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ザキング 永遠の君主 25.「血と剣と正義」
スイートルームの窓際に立ち、ヨンは考え込んでいた。
その時、カードキーをかざす電子音とともに誰かが部屋に入ってくる音が聞こえた。
訪問者は一人だと思っていたが、近づいてくる足音は二人分だった。
後ろを振り返ったヨンとシンジェの目が合った。
リビングまで付いている広い部屋に入ってきたシンジェも、警戒しながら足を止めた。
「 一人で来るはずでは?」
「 二人とも帰ったんじゃなかったのか? 」
矢継ぎ早に飛んできたヨンとシンジェの厳しい質問に、呆れたテウルは肩をすくめながら一気に答えた。
「 一緒に来たし、一緒に帰らなかったの…!この空想科学には二人とも必要なんだからいがみ合わないで。分かった!? 」
シンジェが戻ってきてくれてどれだけ安心したか。
テウルは隣をチラリと見上げた。
シンジェの表情は強張っていたが、それでも心強かった。
テウルは自分の家のように部屋の真ん中を横切ってカーテンを引いた。
現れた巨大な窓ガラスは、ボードにするにはうってつけだった。
すでにテウルが書き込んだものがたくさんあり、右側に大韓民国、左側に大韓帝国、中間には四角い幢竿支柱が描かれていた。
イ・サンドとチャン・ヨンジ、キム・ギファンの写真が貼られており、ヤンソン療養院の名もあった。
テウルはシンジェにこれまで捜査したことについて説明した。
「 イ・サンドは民国から帝国に渡った。 」
そう説明し、テウルがイ・サンドの写真を大韓民国から大韓帝国に移した。
「 チャン・ヨンジは民国から帝国に移る準備をしていて…
「 キム・ギファンは元いた帝国に連れ戻しました。」
続けて帝国側にヨンが付け加えた。
「 この三人の共通点は2G携帯だけど、チャン・ヨンジの携帯はまだ見つかってない。また拘置所に行かないと… 」
シンジェはキム・ギファンの写真を指差し
た。
「 こいつを連れ戻しただと…? 」
「 元の場所に戻しただけです。」
ヨンの硬い答えにシンジェは苛立ちながら噛み付いた。
「 それをなんでお前たちが勝手に決める…?行方不明者になったらどれだけ処理が面倒になると思ってんだ。 」
「 この世界の法で裁けるとでも?」
「 法で裁くために連れ戻したのか…?何の罪だ、不法滞在か? 」
「 ならそっちも同じ罪になるのでは? 」
ヨンの言葉は鋭かった。
まだ、テウルはシンジェの正体について何も知らない。
シンジェは驚いて思わずテウルを見た。
テウルは目を丸くして首をかしげた。
「 何の話…? 」
「 …いつチャン・ヨンジの拘置所に行く?」
シンジェは慌てて話を逸らした。
その様子を見たヨンも、「コーヒーを出す」と言ってその場を離れた。
テウルは不審そうに二人を見たが、帰ってくる答えはなかった。
結局、チャン・ヨンジの携帯を探すことがテウルとシンジェに今できる最善の行動だった。
そう結論を下した二人はホテルを後にし、ヨンはまた一人になった。
いくつかの名前が書かれた窓ガラスを眺めるヨンの表情は、さっきよりも暗かった。
シンジェの身辺調査のため、少し前にヨンはシンジェの家を訪ねていた。
そこで見慣れた顔を見かけた。
シンジェの母親が、宮殿で働く宮人の一人と同じ顔をしていたのだ。
見過ごす事はできなかった。
何か掴めそうな気がしたヨンは、そのままシンジェの母親の後をつけた。
そして、シンジェの母親がイ・ジフンの母親と知り合いだったという思いがけない情報を得た。
シンジェの家族が平倉洞の邸宅に住んでいた時代、イ・ジフンの母親のソン・ジョンヘが住み込みの家政婦として働いていたのだ。
ヨンは窓ガラスに書き込んだ新しい名前を見つめた。
大韓帝国のカン・ヒョンミン。
そして、大韓民国のカン・シンジェ。
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四方が塞がった拘置所の面会室で、テウルはチャン・ヨンジと向かい合って座った。
テウルの後ろには腕組みをしたシンジェが立っていた。
チャン・ヨンジは刑事のテウルとシンジェを前にしても平然としていた。
最初の取調べの時と同様、無表情のままで…
テウルが携帯について聞くと、チャン・ヨンジはまばたきもせず、知らぬ存ぜぬを通した。
「 スマートフォンと2G携帯を一台ずつ持ってましたよね…? 」
