
ザキング 永遠の君主 27.「オス書店」
皇室専用機を降りるゴンの顔は一面悲痛に染まっていた。
辺りを鮮やかに照らす日の光さえ無色に感じた。
ゴンの心は、夜の闇より深い暗黒の中にあった。
黒い喪服を着た宮人たちが専用機の前に列を成し、近衛隊がゴンの歩みを守っていた。
階段を降り、地面を踏んだゴンの意識が一瞬薄れた。
血の気のない白い顔で、ゴンは気を取り直して再び歩き出した。
ゴンの歩みに合わせ、宮人たちと皇族たちは腰を曲げ深々と頭を下げていく。
切ない小雪が、ゴンの後を追うかのように舞っていた。
「 ……ノ尚宮様ッ!! 」
ゴンの後ろを歩いていたモ秘書の悲鳴が聞こえた。
ゴンが驚いて振り返ると、気を失って倒れたノ尚宮がモ秘書に抱えられていた。
光景を見守っていた人々の嗚咽する声は一層大きくなった。
25年ぶりの国葬だった。
プヨン君の訃報は、かろうじて堪えていたゴンの心を崩壊させた。
血に染まる廃墟…
25年前と同じ場所に、ゴンは立っていた。
絶望的だった。
また一人、愛する人が去ったという現実が。
生き残ったのはまた、自分だけだという事実が。
ゴンはたった一人で儀式車両に乗り込み、葬儀が行われる寺へと向かった。
大韓帝国は深い悲しみに包まれ、街には皇室の紋章が刻まれた白い旗がはためいていた。
市民焼香所が設けられた光化門には、偉大な皇室の年長者”プヨン君”と、優れた医学博士”イ・ジョンイン教授”を偲ぶ人々の弔問行列が出来ていた。
葬儀は臨時に設置された禮葬都監(※れいそうとかん)で行われる予定で、到着した寺にはすでに数多くの謹弔の花輪が並んでいた。
ジョンインは国際医療救護産業の首長として数多くの発展途上国の人命も救ってきたため、駐韓大使をはじめ各界の人々も弔意を表してきた。
法堂の真ん中にかけられたジョンインの遺影…
その微笑んでいるジョンインの前に、ゴンは呆然と立ち尽くしていた。
幼い頃のように声を出すこともできなかった。
ゴンは白く乾いた唇を噛み締めながら悲しみに耐えた。
木鐸の音と読経の声だけが、法堂を守る近衛隊の厳しい雰囲気の中で響き渡っていた。
もはやジョンインの顔を見ることもできず、ゴンの空虚な目には燃えていく香炉だけが映った。
写真に残るジョンインとの思い出が次々と蘇ってきた。
春の遠足の時、ジョンインは父親代わりとなって幼いゴンの手を握り、優しく微笑んでくれた。
時々碁を打ち、新年には決まって一緒に日の出を眺めた。
ゴンの目に赤い血筋が浮かび上がっていく。
何度も涙を堪えてきたゴンの喉元が揺らいだ。
今日だけは、ネクタイのせいで喉が締め付けられる苦しさも我慢できた。
ジョンインを見送ることに比べれば、遥かにマシだった。
そうしてゴンはかろうじてその場に立っていた。
「 ……総理? 」
周りには聞こえない小さな声で、キム秘書はソリョンを呼んだ。
二人も法堂の一角で葬儀に参列していた。
キム秘書がソリョンを呼んだ理由はほかでもなかった。
「 今…笑われました? 」
ソリョンが小さく笑っているのを見たキム秘書は当惑した表情で尋ねた。
この法堂のどこにも、笑う場面などなかった。
上がった口角を慌てて引きずり下ろしたソリョンは、穴が開きそうなほどゴンを眺めた。
絶望に打ちひしがれる皇帝を見る気分は…とても良いものだった。
※禮葬都監(れいそうとかん)…国葬などの礼式を備えた重大な行事があるときに設けられる官庁。
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葬儀の翌日、ゴンはジョンインの家を訪れた。
今回の事件に関するすべての捜査権は皇帝に委ねられ、調査もすべてゴンが直接行う予定だった。
葬儀のために帰国していたジョンインの長子イ・スンホンが遺品を整理していたが、その口からはおよそジョンインの血が流れているとは思えない言葉ばかりが次々と溢れ出た。
