2月19日 Reprivatization 再民間化の必要
おはようございます。 今朝も #ドラッカー道 #ドラッカー #365の金言 から人生と学びを深めていこうと思います。
本日 #2月19日
#企業が優れている最大の理由は赤字の機能にある 。
再民間化とは、家族やコミュニティが担いきれなくなったために政府に任された仕事を、政府以外の組織に戻すことである。再民間化に企業が適しているのは、それがイノベーションのための組織だからである。他の組織はすべて、変化を阻止するか、少なくとも緩和するためにつくられている。それらは、やむをえざるときに不承不承イノベーションを行なう。
しかも企業には、政府に不可能な二つのことができる。第一に、事業をやめることができる。市場で活動しているならば事業をやめざるをえなくことがある。第二に、企業は社会がその消滅を許す唯一の組織である。企業は仕事ぶりを厳しく評価される。消費者は製品がどれだけ役に立つかだけを考える。役に立たなければ、それをつくった企業が消滅しても残念とは思わない。投資家も残念とは思わない。
企業が優れている最大の理由は、利益の機能にあるのではない。赤字の機能にある。だからこそ企業は、あらゆる組織のうち最も適応性に富み、最も柔軟である。(『断絶の時代』)
ACTION POINT
#すでに刑務所の運営や軍事上の役務が民間企業に委託されています 。
#さらに予想されるものを列挙し民間委託の利点をあげてください 。
今日の提言は、断絶の時代(1969年版)>10章 政府の病患>政府は何ができるか、組織体としての企業の特性(308~319ページ)からと思われる。
いわゆる「民営化」というもので、古くは北九州の八幡製鉄所。国鉄、電電公社、JALといった公共事業が中曽根内閣で民営化され、郵貯事業も小泉内閣で民営化されました。最近では、宮城県の水道事業を外資へ20年間の契約で売ったことで、命に直結する水道事業を他国に委ねるとは何事か、と、その是非が話題になっています。
ドラッカーは、
政府の目的は、基本的な決定を下し、それを効果的に行うことである。政府の目的は、社会の政治的エネルギーを集中することである。論点を劇的にすることである基本的な選択を提示することである。換言すれば、政府の目的は、統御することである。他の組織体で学んだように、このことは実行とは両立しない。(同書、308ページ)
政府には、家族が担いきれなくなった事業を実行者として向いていないのに、全てできる、と事業まで抱えている。それは政府には無理だから、民間に担ってもらったらどうか、という概念を、「再民間化」と紹介している。いわゆる民営化、ということです。なぜなら、民間の事業は、市場によって評価されるため、有効でない事業は撤退、廃棄という方向へ進まざるを得ないし、政府が実行者として実行するよりも、民間企業の方がより良い地域サービスを提供することができる、という利点があることを紹介しているのです。1969年の時点で。。。
昨日の提言で、公的機関もまずは有効でない業務は「廃棄」せよというものでした。ところが、なんだかんだで廃棄できない公的機関に対して、今日の提言で、民間企業や民間組織は、事業が赤字になれば事業継続できず、廃止せざるを得ない、という赤字の効用を謳っている。
彼ら(民間企業)は、市場の規律という合目的的な規律のもとにある。彼らには収益性という客観的な尺度がある。そして(憤懣やる方ないにしても)遅かれ早かれ非成功的、非生産的なものをかなぐり捨てざるを得なくなる。(同書、1969年版、254ページ)
赤字=悪、社会から無用、というイメージが強かったわけですが、赤字は赤字で、その事業を断念する、廃棄する、という尺度と規律の元にあるというか、社会では継続できないことを示す、ということで、それは社会全体からみえば、有益なんだ、という斬新な意見に、目から鱗でした。
何でもかんでも、非効率だから民営化しよう、という考えではダメですし、諸外国においては、他方一旦は民営化したものの、再公営化した、という事業もあるそうです。今回の宮城県水道事業についても、政府や行政が担うべき住民サービス事業と民営化が向いている事業という線引きは、医療も含めて少子高齢化社会の到来、という現在、今一度考え直すべきではないかと感じる次第です。
今日を変えていこう。愛を込めて。
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