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数年前のこと。小学校5~6年の担任だった先生から電話がかかってきた。
「毎年年賀状を欠かさず出していたけど、目が不自由になって年賀状の返事が書けなくなってきた。申し訳ないけど今後は失礼するわね。」
ということだった。
そして
「ところで、○○ちゃんは今、絵のお仕事をしているんでしょ?」
と質問されて、ものすごく驚いた。

ああ。思い出した。
私は子どもの頃、何かに憑依されたように毎日絵ばかり描いていたのだ。
白いスペースを見ると描かずにおれない病とでもいうか。
文集の挿し絵や卒業記念の下絵…それを知っている先生は絵を描く“仕事”の多くを私に依頼してくれたのだった。

そういえば昔はテストが早く終わると裏に絵を描いて時間を潰しても良いルールがあった。
成績に欲はなかったから先生に
「見直せよー。」
と言われてもスルー。
テスト時間のほとんどを絵を描くことに費やした。

自分は活発な子どもだったけれども、休み時間は自由帳に絵を描いて過ごすことも多かった。絵を描き出すと、同級生達が机の前におずおずと並び出して
「自分の自由帳にも絵を描いてくれ。」
と言ってくることもあった。話したことのない違うクラスの子達も結構いた。他の子が自分なんかの絵を欲しがるのは、子ども心にとても不思議だった。子どもは人の描いた絵をほしがるものなのだろうか。いや。人の絵を観るのが好きな子どもがいるのだろう。
多いときは並んで待ってもらった。私の机の前でわくわくして並んでいる同級生達は何だか可愛らしくて、それを見るのは嫌いじゃなかった。

高学年になるとさらに熱がこもり、親に頼んで通信教育で漫画を習い出したりした。

ところが小学校を卒業すると急に絵に対する興味が薄れてしまう。
運動。音楽。進路。現実のあれこれ…。以後は美術の時間や趣味で何枚か油絵を描いたり、大人になって仕事や何かでそれっぽいことをする程度で絵を描くのが好きなことを忘れてしまった。いや。そもそも自分が絵を描くのが好きだったなんて今なお思わない。息を吸うように…本能みたいに描いていただけだから。

今noteのことを知って「絵本みたいなの、作ってみたいなあ。」なんて思うようになった。
それで処分に困っていた子どもの使わなくなったノートや割れたりしたクーピーなんかを押し入れからごそごそと取り出して、大昔の病が復活した次第だ。
今ね。休憩時間とか寝る前に、時間が許せばこの楽しい作業に没頭する。
自分の絵が下手だとか、図々しい目標だとか思わないことにする。最近思うことがあって、そういう呪縛とは縁を切ることにしたのだ。時代はいつの間にか変わっている。一部の権威だけが芸術や娯楽、さらには思想までもを取り仕切るような古い価値観では歯が立たない世界ができあがり、新しい価値観が世の中を圧巻している。権威は権威として高尚な遊びを楽しめば良い。私は逆らわない。むしろ応援する。
権威から逃げたり除外されたりした自分はただ好きなことをするだけ。

日常に追われて、手も頭も柔軟性を失っている今になって小学生時代の続きをやっている。でもこれは、担任の先生の中で長い間生き続けていた…極めて大切で少しだけ重苦しい…私のもうひとつの人生でもあるのだ。

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