。

ゴンの命令通り10歩下がっていた近衛隊の無表情な顔が僅かに崩れた。
ゴンは国民に対していつでもどこでも和やかな微笑みを贈る皇帝だったが、宮廷ではむしろ殆ど笑うことのない皇帝だった。
近衛隊はゴンを誰よりも近くで見守ってきた人たちだったため、ことさら驚いたのだ。
ゴンの心からの笑顔と、その笑顔を一身に受ける女性の姿に…

そんなゴンを無愛想な目で見ていたヨンが収拾に乗り出した。


「 宮にご案内します。」

「 マキシムスが先だ。老いた身体に長旅で無理をさせてしまった。乗馬場へ来い。」


そう言ったゴンは、再び手綱を握るとヨンを残して乗馬場の方向へ走りだした。
ヨンは顔を歪め、すぐに近衛隊員に命令した。


「 今すぐ乗馬場勤務者全員を撤収させ、2人は管制室に行って監視カメラの映像を確保しろ。2人は私について来い…! 」

「「 はい!」」


ヨンとホピルは急いで馬に飛び乗ると、ゴンとテウルの後へ続いた。

今では少し慣れてきた馬上で、テウルはそっと後ろを振り向いた。
近衛隊の硬い顔は恐ろしいほどで、後ろに見える竹林の残像は薄暗かった。
完全に深い闇に包まれた竹林は、どう見ても自分が通ってきた道とは違って見えた。
竹林から竹林に通り抜けただけだったが、その間にあった道は”空”でも”地”でもない、知るすべのない”無”でも”有”でもない時空間だった。
そこには光も風も空気も存在しなかった。
虚しくて美しい眺めだった。

二つの世界をつなぐ1と0の間の道では、時間も違う方向へ流れていた。
そこでの1分が外での1時間だとゴンは教えてくれた。

テウルはもう一度前を見た。
見渡す限り明るくライトアップされた広い乗馬場とその後ろに見える宮殿…
神秘的で美しかった。

時間はもうちゃんと流れているはずなのに、テウルはまだ時間が止まっている感覚に包まれていた。
信じられない夢の中にいるような気分だった。

テウルは自分の背後で馬を追うゴンの心臓の鼓動を聞いた。
これは現実なのだと…ようやく実感が沸いた。
どこからか波の音まで聞こえてくるようだった。


「 私の宮へようこそ。」


ゴンの声だった。





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確かに現実だという事実を悟ることと、大韓民国のようで大韓民国ではない大韓帝国を受け入れることは別の問題だった。


「 マキシムス様は前回の検診の時より血圧が少し低いですが、すべて正常範囲内です。」


ゴンは馬屋に戻るとマキシムスを休ませた。
マキシムスは乾いた干し草と水を飲みながら、皇室専属の馬医から健康状態の確認を受けていた。
ゴンがマキシムスを正七品と言ったとはいえ、「 様(나리ナリ) 」と呼ばれることをすぐに受け入れられるわけもなかった。
テウルは今頃カフェから帰宅したであろう、カフェのオーナーであり後輩でもあるナリのことを思い出した。


「 夜が明けたらまたよくお調べ致します、陛下。」

「 頼みます。」


後ろ手を組んだまま温和な口調で馬医を見送ったゴンは、テウルに向かって満足気に言った。


「 見ただろ? 私の言ったことは一から十まで全部合ってただろう? 」

「 …それで、目の前にいるパンク寸前の人間は見えないの?これが全部ほんとなら恐ろしいし、全部ほんとじゃないならもっと恐ろしい… 」

「 陛下への礼は守ってください。」


ゴンとテウルの会話を見守っていたヨンは、我慢できずに苦言を呈した。
テウルは驚くほどウンソプに似ているヨンの顔を睨みつけた。


「 特にこの顔…!この顔は私の味方なはず…3歳の時から私の味方だったのに!…その銃は、本物なの?1回見せてもらえる? 」


テウルの視線はヨンの腰へ向かった。
銃に手を伸ばそうとするテウルにヨンは顔をしかめ、その手を瞬時に掴み上げた。
ゴンはそんなヨンを制した。


「 扱える人だから好きにさせてやれ。そこまでやれば信じるはずだ。」

「 何を信じるのですか。」

「 1と0の間を超えてきた…ということ? 」


意味の分からないことを言うゴンに、ヨンは悔しそうな目を向けた。
あの夜、御医を呼びにいった間に逃げるように消え、戻ってきたのが今だった。
前回と違ってすぐ戻ったのは良かった。
無事であったのも良かった。
しかし、一人で出掛けて一人で帰ってくることはあっても、誰かと一緒に帰ってきたのは初めてだった。
それも女性と…

平凡な女性であっても宮殿は大騒ぎになるというのに、ヨンが持つ銃に関心を示す女性など、どう考えても平凡には見えなかった。
いくらゴンが承諾したとしても、皇帝であるゴンに対してあまりにも無礼な振舞いだった。
それなのにゴンは煙たがる様子もない…
今、説明が必要なのはヨンの方だった。

しかし、結局ヨンは今回も数多くの疑問を黙って受け止め、仕方なくテウルに銃を渡した。
銃を受け取ったテウルの目は輝いた。


「 冗談じゃない…これが本物?このP30が、本物のP30?ならちょっとだけ確認させて貰う。他意はありませんから… 」


銃を手の中で回していたテウルはあっという間に銃を装填し、すぐそばにいたゴンに狙いを定めた。

ダダダダ…!!!

一糸乱れぬ音とともに近衛隊の銃がテウルへ向けられたのも一瞬だった。
そしてテウルの銃口の前には、ヨンが立ちはだかっていた。
首元まで閉めてあるシャツのボタンのように、息が詰まるほど揺るぎない姿勢だった。


「 陛下のお客様だからと、我慢するのはここまでです。 」


堅苦しく言ったヨンからは表情が一切読み取れなかった。
それでもテウルは一つだけはっきりと悟った。
かなり怒っているようだ。
皇帝の代わりに自分の体で銃を防いだ近衛隊長を前にして、テウルは呆然とつぶやいた。


「 この国も…皇帝も…全部本物だっていうの…? 」

「 全部本物だ。その銃も、この世界も、私も。 引き金を引いて確認する必要はないという話だ。 彼はこの場を一歩たりとも動かないはずだから。」


ゴンが説明を終えると、ヨンは自分に突きつけられた銃口を素手で掴んだ。


「 手の力を抜いて下さい…死にたくなければ。」


テウルは力を抜いて銃を渡した。
銃を受け取ったヨンは、ここでようやくテウルの顔をはっきりと確認した。
竹林では辺りが暗く、馬屋に来てからはあまりに呆れて気づかなかった。
ヨンは立ち止まったまま振り返り、ゴンに視線を送った。
目が合ったゴンは、すぐに”ヨンの話”に気付いたようだった。
ゴンはにっこり笑いながら頷いた。


「 そうだ。チョン・テウル警部補。」


ゴンが25年間見つめ続けた身分証の中の主人公。
その主人公の顔を、もちろんヨンも知っていた。
ゴンの言葉に、ヨンは固まったままテウルを見つめた。
時計ウサギを探しに行くと言っていたこの前の外出が思い出された。

ゴンはいったいどこへ行ってきたのだろう…

整ったヨンの額にしわが寄った。




ザキング 永遠の君主
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