1月5日 Abandonment 体系的な廃棄
おはようございます。今日も #ドラッカー #365の金言 を通して、人生と経営を深めてまいりましょう。
本日 #1月5日 のテーマは、
#死臭を防ぐことほど手間のかかる無意味なことはない 。
仕事が出来るものは、多くのことで成果をあげなければならないことを知っている。だからこそ集中する。集中するための原則は、生産的でなくなった過去のものを捨てることである。第一級の資源、とくに人の強みという稀少な資源を昨日の活動から引き揚げ、明日の機会に充てなければならない。昨日を捨てなければ明日をつくることはできない。
意識して体系的に廃棄をしないかぎり、組織は次から次へと仕事に追われる。行なっていてはならないこと、もはや行なうべきでないことに資源を浪費する。そのため、せっかくの機会を利用するうえで必要な資源、とくに有能な人材が不足する。
あまりにわずかの企業しか昨日を捨てていない。あまりにわずかの企業しか明日のために必要な資源を手にしていない。(『経営者の条件』『乱気流時代の経営』『未来への決断』『明日を支配するもの』
ACTION POINT
#陳腐化した事業に投資して資源を浪費することを止めてください 。
#機会を利用するために有能な人材の手を空けてください 。
「生産的でなくなった過去のものを捨てることである。第一級の資源、とくに人の強みという稀少な資源を昨日の活動から引き揚げ、明日の機会に充てなければならない。昨日を捨てなければ明日をつくることはできない。」
ドラッカーの有名な質問、といえば、
「何をやめるべきか?」だったそうだ。
この質問を過去の成功体験にとらわれ、身動きが取れなかった多くのビジネス・リーダー達にぶつけていたという。
「効果的でなくなったものは捨てよ。」
この教えは、一旦手に入れると「勿体ない」として後生大事に抱える癖がある自分にとって衝撃でした。
“乱気流の時代にあっては、企業は昨日から組織的に脱却することが必要である。比較的平穏で予見可能な時代が長く続くと、企業であれ、非営利の公的機関であれ、組織には昨日の栄光が充満してしまう。もはやなんの貢献もしなくなった製品やサービス、あるいは発足当初は誠に魅力的であったが5年後の今は期待ばかりが残って何の成果も上がらない合併や合弁、あるいは、社会や経済が一変したために需要がもはや消滅してしまった製品やサービス、あるいは目的を実現してしまったが故に自ら無用と化した製品やサービスが充満してしまう。“
(中略)企業や組織はいついかなる時も計画的な切り捨て政策をとっていかなければならない。特に乱気流時代にあってはそうである。あらゆる製品、あらゆるサービス、あらゆる生産工程、あらゆる活動について数年ごとに次のような問題を与えて試験しなければならない。「もしこの仕事をまだ手がけていないとしたら、我々は、今の知識をもとに、この仕事に手をつけるだろうか?」もし答えが「No」であれば、「もう少し突っ込んで調べてみよう」とは言わず、次のようにいうことになる。「どうすれば手を引くことができるか。あるいは少なくともこれ以上資源を投入せずに済ますことができるか。」
いつこのような問題を提起し、いつそれに対する答えをもとにして行動すべきか。それは組織が苦境に立った時ではない。順調な時である。順調な時には大抵の場合、資源を昨日に、つまりすでに成果を生み出したもの、すでに挑戦してしまった目標、すでに満たしてしまったニーズにまだ振り向けているからである。(「乱気流時代の経営」1972年版 Ⅱ 明日のための経営 2 昨日からの脱却 48〜49ページより)
感染症蔓延により、ここ2年、自粛、という名の経済活動停滞がありました。経済犠牲を払いながら、わが国が守ってきたものは何か。
そして、停滞したことで、需要を失った多くのビジネスがあります。それは、すでに潜在的には将来のない事業だった点が顕在化した、ということもあるでしょう。
思い切って祖業を捨てて別事業へとシフトする企業も出てきています。
こうした企業たちは「事業の体系的廃棄」の好例と思います。そして、これは事業者、経営者だけでなく、ビジネスパーソンにも言える話と感じています。
つまり、今の勤務先や事業内容が今後の自分自身の成長にはつながらない、むしろ、退化となってしまう、と感じたら、、、それは「セカンド・キャリア」「サード・キャリア」を考えるタイミングです。
新美南吉「おじいさんのランプ」というお話があります。
この話をぜひご覧下さい。日本の製造業や金融機関など、多くの事業が、「おじいさんのランプ」状態になっていないでしょうか。それは、あなたの職場で起こっていることではありませんか?
「わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしのしょうばいのやめ方は、自分でいうのもなんだが、なかなかりっぱだったと思うよ。わしの言いたいのはこうさ、日本がすすんで、自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり、世の中のすすんだことをうらんだり、そんな意気地いくじのねえことは決してしないということだ」
仕事を辞めても、年金生活に入れて、金銭的な負担が無ければいいのでしょうが、借金があったり、暮らしがあるから、キッパリと辞めるなんてことは現実的ではない、そういう人が少なくないのではないでしょうか。
であれば、これからどうしたらいいのか。。。このおじいさんの言葉をあなたはどう感じるでしょうか。
さて、今一度、自分自身に問いてみましょう。
#自分が関わっている事業が陳腐化したら 、止められるだろうか?資源を浪費することを止めてみたらどうなるだろうか?
#自分の人生の残り時間を考えてみよう 。自分が自分自身の時間・エネルギー・能力を利用するとしたら、どんなに有能なことができるだろうか?
今日を変えていこう。愛を込めて。
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