「 何の話ですか。知りません。」
「 知ってると思うんだけどな。」
テウルは持っていた切り札を取り出した。
イ・サンドの2G携帯だった。
「 この携帯、あなたのですよね? 」
2G携帯を机の上に置くや否や、チャン・ヨンジの仮面が割れた。
絶対に誰にも見つからない方法で隠しておいたのに…
その一瞬の当惑を逃さず、テウルはチャン・ヨンジを追い込んだ。
「 この携帯には誰かに聞かれたらマズいものが録音されていて、それをルームメイトに聞かれてしまった…だから台本で見た通りの方法で彼女を殺害した。殺しても、必ず誰かが逃げ道を用意してくれるから…そうでしょ?この携帯は誰から受け取ったんですか? 」
揺さぶりをかけると、チャン・ヨンジはすぐに崩れた。
チャン・ヨンジの声が震えていた。
「 …なんの…ことだか… 」
不安気に揺れる瞳が正解だと言っていた。
チャン・ヨンジにも、隠している2G携帯が確実にある…
そして、それはイ・リムが関係しているという証拠だった。
視線を交わしたテウルとシンジェは、すぐに面会室を出た。
「 とりあえずイ・サンドの携帯で騙したけど、チャン・ヨンジは携帯をどこに隠したんだろう。家には充電器しか無かったし………って兄貴、私の話聞いてる…? 」
テウルの話も聞かず、シンジェは別の場所に気を取られていた。
シンジェの視線を追うと、駐車場から猛スピードで出て行く一台の車が見えた。
「 なに、知ってる車…?」
以前も見かけたことのある車だった。
前回はたしか…パクチーム長と一緒に焼肉屋で食事をしていた時だった。
ありふれた車種で、そこは問題ではなかった。
しかし、運転席の人物に見覚えがあった。
しばらく考えていたシンジェの頭の中には、はっきりと浮かぶ顔があった。
「 知ってる気がした…運転は俺がする。 」
テウルは足早に車へ向かうシンジェの後を追いかけた。
警察署に到着したシンジェは、記憶していた車のナンバーから車両照会を試みた。
“7370”
盗難車で、所有者は行方不明だった。
深刻な顔で話すシンジェに、テウルは配達された石焼きビビンバのビニール袋を開けながら涼しい顔で答えた。
「 刑事を見張る奴らの常套手段でしょ。でも、焼肉屋の時が初めてなのかな?なんで拘置所にまで来たんだろう…何か心当たりはないの? 」
シンジェはテウルが座るテーブルへ近づくと、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
しばらく考え込んでいたシンジェは、意を決したように話を切り出した。
「 話してみろ。」
「 …何を?」
「 お前が行ってきたっていう場所…空想科学の。 」
シンジェはテウルを見ずに尋ねた。
テウルが驚いた目で自分を見ているのを感じた。
箸を持ったが、どうしても食事は喉を通りそうになかった。
テウルにだけは言いたくなかった。
隠したかった。
ただ、このまま生きていたかった。
家族のようで、友達みたいな、時にはもう少し特別な関係で…テウルを横に置いて…
しかし、隠し通すにはあまりにも多くのことが起こっていた。
何よりも”あいつ”が自分の周辺をうろついていることが不快だった。
「 …たった1日だけだった。 」
テウルはシンジェが信じてくれることを願いながら、自分が見てきた世界について語り出した。
「 大韓帝国っていう所。南北は分断されてなくて、鉄道で平壌まで行けるの。首都は釜山で、国民に愛される…皇帝がいる。 」
下を向いたまま、シンジェは黙々とビビンバを混ぜていた。
愛される皇帝…
彼が悲しみに声を上げ泣いていた日を、シンジェは覚えていた。
「 うちの警察署にも行ってみた。制服もパトカーも何もかも違くて寂しかったけど、チーム長とシム先輩がいて嬉しかった。あっちの世界でも警察だったよ…運命なのかな。……それから、兄貴を探しに行った。 」
シンジェが顔を上げた。
「 でも兄貴は…いなかった。警察署にも、平倉洞にも。家業を継いで財閥になったとか?どこか海外に移住したのかな…だったら羨ましい。」
「 ……ここにいたから。 」
「 え? 」
テウルが大韓帝国のカン・シンジェを訪ねた。
だが見つからなかった。
カン・ヒョンミンはここにいるから…
深呼吸を一つして、シンジェは口を開いた。
「 …食べるぞ。食べたら、一緒に行くところがある。」
