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2月13日 The Nature of Freedom 自由の本質

おはようございます

今日も #ドラッカー #365の金言  からスタートしていきましょう。

本日 #2月13日  タイトルは #The_Nature_of_Freedom  

#自由の本質

今日の金言は、

#自由とは選択の責任である

 自由とは楽しいものではない。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもない。それは選択の責任である。権利ではなく義務である。真の自由は何かからの自由ではない。それでは特権にすぎない。
 自由とは、行なうことと行なわないこと、ある方法で行なうことと他の方法で行なうこと、ある信条をもつことと逆の信条をもつことからの選択である。楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任である。(「産業人の自由」『バージニア・クォータリー・レビュー』誌収載)

ACTION POINT 

#仕事上の目標としているものをあげてください

#それらのうち組織にとっての成果だけでなく

#ご自身の自己実現にもつながっているものについて説明してください

 本日のテキストは、「産業人の自由」(未来社 田代義範訳 1965年版)で言うと、第6章 自由な社会と自由な政治 122ー123ページより引用。

 ウクライナ情勢が緊迫しています。そんなタイミングで、今日の提言は、「自由の本質」。

 100年前、第一次大戦(1914−1918)ーロシア革命(1917)ースペイン風邪流行(1918ー1921)ーA・ヒトラー、ナチス党第一議長に就任(1921)ー世界恐慌(1929)ーナチスドイツ権力掌握(1934ー)ードイツ、チェコ併合(1938)ードイツ、ポーランド侵攻、第二次大戦開始(1939)ー終戦(1945)という歴史があります。

 ロシアのウクライナ侵攻があるならば、1938年ナチスのチェコ併合に似ています。当時、英仏が動かなかったからです。

 ドラッカーの思想の底辺には、ナチズム全体主義・共産主義への批判があります。20世紀、自由で平和な産業社会を目指していたにもかかわらず、第一次世界大戦が勃発、その後、ナチズム化・全体主義化・共産主義化が世界中に広がり、再び世界大戦となりました。

 ドラッカーは、この ナチズムの本質を「束縛と征服を基礎にして機能的産業社会を発展させようとする試み」(「産業人の自由」20ページ)であると規定しています。

 1929年世界恐慌に襲われ、ドイツ経済は崩壊。絶望した大衆が、「経済上の自由を制限したり放棄したりすることで、失業の脅威、不況の危惧または経済的犠牲の危険などを差し当たり、防ぐことができるなら、自由の制限、剥奪も甘んじて受けも使用し、歓迎さえもしよう」(「経済人の終わり」74ページ)というヤケクソ気分になりました。

これは、「コロナで死なないためなら、移動の自由を束縛されても、マスクを強要されても、経済が停滞しても構わない」という現代日本の高齢者らの行動と似ていないでしょうか。

 フロムのいう「自由からの逃走」です。大衆は、孤独になり、絶望したのです。彼らは、希望を求め、服従と支配への努力という形へ動きました。その先で待っていたのがヒトラー率いる全体主義のナチスでした。

大衆は、世界恐慌→失業→孤立化→不満→だがもらえるもので充分だ、足るを知るだ、と自己説得→不満が増す、という緊張の中、全体主義のメカニズムへ組み込まれていきました。

現在日本、コロナ禍で行われていることとの類似性を感じる次第です。

ドラッカーはこのナチズムの教訓を基盤として、自由で平和な産業社会を指向する新しい「産業人」と「産業人」による新しい社会の可能性を、企業組織に見つけました。彼のマネジメント論は、そこに原点があります。

個人の自由を大切にして、今日を変えていこう。愛を込めて。


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