![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77447676/rectangle_large_type_2_3c398735c0c15827213f6ed77777da1a.png?width=1200)
“なんとなく“は、第6感
![](https://assets.st-note.com/img/1656146313174-bzllQCGEXK.png?width=1200)
今日は「なんとなく」について書いてみたい。
いやぁ、「なんとなく」って面白いなって思う。
電子書籍を書くにあたってオープンダイアローグを定期的に開催している。 3月から始めて、いまちょうど1か月半を過ぎたくらい。 その4人の集まりを何と名付けようとなった時、メンバーの一人よっしーさんが「なんとなくの会」というのはどうですか?と発言したことをきっかけにその名前に決まった。
さて、「なんとなく」と言っていて思い出したことがある。
それは新婚旅行の行き先だ。 当時、僕は長渕剛の曲にはまっていた。 その中の好きだった曲に「ガンジス」がある。
あれ?これ前にも書いたかもな。
まぁ、いいや。
「旅をするのは帰る家があるからだ さすらいの旅ほど淋しいものはない」 という歌詞がある。 これを聴いたとき、「そうか。家があるからそれは旅なのか」ということに気づかされた。 家があるということの価値に改めて気づかされた。 そして、「神様はどこにいるのかと尋ねたら 老婆は自分の胸を指した」という歌詞にいいなと思った。
この曲を何度も聴きながらガンジス川に行きたいと思っていた。 そして、新婚旅行でどこに行くか決める際、僕は妻にインドを提案した。 妻はインドに行くことによく同意してくれたなと思う。
ちなみに、インド旅行の旅先で妻は泣いていたらしい。 そして、その罪滅ぼしで数年後にサイパン旅行に行った。 そう。このインドに行こうと思った理由は「ガンジス川を生で見たかった」というのはあるが、「ではどうして?」と改めて問われれば、「なんとなく」になるのでないかと思うのである。
僕たちはもっと「なんとなく」を大事にしていったほうがいいのではないか。 第六感みたいなものに従って行動したほうが圧倒的に面白い人生が待っているような気がする。
ということで、今朝ふと思い立った企画を小さく実行してみよう。 さて、どんなことが起こるかな。 ここでは「エピソード2企画」とだけ書いておこうと思う。
(2022年4月20日に書いた記事です)
![](https://assets.st-note.com/img/1651224297412-sw62vzbA9R.png)
インド旅行で嫁ちゃんは何故泣いていたのかしら?つよぽんは、後から知ったのでしょ。その時は気づかなかったってことは、本当はインド旅行に行きたくなかったのか・旅行先で嫌な事があったのか。だよね。。。😒
せっかくのなんとなく(第6感)をそういう時に使わなくっちゃ😁😁😁😁
まぁ~それが出来ないから、後から罪滅ぼしを考えたりしてそれがきっかけで信頼感や気持ちの繋がりを実感することになって。人生面白いのかもしれないね。
=======☆彡
いつもこの場を訪れていただき、ありがとうございます。“なんとなく“が第6感かも。そんな風な感覚ありますよね。はっきりとした言葉や場面の確信がなくても“〇〇なんじゃないかな”という感覚のこと。この感覚、退化させたくないですね
=======
👇人間も動物。ってことは“感”がある