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絶望は全体主義に通じるとドラッカー 12月24日 Human Existence in Tension 人間の実存

#ドラッカー #365の提言 より

#12月24日  
#Human_Existence_in_Tension
#人間の実存

実存主義といえば、キルケゴール。
実存主義とは、

人間の自由選択の意義を強調し,未来の一部分はこの選択にかかっており,閉鎖的な合理的体系によって予知しうるものではないとし,このような人間存在を実存と呼んだ。他のものと代置しえないこの個別的実存のもつ哲学的重要性を強調する立場が広く実存主義と称される。

コトバンクより

彼は、

「死に至る病とは絶望のことである」といい、現実世界でどのような可能性や理想を追求しようと<死>によってもたらされる絶望を回避できないと考え、そして神による救済の可能性のみが信じられるとした。

ウィキより

そういえば、
ベストセラーとなったウルマンの詩「青春」のなかで、

年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。

http://www.nsweb.biz/ippuku/seishun.htm より

と記しています。
人は希望を失うと死に至る、と聞きます。
「人間の実存はいかにして可能か」と問われたキルケゴールの答えは、

人間の実存は、精神における個人と社会における市民を同時に生きるという緊張状態においてのみ可能である。

同書、279ページ

 実存主義者によれば、未来が閉じられたものではなく、みずからの選択と行動で決めた未来が開かれていることを意味する。つまり、人間は,みずからの選択,生き方の選択 (キルケゴール) ,特殊な行動 (サルトル) によって,みずからが何たるかを決めると説く。

キルケゴールは人間の自由選択の意義を強調し,未来の一部分はこの選択にかかっており,閉鎖的な合理的体系によって予知しうるものではないとし,このような人間存在を実存と呼んだ。他のものと代置しえないこの個別的実存のもつ哲学的重要性を強調する立場が広く実存主義と称される。

コトバンクより

自己決定権がある、ということで進んだ19世紀。だが、19世紀の楽観主義が進歩への信仰が生まれ、時間を積み重ねれば神に近づいていく、という確信は絶望へと至る。その絶望が全体主義に通じていくという悲劇をもたらした、とドラッカー。

全体主義の教義において重要な意味を持つものは、いかに生きるか、ではなく、いかに死ぬかということである。そして、その死を耐えられるものとするために、個人の生命は無価値で意味のないものとされる。

「すでに起こった未来」289ページ


今日のテキストは1939年初版の『「経済人」の終わり』、『 #すでに起こった未来 』12章 #もう1人のキルケゴール  279〜283ページ 1994年版より。

メリークリスマス!

#人間の実存は 、個と市民という2つの実存の緊張状態においてのみ可能である。

 社会自体の合理性の解体と、個と社会の関係における合理性の喪失こそ、現代社会の際立った特徴である。
 社会は、人が社会において生きることを望むのであれば、絶望せずに死ねるようにしてやらなければならない。その方法は一つしかない。個々の人間の人生を無意味化することである。一人ひとりの人間が、人類という樹木の一枚の葉、あるいは社会という肉体の一つの細胞にすぎないとするならば、死は死でなくなる。集合的な再生の一つの過程にすぎなくなる。
 もちろん、そのとき人生もまた人生ではなくなる。それは、生命全体のなかの一つの機能的過程にすぎず、全体との関連がなければ、いかなる意味ももたない存在となる。このようにして、人の実在を社会における実存とする楽観主義は、直接絶望へといたる。その絶望は全体主義に通ずるしかない。
 だが、人の実在は、絶望における実存、悲劇としての実存である必然性はない。信仰における実存が可能である。信仰とは、神において不可能が可能になるという確信、神において時間と永遠が一体となり、生と死が意味をもつとの確信である。

(『「経済人」の終わり』『すでに起こった未来』)

ACTION POINT
#個としての存在と市民としての存在という2つの実存の間における
#緊張状態について考えてください

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