「 我が子を海外に追いやって皇室に一生を捧げた割には…ろくな服もなく家具もおんぼろ…まったく! 」
スンホンはジョンインの手垢のついた古い箪笥や机…あちこちを荒々しくかき乱しながら聞こえよがしに喋り続けた。
「 今日の記事はご覧になりましたか? “ 享年76歳、生涯国家と皇室に信義を貫いた素朴な人生 “。義理はあったとしても…” 素朴 ”?よくもあんな見出しの掲載を許しましたね。最後までこき使っておいて、素朴? “ 疏薄 ”(※そはく)の間違いでは? 」
ゴンは居間の片隅に立ちながら、拳に力が入るのを感じた。
父親と離れて暮らしながら海外を転々としなければならなかったジョンインの家族には、いつも申し訳ない気持ちがあった。
しかし、大韓帝国には一歩も入ってくるな、皇室には近づくなと、ジョンインはスンホンに対して特に冷厳だった。
ジョンインがどうしてそれほど必要以上に息子を遠ざけたのか、今なら分かるような気がした。
ジョンインがいない今、その長子であるスンホンは大韓帝国皇位継承序列一位になるはずだった。
ジョンインが生きていた時も、いつも父親さえいなければ自分が序列一位だと考えていた彼は、権力と皇室を手に入れるチャンスを狙っていた。
「 この家は私が使わせて貰いますね。LAの家は片づけていますし…入国日が決まり次第、病院も片づけます。 皇室の主治医も財団の仕事も、私が引き継ぐのが筋でしょう。皇室病院センター長の発表と継承順位の発表は同日にお願いしますよ。」
ゴンは静かに…しかしはっきりと、ジョンインの息子を呼んだ。
「 …兄上 」
「 はい、なんでしょう陛下 」
「 兄上は大韓帝国に戻ることは出来ません。」
スンホンが険悪に顔を歪めた。
「 陛下…! 」
「 もちろん、私の後も継げません。大韓帝国皇位継承序列一位は…セジンです。」
「 …冗談じゃない。そんな話がどこにある!!」
「 兄上は四十九日の法要後、直ちに出国しなければなりません。皇族としての尊厳は最低限保持できるよう配慮しましょう。」
それでもジョンインの子だった。
ゴンとしては寛大な仕打ちだった。
しかし、ゴンの言葉にスンホンは目の色を変え激昂した。
「 ゴンお前…よくもッ…!!!」
「 誰かいるか!!」
これ以上スンホンに無礼を働かせる訳にはいかなかった。
ゴンはスンホンがこれ以上罪を犯さないよう言葉を絶ち、強い声で近衛隊を呼んだ。
武装した近衛隊は素早くゴンの前に待機した。
「 今から四十九日まで、プヨン君の長子イ・スンホンのすべての行動を監視し報告せよ。そして四十九日の法要が終わり次第、直ちに出国させよ。」
「 はい!陛下!! 」
近衛隊がスンホンの前を壁のように塞いだ。
スンホンは叫びながらゴンを呼んだが、ゴンは答えることなく彼の前を通り過ぎ、ジョンインの家をあとにした。
スンホンの行動に失望し、ジョンインの空席は痛手となった。
憔悴しきった顔で宮殿へ戻ったゴンは、ジョンインと共に眺めた中庭の銀杏の木の前でゆっくりと目を閉じた。
葉だけが枯れた銀杏の木が、ゴンの凄惨な心情を代弁しているようだった。
その時、後ろからゴンを呼ぶ声が聞こえた。
今しがた到着したばかりのジョンインの弟子、ファン教授だった。
ファン教授の顔を見たゴンは深く息を吸い込んだ。
「 検死が…終わりましたか。……聞きましょう。」
「 死因は頸部圧迫による窒息死でした。強い力で首を締められたようです。」
ファン教授の言葉を聞くゴンの顔から表情が消えた。
ファン教授はかばんから指輪の入った袋を取り出し、ゴンに差し出した。
死亡直後に容疑者が無理やり指にはめ込んだようだというのがファン教授の所見だった。
報告を終えたファン教授は深く一礼すると、その場を後にした。
指輪を見下ろすゴンの目は血走っていた。
今はもう癒えたはずの首の傷痕に、刺すような生々しい痛みを感じた。
