5月19日 People as Resources 資源としての人材
おはようございます。今朝も #ドラッカー #365の金言 からスタートしましょう。
本日 #5月19日
テーマは、#People_as_Resources
#資源としての人材
そして、本日の金言は、、、
#人はコストではなく資源である 。
ACTION POINT
#成長するものとして人を見てください 。
#ともに学んでください 。
#学んだことを使えるようにしてください 。
今日のテキストは、『未来への決断』(1995年刊) 終章 ポスト資本主義社会におけるマネジメント 386〜387ページより。
「人は石垣」と語った武田信玄の伝説があるように、わが国には、古くから人(=部下、領民)を大切にする、という伝統があったわけです。
なぜなら、戦国時代という戦いに明け暮れた時代でも、たとえ領主が攻めてゆきたい、行くべきだ、と主張しても、領民たちが「今は種蒔きの時期だからダメ」と言われたら、動員できなかったからです。そこには、(エリート側の)領主と(現場側の)領民との間に、コミュニケーションが取れていて、双方からのフィードバックループが機能していたのです。
それが、常備軍が用意され、エリート側がいつでも好きなタイミングで戦争行使できるようになってから、エリートと現場とのコミュニケーションは崩壊。
エリートが現場へ硬直的に「指揮命令」し、特攻という将来の貴重な戦力を使い捨てる、蛇が尻尾を食べるような愚策によって、目先の問題解決を図ったことによって自ら貴重な資源である人材=戦争継続力を失い、日本軍は敗北・崩壊した。
敗戦の教訓もあり、ドラッカーの「人はコストではなく資源である」という言葉がわが国の経営層に大いに浸透した。
ダイエー創業者の中内功さんは、軍隊経験者。戦争最前線の現場で悲惨な「人づかい」を散々経験した。その経験から、部下を守ろう、組織を守ろうと必死に己の組織を巨大化させ、成功に邁進されてきた。それが91年バブル崩壊という状況(戦局)が資産レバレッジが逆風となったことで、資金繰りが悪化。そんな中、自分の組織人を大事にしたい、守りたい、と思い込み過ぎたことがアダとなったのか、当時最先端の購買情報と流通網を持っていたにも関わらず、95年の阪神淡路大震災の被災が致命傷とダイエーは顧客からの支持を失い、社会的役割も失い、中内氏も2001年代表取締役を辞任。失意の中、中内氏も2005年亡くなられました。
この時に、中内氏の経営も否定され、彼や戦中派の経営者たちが大切にしてきた「人を大切にする経営哲学」やドラッカーが記した「人はコストではなく資源である」という経営哲学までも失われてしまったのではないだろうか。
その企業雇用への信頼が失われ、反動としての絶望感が自殺者の増加につながっているのではないか、とも感じます。1998(H10)年、前年度から一気に8000人も急増し3万人台となった自殺者数は、14年連続、2011(H23)年まで3万人を超えていました。
企業倒産件数推移も2000年から任意整理が除かれているので、純粋比較できないものの、いったん統計としては法的整理のみで低くしたものの、2000(H12)年から2010(H22)年まで増えている期間、自殺者数は3万人台を超えていることから見ると、企業倒産と自殺者数と関係しているのではないかと感じます。
この自殺者数増加を受けて、政府が自殺対策を本格的に始めたのがH18年以降。
ここ数年、「ブラック企業」「長時間残業を強いる働き方」「休日なし」など人権侵害的な働き方をさせる企業への糾弾、社会的制裁を求める声が高まり、移民政策を進め、特に福祉分野における人材不足を埋めるためという要請もあり、国際標準の働き方にシフトさせる「働き方改革」を官民共に推進しています。
解決案は、そうした行政からによる支援ではなく、下からの改革と思います。
https://note.com/dialogjapan/n/ncbb7f453768b
「企業不信」が「人間不信」を生み、「社会不信」へと至り、一層の「少子化」と「経済不振」が現実化しているのでは、と感じます。
現代ではさらに「指揮命令」「指示命令」を論じられているが、ドラッカーは言う。
今日を変えていこう。愛を込めて。