昔の帝王学と、今のエリート教育との違い 12月29日 Rules for the Family-Managed Business 同族企業のための4原則
#12月29日 金曜日。ランチタイムとなりました。年末の大掃除の最中でしょうか?それとも旅行?
さて、今日の #ドラッカー365の金言 テーマは、
#Rules_for_the_Family_Managed_Business (家族経営事業のためのルール)
#同族企業のための4原則
今日のテキストも、昨日同様、1995年刊行 『 #未来への決断 』4章 #同族企業の経営 61〜67ページより。
本書によると、4ルールは以下のとおり。
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一族以外の者と比べて同等の能力を持ち、少なくとも同等以上に勤勉に働く者でない限り、同族企業で働かせてはならない。怠け者の甥を働きに来させて給料を払うくらいなら、働きに来ないようにするために金をやったほうが安くつく。
一族の者が何人いようと、また彼らがいかに有能であろうと、トップ・マネジメントのポストの1つには、必ず一族外の者を当てなければならない。そのための最も一般的な候補者は、専門的な能力が大きな意味を持つ財務や研究開発のトップである。
同族企業は、全くの中小企業を除き、重要な地位に一族外の専門家を必要とする。
同族企業は継承の決定を迫られるはるか前、できれば一族の各メンバーが継承者について自分の考えを持つようになる前に、適切な仲裁人を外部に見つけておかなければならない。
昔の商家はよくしたもので、オーナーである主人がリーダーシップをとって、というより、環境整備に尽くし、現場には口出しせず、優秀な番頭を中心にスタッフらが店の経営を行なうという、今の経営スタイルと似たようなやり方で商家は営まれていたようです。後継に頼む息子のボンは芝居や女にかまけて、店の金をくすねている様子などが、落語のネタにも紹介されています。実際、主人は息子よりも、誰に継がせることが商家の繁栄につながるのかを考えて跡取りを決めていたケースも。実際、娘と優秀な番頭と結婚させてた方が良い、あるいは、優秀な雇人を養子に迎えた方が良い、と決断する主人も少なくなかったようです。
豪商として名高い出羽酒田本間家には、次のような家訓が遺っているそうです。
本間家の成長に著しい貢献をしたのが三代目の本間 光丘(ほんま みつおか、享保17年12月25日(1733年2月9日) - 享和元年6月1日(1801年7月11日))。彼が米沢藩を支援したことから上杉鷹山の名声は今日まで続いているといいます。上記家訓は、光丘が作ったわけではなさそうです。というのも、「忠君愛国」というスローガンは、明治二三年(1890)に初出されたものだからです。年月を経るうちに、いくつかの条文が追加されたのでしょう。
とはいえ、上記の「家訓」には、現在でも学ぶべき点は少なくないと思います。7条の「富豪の者と縁組みすべからず」、8条の「世態人情を学べ」、11条「小作人を優遇すべき」、12条「額に汗して働け」など、現在のエリート教育とは一線を画したものであり、ロックフェラー家のように、地に足をつけ、世態人情を学日、大衆から離れるな、という教えのように感じました。
不祥事が続く政治家や国民の肌感覚と異なる政策を作成し続ける国家官僚が国民の声に耳を傾けるフィードバックを怠っているように思います。
#「同族企業」にとってのキーワードは「同族」ではない。
#「企業」である。
#知り合いの同族企業のトップに継承をどうするつもりか聞いてください 。
#一族の事情と企業の事情のいずれを重視していましたか 。
午後からは、もうお休みかもしれませんが、今日もお元気で。