25年前の夜、この指輪は自分の首を絞めていた…
あの日のように息が詰まった。
「 イ・リムは隠れるつもりも隠すつもりもない。父上の血の上に私を立たせ、おじ上の血をもって私を破滅に向かわせるつもりか… 」
ゴンは指輪の入った袋を強く握り締めたまま、自分を飲み込む絶望と、同時に足下から沸き上がる怒りに震えた。
絶望と怒りに足止めされ、しばらく動けずにいたゴンがついに怒りを堪えきれず指輪を投げつけたその瞬間…
地面に落ちるはずの袋は、ピタリと宙に留まった。
またも…時間が止まっていた。
イ・リムが再び大韓民国に渡る…
ゴンは宙に浮かんだままの袋をひったくると、広い歩幅で廊下を突き進んだ。
しかし、数を数えていたゴンは突然廊下の途中で足を止めた。
時間の流れが奇異だった。
ゴンが奇妙な違和感を覚えたその瞬間、時間はまた流れ始めた。
「 ……陛下!? 」
廊下を歩いていた宮人たちは驚いて身を寄せた。
彼らにとっては突然すぎる皇帝の出現であり、ゴンを守っていたホピルと近衛隊も遅れて駆けつけた。
「 陛下、たった今お庭に…いえ、申し訳ありません…!うっかり考え事を…
「 ソク副隊長、私はまた宮を空ける。 すぐに戻れればいいが、長くなるかも知れない。 連絡は取れないので公式的には私は書斎に……
「 陛下…!! 」
急いで話すゴンのもとへ、慌ただしくモ秘書が走ってきた。
手に持ったタブレットPCには、国民を騒がせている多数の記事が上がっていた。
「 陛下、これをご覧下さい…!今日の昼頃から流れ始めた記事です。」
ー『 皇帝イ・ゴン、国民に正直でない理由 』
ー『 度重なる皇帝の出宮。国民を欺き一体どこへ?』
ー『 実は空っぽの皇室 。国民は何を信じているのか 』
書斎に篭っていたと記された時間に向けられた疑惑なのは明らかだった。
記事の見出しは、一様に皇室と皇帝を非難する口調だった。
皇帝は公人であり、皇帝の一挙手一投足は諸国民に共有されなければならなかったからだ。
「 このように一斉に記事が出るということは…明らかに誰かの意図を感じます、陛下。」
「 ク総理が手綱を引きましたね。私の足を縛る方へ… 」
何度も警告していた…手綱を引くなと。
その上でこうして動いたということは、心境に変化が生じたか、何か信じるものができたという意味になる。
それは一体何か…
ゴンは怒りを抑え込み考えを巡らせた。
しかし、やはり本人に会って話を聞くのが確実だった。
「 今すぐ総理室に繋いで下さい。」
ゴンの指示に、モ秘書はすぐさまソリョンの直通番号へ電話をかけた。
しかし、総理室からは「ソリョンは病気休暇中だ」という返事だけが返ってきた。
「 何とかク総理を探して繋げて下さい。」
ゴンは苛立ちながら再び荒い足取りで廊下を歩き出した。
しかしすぐに足を止め、後ろに従うホピルに命じた。
「 ソク副隊長、プヨン君の警護日誌を持ってきて欲しい。ここ6か月分、全てだ。」
※ 疏薄(そはく) …疎んじて冷遇すること。
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書斎に閉じこもり、ゴンは日誌を見ながらプヨン君の行動を追っていった。
リムが大韓民国に渡ったことを知りながらも、宮殿を離れられない状況だった。
まずはここでリムの痕跡を追うしかない…
ー 本家、大韓大学校、皇室病院、学会、図書館、本家、大韓大学校………
日誌に書かれた場所に特異点はなかった。
それでもゴンは諦めなかった。
たった3ヵ月前のジョンインの痕跡に触れているだけだ。
どこかにイ・リムの痕跡が残っているかもしれない。
ゴンが集中していたその時、ノックの音とともにモ秘書が入ってきた。
「 陛下、申し訳ございません。 ク総理と全く連絡がつきません。 私邸からは一歩も出ておらず、関係省庁からの報告も全て書面で受けているようです。使いの者を送ってみましょうか…? 」