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シンジェがテウルを連れて行ったのは納骨堂だった。
すでにこの世を去った人達の写真が辺り一面に並んでいた。
そして彼らを懐かしむ花たちが、季節を忘れて咲き乱れていた。
どこへ行くのかも言わずに先を歩いていくシンジェの後ろに、テウルはただついて行った。
ようやくシンジェが誰かの遺影の前で立ち止まった。
写真を見たテウルは目を見開いた。
テウルも知っている子供の顔…イ・ジフンだった。
テウルはその時になってやっと、ここが自分の調べていたイ・ジフンが眠る納骨堂であることに気づいた。
「 兄貴が……どうしてここを知ってるの?」
「 お前に頼まれてたから渡してほしいって、キョンランが資料を持ってきたんだ。…それを見た。チョン・テウルは何を追っているのか、どこに向かっているのか、気になって。それで来てみたら……ここだった。」
「 あ…この子が誰かっていうと…
説明しようとしたテウルの言葉をシンジェが遮った。
「 知ってる。だから来たんだ。お前があっちで俺を見つけられなかった理由も、知ってる。 」
「 ……何なの? 」
「 お前、俺が刑事になった理由を覚えてるか…?いつか誰かに”お前は誰だ”と俺の正体を聞かれたとき…その瞬間、手に銃を持っていたかったんだ。そいつか俺を撃つために… 」
以前にも一度聞いた話だった。
その時も今も、理解できない話だった。
シンジェもその時はまだ確信できていなかった。
ただ運命のような考えがシンジェを支配していただけだった。
しかし、今はもう分かった。
自分が撃ちたかった相手は「あいつ」だった。
自分を異世界に連れてきた黒い影…
「 何の話…?兄貴の正体って? 」
「 ウンソプがウンソプじゃなかった日…あの皇帝とかいう身元不明者の名前も知った。 」
「 名前…?彼が、自分の名前を言ったの…!? 」
そんなはずはなかった。
テウルは驚いて聞き返した。
シンジェは気が抜けたようにそら笑いをこぼしながら、首を横に振った。
「 いや。呼んでみたんだ。ずっと俺の記憶の中にあった名前を… 」
シンジェは、幼い皇帝の名前を覚えていた。
「 イ・ゴン…間違いなかった。俺はここにいる…こっちに…お前の隣に。向こうの世界でお前が俺を捜せなかった理由は…俺だった。 」
淡々と自分の事を話すシンジェを前に、テウルは驚いたまま何も言えずにいた。
山頂から吹いてきた冷たい風が、二人の間を殺伐と吹き抜けていった。
「 ここまでが事実で…俺が何者なのかはまだ分からない。」
すべてを打ち明けると、胸のつかえが降りたと同時に怖くなった。
テウルは自分を誰だと思うのだろうか…
緊張したまま、シンジェはテウルに視線を向けた。
目を赤くしたテウルはぼんやりと呟いた。
「 ここにいたんだね…兄貴は。ここにいた…… 」
「 ここで合ってるのか…?お前は……俺を歓迎してくれるのか…? 」
どこにも属せなかった時間だった。
その時間の寂しさが、胸の奥から込み上げてきてどっと溢れそうになるのを、シンジェは唇を噛みしめて必死に堪えた。
しかし、抑えきれない涙がシンジェの瞳を満たしていった。
テウルはいつになく小さく見えるシンジェを両腕で抱きしめた。
テウルにも分からなかった。
ここが正しいのかどうか、何もわからなかった。
それでもただ一つはっきりしていたのは、目の前の人間が自分には”カン・シンジェ”だということだった。
長年、共に過ごした兄のような存在…
テウルの腕の中で、シンジェはようやく我慢していた涙を流した。
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夜更けの大韓帝国。
宮殿へ向かう支度を終えたジョンインは、最後に書斎の本棚から持っていく本を選んでいた。
カチッ…
その時、突然書斎の片隅に明かりが灯った。
机の上のランプシェードが光を放っていた。
驚いたジョンインは恐る恐る目を凝らした。
机の椅子に深く腰掛けていたのは…
イ・リムだった。
明かりに照らされたリムの顔と衣服は、一面真っ赤に染まっていた。
ジョンインの家を守っていた者達の血だった。
「 ク、クム親王…!!そなた…どうして歳を取らず…! 」
25年前から何一つ変わらない顔。
襲ってきた本能的な拒否感と不吉な予感に、ジョンインは後ずさりした。
リムが陰惨な笑みを浮かべた。
