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あらゆることが行政依存症でいいのか? 10月21日 The Megastate 巨大国家の誕生

おはようございます。10月21日 月曜日になりました。今週も #ドラッカー365の金言 で参りましょう。今日のテキストは、1993年初版『 #ポスト資本主義社会 』6章 #国民国家から巨大国家へ 211〜214ページより

今日のテーマ:
#The_Megastate
#巨大国家の誕生

今日の金言:
#政府は制定者_促進者_保険者_支給者ではなくなった
#自ら実行者_運営者となった

今日のACTION POINT:
#インターネットでイギリスの国民健康保険制度を調べてください
#そのうえで国営_民営_非営利の優劣を考えてください

今日の金言では、

政府は制定者、促進者、保険者、支給者ではなくなった。
自ら実行者、運営者となった。

とありますが、わが国では、まだまだ政府が制定者、促進者、保険者、支給者であるように振る舞っていますし、国民の側も政府にそうあるよう願っているように感じます。

国家予算を司どる財務省は、国防について出来もしない、何かあっても責任を取らないくせに口出しをして、必要な防衛装備品の装備、自衛隊員の寮の改築・待遇改善を怠り、核を持つ中朝ロシアからの圧力が増し、台湾危機・尖閣危機が迫っているにも関わらず、その無能ぶりを発揮しています。

国民は、戦前と同じように、国に任せておけば大丈夫だ、日米安保があるから大丈夫、と根拠なく盲目的に信じていますが、実態は、東日本大震災が起こった後に、あたふたしたように、地元の県や市役所に尋ねると、天災や戦争に対する備えなど、ほとんど何も準備されていないように思われます。

イスラエルのようなシェルターもないのに、核攻撃を受けたら、国民はどこへ逃げればいいのでしょうか。

政府は、有事に際しては、肝心のことは、国民へ、現場へ丸投げ、という姿勢は変わっていないようです。官僚組織の弊害が緊急時には致命傷になります。

EU諸国の中には、非常時や攻撃を受けた際には、どのように振る舞うべきか、マニュアル化が為されている国もあるやに聞きます。危機管理ができているのは、国家の取り組みだけでなく、国民側の取り組みと双方が整っているからこそ、できている、となるわけです。

わが国の場合、衛生面や清掃面、ゴミの分別については、行政と国民側とが手と手を取り合い、世界でもレベルの高い清潔感あふれる社会を維持し続けています。

清掃に限らず、このような国家行政と国民とが調和した活動が多方面でも広がるといいのかもしれません。

全体主義的な、指示命令、上からの統制、
ではなく、
個々人、草の根からの社会改善運動と行政からの支援によって、
治安維持や社会平和が図られる社会が望ましいのかもしれません。

行政依存症であればあるほど、増税・増社会保障費用となり、可処分所得は減るばかりです。

個人が自由に消費できる金額が減れば、当然ながら経済も生活も停滞します。それが望ましいのでしょうか?そうではないと感じます。

子孫繁栄を願っていますから、個人的には、小さな政府・小さな行政へとスリム化させていくことで、個人の可処分所得を増やし、成長を産む経済体制をつくることによって成されるものではないかと思います。

行政依存症から脱却して、重荷となる税や社会保険料を最小化し、個々人が1日も早く経済的な重荷から解放されて、生き生きと生きられる日本になって欲しいと思います。今日もやっていきましょう。


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