「 ……その必要はありません。私がやった通りの方法でやり返すつもりなのでしょう。」
ソリョンの本音はなかなか掴めなかった。
ゴンの眉間が深くなった。
「 ク総理にもたどり着きたい場所があるようだ…待ってみましょう。…ノ尚宮の様子は?」
「 あ…申し遅れました。陛下がお作りになったお粥を半分以上召し上がりました。ご心配なく。」
ゴンと同じくらい…いや、それより長い間ジョンインを近くで見てきたノ尚宮だった。
彼女の心の傷を理解しながら、年老いた体が弱らないか心配だった。
これ以上大切な人を失いたくはなかった。
ゴンは複雑な気持ちで頷いた。
暗い夜が過ぎ朝日が昇るまで、ゴンは机から立ち上がらなかった。
ゴンは日誌を更にめくった。
どんな記号でも探したかった。
ページをめくる手つきが切迫していたその時、文字を読み上げる視線がある部分で止まった。
ー 本家、大韓大学校、釜山-貧民街のオス書店、本家…
ジョンインが釜山に来て店に立ち寄った。
そして再びソウルの本家に戻った。
「 貧民街のオス書店……釜山に来て書店に寄っただけ…何の記号だ。おじ上のこの歩みは一体… 」
ゴンのそばを守っていたホピルが直ちに確認すると申し出た時だった。
突然、ゴンは勢い良く椅子から立ち上がった。
ホピルは驚いてゴンを見つめた。
ー ”命を運ぶ”と書いて運命…すべての生を懸けて自ら進む歩みこそが、運命なのです。
あの日、赤い日を見ながらジョンインが伝えた言葉だった。
ゴンは胸の奥底にその言葉を刻んでいた。
「 私が日誌を確認すると分かっていたんだ… 」
ゴンの目が荒い光を放った。
「 …近衛隊は武装してついて来い。」
「 はい、陛下!近衛隊は今すぐ全員武装せよ…!」
ホピルは無線で近衛隊に命じながら、前を歩くゴンを追った。
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暗くじめじめとした地下牢獄の中心。
縛られたままのキム・ギファンとイ・サンドの身体がゴンの足下に転がった。
「 命が惜しければ答えよ。オス書店を知っているか。先に答えた者は助かるが、沈黙する者は……打ち首だ。」
キム・ギファンとイ・サンドは同じイ・リム側の人間ではあったが、根本的に違う人間だった。
キム・ギファンは大韓帝国から長年リムに忠誠を誓い従ってきたが、イ・サンドは大韓民国から大韓帝国に渡ってきただけの人間であった。
ゴンを睨みながら口を固くつぐんだキム・ギファンに対し、イ・サンドはいち早く口を開いた。
「 わ…私は知りません! 私は本当に何も知らないんです…!!書店など行ったこともありませんッ!」
「 …お前は俺を殺せない。 クム親王殿下にたどり着くには俺を問い詰めるしかない。そうだろう? 」
ホピルが銃を装填しキム・ギファンの頭に突きつけた。
ゴンの目つきが冷たさを増した。
「 貴様が何を知っていようが、その情報でイ・リムにはたどり着けない。口を開いてもいいだけの情報しか渡されていないはずだ。そして何より……貴様にはもう何も聞きたいと思わない。」
強気だったキム・ギファンの顔に不安が漂った。
しかし、彼はさらに大声を出して強がった。
「 はは…なら引け…引き金を引いてみろ!!!殺せるもんなら殺してみろーーーーーッ!!!! 」
「 …ああ、望み通り殺してやる。 」
銃口を頭で押しのけて暴れていたキム・ギファンの瞳が揺れた。
急変した雰囲気に気付いたイ・サンドは、床にひれ伏し叫んだ。
「 陛下…!陛下! !お助け下さい!!子供たちの為だと奴らに唆されて…!元の世界に戻りたいんです!!帰ります…陛下!!! 」
「 もう遅い。 既に向こうの世界で貴様は死んだ。自分の手で犯した罪なのだからよく分かっているはず…。貴様は二つの世界を混乱させた罪をここで償うんだ。」