「 なぜ驚くのですか。 私が死んでいないことは最初から…誰よりも長い間知っていたはず。 」
「 …誰かいないか!!」
「 その誰かは、ここに来る途中に私が全員殺しました。」
今にも座り込んでしまいそうにジョンインは震えていた。
リムは、あの夜手に掛けたイ・ホと同じく柔弱なジョンインが滑稽で仕方なかった。
「 驚かないでください。 私は私のものを取り戻しに来ただけです…従兄上。」
リムは銀色の指輪を持ち上げてみせた。
イ・リムのものだと思っていた遺体がはめていた指輪…
ジョンインが25年間隠していた指輪だった。
「 下に置け…!私たちには持つことさえ許されない皇帝の指輪だ!」
「 長子は私です…!!母が側室だっただけ。私のものでなければならなかったのだから、私のものです。」
「 詭弁だ…私たちは皇帝にはなれないのだ。それを欲してはいけない…!!」
「 “私たち” …?従兄上と私は絶対に”私たち”になどなれません!!! 」
椅子から立ち上がったリムは、逃げる気力もない老人に向かって勢いよく近づいた。
そして一気にジョンインの首を掴むと、激しく壁に押し当てた。
壁に背中をぶつけたジョンインは呻き声を上げた。
リムは自分の手から逃れることのできないジョンインを見下ろし、笑った。
「 今すぐにでも従兄上の息の根を止められる者と、同等になれるとでも…!? 」
「 …イ………リムッ……!! 」
おそらくこれが最後の言葉になるだろう。
リムは狂気に目を光らせながら、更に強い力でジョンインの首を締め上げた。
「 私はこうして甥の息の根も止め、萬波息笛を奪います。 そして、完全な息笛を持つ唯一の者になるつもりです…!! 」
「 ……くぁッ…! 」
「 そうして従兄上のような人間は死んでも見ることの出来ない二つの世界を支配してみせます!もしかしたら、もっと多くの世界かもしれない…完全な息笛を手にすれば、どれだけ多くの扉を開くことが出来るか……!!! 」
腕に伝わる微弱なもがきまでも、徐々に静まりつつあった。
「 そのためには…甥を絶望させ、破滅に追い込まなければなりません。甥には心から慕う誰かをまた失ってもらわなくては… 従兄上を…!!! 」
リムはジョンインの首を締める手に最後の力を込めた。
絶対に閉じないかのように見開かれて血走ったジョンインの目が、徐々に閉じていった。
力なく崩れた遺体は、床に音を立てて倒れた。
リムは膝を曲げてしゃがみ込み、ジョンインの指に持っていた銀の指輪をはめた。
「 恨まないで下さい…賢い従兄上なら予想していた展開でしょう? 」
いつのまにか顔についた血は乾いていた。
血まみれのまま、リムは悠々とジョンインの家を後にした。
外では、誰かの死を悲しむように冬の空が泣いていた。
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血を拭うこともせず、血濡れたまま黒い傘を差して書店に向かっていたイ・リムの足が、ピタリと止まった。
一人の少年が、書店の看板の下で雨宿りをしながら本を読んでいた。
黒いウサギのフードを被った少年は、本屋の前で時折ヨーヨーをしていた少年だった。
気配を感じた少年が顔を上げてリムを見上げた。
その瞬間、激しい稲妻がリムの背後に落ちた。
傘をさしていたリムの顔の上に、燃え上がる亀裂のような長い傷跡が現れた。
少年は、血にも傷跡にも驚くことなくリムをじっと見つめていた。
「 なぜお前は驚かない…? 」
「 好奇心が強いから。血は嫌いなのに…喧嘩でもしたの? 」
「 喧嘩の途中だ。 勝敗はまだ先にある…何を読んでいるんだ? 」
「 アーサー王。高貴な血筋の者が剣を抜いて王になる物語だよ。」
ー 岩に刺さった剣を抜く者、その者こそが伝説になるのだ…
少年が本の中の一節を読んだ。
リムの目つきが鋭くなった。
「 高貴な血筋の者が王に…? ふざけた童話だな。 高貴な血ではなく、正しく剣を使える者が王になるべきだ。 」
「 それが正義を持たない悪人だったら? 」
「 正義が剣を持つのではなく、剣を持つ者が正義なのだ。」
少年は素っ気なく呟いた。
「 おじさんの世界はコロコロ変わるんだね。」
リムは驚いて少年を見下ろした。
「 気をつけてね。僕はこの話の結末が知りたいから続きを読まなきゃ… 」
少年は再び本に集中し始めた。
ただの子供ではない…
リムはしばらくの間、少年を眺めていた。
ザキング 永遠の君主
25.「血と剣と正義」