2月7日 The Educated Person 教育があることの意味
おはようございます。 #ドラッカー #365の金言 から今日も人生と経営を深めて参りましょう。
本日 #2月7日
テーマは、
#The_Educated_Person (教育ある人間)
#知識は現実の世界にかかわらなければならない 。
ヘルマン・ヘッセの一九四三年の小説『ガラス玉遊戯』は、伝統の知恵と美に没入し至福の孤高を楽しむ知識人、芸術家、教養人の一団を描いて、人文主義者の求める世界とその行末を示した。小説の主人公たるガラス玉遊戯の名人は、最後には金まみれの汚れた世界へと帰っていく。現実の世界にかかわらなければ、彼が価値ありとするものも紛い物にすぎなかった。
ポスト資本主義社会は、これまでのいかなる社会よりも教育ある者を必要とする。教育ある者は偉大な遺産を理解しなければならない。しかし、何よりも現実を理解できなければならない。(『ポスト資本主義社会』)
ACTION POINT
本日のテキストは、『ポスト資本主義社会』(1993年)12章 教育ある人間 351~352ページより。
1993年、今から約30年前に、産業社会、資本主義社会から知識社会への転換期にあることをドラッカーが本書で指摘しました。
そして、知識は、人間の中にあるもの。従って、
知識社会への移行とは、人間が中心的な存在になると言うことに他ならない。そして、知識社会への移行は、知識社会の代表者たる「教育ある人間」に対して、新しい挑戦、新しい問題、あるいは、かつてない新しい課題を提起する。(同書、347ページより)
日本は、自動車など古い産業界におけるリーダーシップに基づいているが、現在の産業である半導体産業は失い、未来を担う産業、新しいエネルギー、生物学、遺伝学に基礎を置く産業に基づけていない。かつての成功モデルを捨てて、ポスト工業化、ポスト資本主義の時代が要求するものを提供できるモデルには、上手く移行できていないし、未来に要求されるものを、日本の個人が提供できるかどうか、それが問われるんだろう。
そのためには、誰もが知識を生産的に使うナレッジワーカーとして生きること。それは、学び続けることであり、その一方で、よき経営管理者としても生きなくてはならない、と言う。
感染症、自然災害、金融危機など様々なリスクにこれからも見舞われるだろうが、新しい時代の要求に正面から立ち向かい、困難な決定を行う特別な能力が日本のリーダーにはある、とドラッカー。
我々、教育ある人たちは、我々自身の手で未来を築いていきたいと思います。
今日を変えていこう。
愛を込めて。
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