非日常もいいけれど、日常に戻るのもいいものだ
ただいま伊豆旅行からの帰り道である。
高速道路を妻が運転してくれている。
我が家では運転はいつも妻がしてくれる。
人の運転に乗っていると車酔いするらしい。 僕は車酔いしないので本を読みながら助手席に乗っている。 会話を楽しみながら読書もする、という感じ。
おかげさまでこの旅行中、『自分の薬をつくる』(坂口恭平)を読むことができた。 昔は旅行が終わる帰り道というのは楽しかった旅行が終わってしまうのが悲しくて寂しかった。
いまも少しは悲しいけれど、家に帰ることに少しホッとする自分もいる。
特に家のお風呂に入ったとき、やっぱり家はいいなと感じる。
旅行という非日常もいいけれど、日常に戻るのもいいものだと思えるようになったからだ。 高速道路ではすべての車が同じ方向に向かう。
みんなが先を急ぐ。
早ければ早いほどいいようだ。
僕は下道、一般道のほうが好きかもしれない。 トイレに行きたくなればコンビニに寄れる気楽さもあるし、景色も移り変わるから退屈しないし、あちこち寄り道も出来るか。 行きたい方向に自由に曲がれる。 そんなに早くに遠くに到着したいとも思わないからだ。
人生という旅も下の道を走ろうかな。
自転車もいいかもな。
(2022年7月24日に書いた記事です)
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いつものように、レイアウト・タイトル・画像を決めてからこれ以降は投稿日にひろっちが追記していきます😊
“日常を丁寧に過ごす。“
これ、ひろっちの課題なの。関西弁で言う“せわしい”は、ある意味繁盛しているとも同義する概念がある。だから“小忙しい(こぜわしい)”ではなく、次から次へと発生する需要に対応して、その結果、自分が提供するサービスで喜んでくれる人が多くいる。という考え方。漢字にある“こころをなくす”忙しいではなく、とっても社会貢献している意味が強くて憧れていたの。実際、せわしい日々を何年も続けてきた。それはそれは楽しかったの。でもここ数年、何気ない時間を丁寧に楽しみたいと思い始めたよ。
========☆彡
いつもこの場を訪れていただき、ありがとうございます。日常と非日常の違いって何が境目なのでしょうか。意識できる事象は、きっと、とてつもなく生活に影響を及ぼすのだと思います。気づいたら、振返ったら「あれ?」と思う違和感がそれに該当するのかもしれません。リアルタイムに気づけたら、何かが変わるかしら🙄
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