後ろ手を組んだゴンが近衛隊の一人に目配せすると、近衛隊員はイ・サンドを荷物のように引きずっていった。
引きずられながらも、イ・サンドは助けてくれと哀願し続けた。
キム・ギファンは口元をよじりながらゴンをあざ笑った。
「 打ち首だと…?は…笑わせるな。 大韓帝国法ではとうの昔にそんなものは廃止されている!! 」
「 長い間大韓帝国を離れて忘れたようだな。皇帝の言葉は…法そのものだ。近衛隊はよく聞け。沈黙を選択した逆賊残党キム・ギファンを…打ち首に処す。……命令だ。 」
「「 はい!陛下!!」」
近衛隊の声が一つになり大きく響いた。
ゴンが即位してから初めて施行される皇帝特別法だった。
現実を無視していたキム・ギファンの顔からは血の気が引いていった。
何か叫ぼうとしたが、すぐに口を塞がれた。
反対側にいた近衛隊員がキム・ギファンの顔に黒い覆面をかぶせ、あっという間にキム・ギファンの世界は暗闇に覆われた。
欲望に目がくらんだ逆賊に相応しい、哀しい最後だった。
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本屋の前に立った少年はヨーヨーを地面に向け回した。
血のように赤い糸がゆっくりと遠ざかっては再び短くなり、ヨーヨーは少年の手の中に吸い込まれた。
貧民街はルナの縄張りだった。
折しも、ルナが少年の前に現れた。
少年はいつかルナからもらった黒いウサギのフードが付いたパーカーを着ていた。
少年はポケットからジャックナイフを取り出し、ルナに差し出した。
「 ここに入ってた。」
ルナはポケットに手を突っ込んだままぼんやりとした顔で少年を見つめた。
「 それを探しに来たんじゃないの。 あんたが持ってて。それで自分を守りな。」
数日前、ルナはイ・リムに会った。
楽しい出会いではなかった。
拉致され、ある塩田倉庫に閉じ込められたまま向き合ったからだ。
リムはルナの前に、ルナと全く同じ顔で違う名前の身分証を差し出した。
チョン・テウル
それが彼女の名前だった。
職業は警察官。
警察に追われ生きてきたルナにとって皮肉で可笑しなことだった。
顔は同じでもあまりに違う人生。
両親の愛を受けて育ち、そして何より健康だった。
ぬかるみを這いながら生きてきた挙句、ついには期限付きの人生になってしまった自分とはあまりにも違っていた。
テウルの人生そのものが、傷だらけのルナを更に傷つけた。
自分の人生がどれほどみすぼらしいかを映し出す鏡のようだった。
ところが、イ・リムはその人生を自分に与えると言った。
たった一度のチャンス…失うものがないルナは頷いた。
そうしてルナは、今からテウルの人生を奪いに行くところだった。
ルナは首に掛けてあったネックレスを外し、少年の首にかけた。
ネックレスにはルナの車の鍵がついていた。
古いワゴン車はルナの家でもあった。
「 私の車がどこにあるか分かるでしょ? それもあんたにあげる…中にある物も全部。その代わり、ルナの世話をお願い。」
ルナが世話をしていた野良猫の名前がルナで、ルナはその猫の名前さえも盗んでいた。
少年の艶やかな瞳がルナを照らした。
「 どこかに行くの?」
「 ん…ちょっと遠くに。」
「 今度は何を盗みに?」
ルナは少し躊躇いながら少年に尋ねた。
「 ……あんたは、神を信じる? 」
少年は迷うことなく頷いた。
「 じゃあ、あたしには天罰が下るね… 」
そう呟いて立ち去ろうとしたルナだったが、少年が持つヨーヨーの赤い糸が目に留まった。
「 …そのヨーヨーだけど。なんで赤い糸なの…? 」
「 僕が編んだんだ。」
「 そんな言葉どこで習ったの。切れそう…編み直しな。…じゃあね。 」
「 うん…バイバイ。」
少年は、遠ざかるルナを見送ってから再びヨーヨーを強く回し始めた。
球体は勢い良く回りながら、上がったり下がったりを繰り返した。
ザキング 永遠の君主
27.「オス書店」