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結局は、戦後70年間日本の富=公金は世界にチューチューされ、日本国民が搾取されていることが明らかになった2月15日 Salvation by Society 社会による救済の終わり
#2月15日 木曜日です。すっかり遅くなってしまいましたが、みなさんお元気ですか?
今日の #ドラッカー365の金言 テーマは、
#Salvation_by_Society
#社会による救済の終わり
去年も一昨年も公助を批判してきました。
彼らは公助=社会による救済を訴えてきました。しかし、公助は現役世代や若年世代への負担増となるばかりで、負担から逃れようとする高齢者層らに厳しい目が向けられ始めています。
こども家庭庁はじめ岸田内閣がやっている、あるいは、やろうとしていることは、厚労省と政治家とぶら下がる業者が国民から一人当たり500円といいつつも、就業世代から、所得を盗むだけの愚策に思えて、とても賛同できません。ベビーシッター券とか冗談かと思って、
埼玉県議会のアホ条例を潰して、もう終わったと思ってたら、こんなアホなことが法案でなく、通達で罷り通るという。
自民党・公明党の与党は、政商の金に目が眩んだのか。本気で子育てを支援しよう、少子化を止めようなどと、これっぽっちも思っていないことが明らかになった悲しい。。。
今日のテキストは、『 #ポスト資本主義社会 』>序章 #歴史の転換期 > #国民国家を超えて > #「社会による救済」という信仰(1993年版、39〜40ページ)から。
#あなたの面倒を見るのは人事部ではなくあなた自身です 。
#自らの強みを見つけ自らの期待に応え自らをマネジメントしてください 。
#何によって貢献するかを常に考えてください 。
#社会による救済への信仰が終わった後となっては一人ひとりの人間の責任が主役となってもおかしくない 。
信仰としてのマルクス主義の崩壊は、社会による救済という信条の終わりを意味した。それに代わるべきものが何かは不明である。(中略)原理主義を信奉するイスラム世界の若者も、40年前ならばマルクス主義になっていたかもしれない人たちである。(中略)
いずれにせよ、救済、復活、成長、善、徳が、社会的な目標や政治的な処方としてではなく、人間の実在にかかわるものとして求められるようになる。少なくとも社会による救済の信仰が終わった後となっては、内面への回帰が始まる。個としての人間が中心となる。(後略)
人道支援という名目で、国連UNRWAへ資金提供してきたわが国の資金は、テロ組織ハマスに使われていることが明らかになった。
救済、復活、成長、善、徳が、社会的な目標や政治的な処方としてではなく、人間の実在にかかわるものとして求められるようになる。少なくとも社会による救済の信仰が終わった後となっては、内面への回帰が始まる。
もう信仰してても、なんのご利益も何もない。結局は、アメリカからの、日本からの金が欲しかっただけ。騙しの手口は明らかになって、ポツダムやヤルタの戦後体制は終わり。ウクライナはロシアからの攻撃に晒されても負けずに頑張っている。ハマスのテロを支援していたのは、イランと国連だった。イスラエルは悪というプロパガンダは、日本も悪、とする国連のプロパガンダと何も変わらないんじゃないか。国連もダボス会議も誰も救済しようなんて思っていない。誰もが己の欲得でしか動いていないんじゃないだろう?
彼らへ資金提供すべきだと提言してきた学者や外務省は、説明責任が必要だろう。というか、この種の支援は一旦リセットして、国益・国民の為に使われるべきだろう。何が国益に資するのか、戦後70年の考え方を一旦見直すタイミングだろう。
国連にせよ、ダボス会議であろうと、彼らが世界を救済などと悪い冗談以外何者でもない。自分は自分で、世界を良くするために、自分のできる範囲で、できることをする。それでいいんじゃないだろう。妙な団体やNGO、NPOなどに資金を投じても彼らが得するだけである。
信仰を捨てて、己の信じるところを進もう。
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