10月24日 Strong Government 政府の強化
おはようございます。今朝も #ドラッカー #365の金言 から人生と経営を深めていきませんか
こちらの続きです
本日 #10月24日 テーマは #Strong_Government
#政府の強化 (強い政府)
#政府は楽器の特性を理解する作曲家とならなければならない 。
われわれは、マルクスが断言したような国家の消滅に直面してはいない。それどころか、活力ある強力な政府を必要としている。
われわれは、巨大にして無能な政府をとるか、それとも意思決定と方向づけに専念し実行を他の機関に委ねるが、それがゆえに強力たりうる政府をとるかという選択の問題に直面している。われわれが直面しているのは、自由放任への復帰ではない。それぞれの機関がそれぞれ得意とするものに従事するという有機的な多様性への道である。
政府は社会的な目的を、いかにしてそれらの機関にとって魅力あるものにするかを考えなければならない。言い換えると、それぞれの楽器が得意とするものを活かす作曲家、あるいは指揮者とならなければならない。そのときわれわれは、フレンチ・ホルン、バイオリン、フルートの特性を最もよく引き出した作曲家や指揮者を称賛するように、多元社会における自立的な機関の能力を最もよく引き出した政府を称賛することになる。(『断絶の時代』)
ACTION POINT
#民営化の成功を称賛する投書を書いてください 。
1968〜69年に記された「断絶の時代」は、ベトナム戦争、ヒッピー、ウッドストック、キング牧師暗殺、フランス五月革命、毛沢東崇拝、日本では学生運動、70年安保闘争直前の「動乱の時代」に記された一冊。
この時代、ドラッカーは政府をどう見ていたのか?
1890年代から1960年代までの70年ほどの間、人類は、特に先進国において、政府によって催眠術をかけられていた。我々は政府を愛し、政府の能力には限界がないと思い、その善意には疑いを持たなかった。(中略)大不況が訪れると、誰もが直ちに政府を救済者として頼りにした。例えばイギリス労働党のエコノミストであるバーバラ・ウートンによって書かれた大不況時代の1つのベストセラーである「計画すべきかすべきでないか」で解かれているような“30年代“後半に広まっていた素朴な信頼を思い起こすのは悲しいことである。(中略)「ユートピアはここにある。必要なことの全ては、あらゆるものを邪悪で利己的な利害関係者から取り上げて政府に手渡すことにある」と言うことである。第二次世界大戦はこの信頼を再度高めることになった。政府は再び社会のエネルギーを福祉のために組織化することにおいて信じられないほど効果的であることを立証した。しかし、今や我々の態度は変わりつつある。我々は急速に政府に対する疑念と不信へと動きつつある。若者の場合には政府に対する犯行とさえなりつつある。(「断絶の時代」280〜281ページより)
1960年代までは、我々は、政府を愛し、政府の能力には限界がないと思い、その善意には疑いを持たなかった。しかし、、、
我々は政府に対する疑念と不信へと動きつつある。(中略)このような議論の1つの根は、企業、利潤、およびなかんずく富に対する嫌悪にあった。もう1つのより危険な根は、責任と決定の拒否にある。(中略)今日、多くの人々は、ある領域を政府の手に渡すと、そのことが争いを生み、既得権益をつくり出し、意思決定を混乱させるということを認識している。何かを政府に手渡すと政治がなくなるのではなくて、それが政治問題化するということも認識している。(前書281〜284ページ)
と、全ての権限を政府に委ねるよう「福祉国家」へ舵を切った多くの政府への不信を募らせ批判している。また、主権国家は国際的な分野において、効果的な機関としての役割を果たせない、とこれもまた手厳しい。
ドラッカーは、政府に「もっと金を使わしてくれたらもっとやってやる」という方向には反対している。税収と歳出によっておこなえることには限界があるし、「ばらまき」に対しては、
ばらまき国家は自由社会の基盤を侵食する
国民の代表たるものが、票を買うために特定の利益集団を豊かにし、
国民を丸裸にする これは市民のコンセプトの否定である
「票を買う」と公平性の観点から否定的である。江崎氏は、政治・官僚という行政機関の権限拡大を許してはならないという。
それでは、かつてのような自由放任の「小さな政府」への復帰・回帰かというとそうでもない。
それぞれの機関がそれぞれ得意とするものに従事するという有機的な多様性への道
政府、企業、個人、それぞれの組織が得意とするものに従事する「多様性」を政府が調整し、実行することである、という。
正しくイメージできているかわからないが、ある意味、日本の縦割り行政は批判も多いが、機能別の組織になっていて、ある程度は「調和」できていると言えよう。例えば、国防や災害救助は、自衛隊・地方公務員・消防・警察・地域ボランティアみたいな感じである。
確かに、組織体として「有機的」に機能しているわけではないし、改良の余地も多いだろう。だからこそ、寄り集まって対話することがますます重要性を増してくるんではないだろうか。
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