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1月23日 私徳と公益

#ドラッカー365の金言 #1月23日 #私徳と公益 #私人の徳を社会の福利の基盤としたとき徳のある社会が実現される #商品やサービスのうち公益を重視しなかったために失敗したもの或いは失敗しそうなものを3つあげてください

優れた社会、徳ある社会、永続する社会は、私人の徳を社会の福利の基盤としたとき徳のある社会が実現される

ドラッカー博士が実に儒教的であるのは、こうした言及があるからである。小見出し文のところ原文を見てみよう。

In a moral society the public good must always rest on private virtue. (道徳社会では、公共の利益は常に私利私欲の上に成り立っていなければならない。 Deepl翻訳より)

始皇帝が国家におけるすべての決定や判断は、国家が定めた法律に基づいて行うとする「法治」で国家運営を実現しました。

しかし、あまりに秦国の法律と罰則が厳しいことに大衆の不満が生じ、結果、国を滅ぼす原因にもなりました。秦を滅した劉邦は、法律ではなく孔子のいう徳のある統治者がその持ち前の徳をもって人民を治めるべきという考え方を採用し、人徳で以って国家を統治する「徳治国家」運営を採りました。

そして、現在のわが国で国家運営は「法治国家」で運営されているものの、その底流にあるのは、全て法律によって統治するのではなく、「徳による統治」。

※山本七平は「『派閥』の研究」(文藝春秋)において、「日本は法治国家ではなく納得治国家で、罰しなければ国民が納得しないほど目に余るものは罰する法律を探してでも(別件逮捕同然のことをしてでも)罰するが、罰しなくとも国民が納得するものは違法であっても大目に見て何もしない」と述べている。

歴史的にも、朝廷や幕府においても盛んに徳政が行われて仁政の推進が図られてきましたし、江戸時代以降、飢饉や災害が頻発すると、藩主や藩主に仕える家老、武士は領民の模範となるべき行動を求めることが多くなり、明治以降も政治家、経済人、軍人など組織のリーダーの徳・不徳が評価ポイントになっています。

「不徳の致すところ」という不祥事での記者会見の発言は、こうした徳治主義に基づくものであり、政治家のイメージや企業ブランドに大きな影響を与えています。

例えば、業務とは何の関係もない「ノーパンしゃぶしゃぶ」接待が問題となり、官僚の接待が禁止になったり、未成年への淫行やあやしいデリヘルからのメールが原因で辞任した新潟県知事、愛人騒動で辞任した宇野総理など、わが国においては、いくら仕事ができようとも、有能であろうとも、派閥の領主であろうと、人徳を欠いた行為をした人物はリーダーに相応しくない、と引き下ろされます。

日本社会では、少女淫行事実や性暴行歴がある人物が国家のリーダーの地位に就任するなど、あり得ないことです。

すなわち、我が国においては、理想の組織とは、徳の高いリーダーが指導する組織である、という考え方がまだまだ強いものです。

現代においても、倫理法人会やモラロジーといった組織では、法律よりも組織リーダーの人徳が高いことに組織が従い、その徳が従業員、取引先、家族に広がり、徳の高い社会が広がる、という理想像を広報しており、その理想の実現を心に描いている経営者や政治家は少なくありません。

山本五十六氏の名言、「言って聞かせ〜」は、伝統的な日本の組織の理想像を逆説的に示していると思います。(=「言わなくとも、規則で縛らなくとも、リーダーの人徳によって、おのづから理想社会の実現に向かって行動する経営者と従業員」)

ドラッカー博士が孔子のことを理解して、「マネジメント」を始めとする経営書を記されたのか知りませんが、本日の「私徳と公益」という考え方の一端に、儒教の影響を感じました。今日もお元気で。そして、こちらのマガジンもぜひご一読を。


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