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なんとなく見当つけて、適当な病院に行ってはいけない話




私は歯科衛生士になった。


入職したクリニックには、先輩衛生士が1人、助手さんが3人。

たった1ヶ月で、唯一の先輩衛生士が辞めた。
そこから始まったのは、ドクターと助手たちから業務を教わる日々。

「ここで頑張らなければ、どこで頑張るんだ」
その言葉が頭を巡り、ただ前に進むしかなかった。

そんなある日、来院した高齢の男性患者さんがふとこう言った。

「失って初めて気づく大切なものが2つある。
両親と歯だ。君は両親も健在だろう?歯も全部あるだろう?

あの時もっと大切にしておけばよかった、と俺は思うよ。
君は大切にしなさい。」


その言葉が私の中に強く残ることを、当時の私はまだ知らなかった。

それから私は、歯科衛生士の仕事に一層真剣に向き合った。

職場の空気を切り裂くように動き、勤務に全力を注いだ。

でも、そんな姿勢が静かにストレスを積み重ねていくことに気づくことはなかった。

ある日、付き合っていた彼が私に言った。



「その足、治せないの?」


胸がざわついた。
勤務の疲れが足の痛みに変わり、デートすら満足にできない自分がいた。

家を出る前には必ずロキソニン。痛み止めなしには歩くこともできなかった。

「この足を治す…?」

あの頃は今ほど情報が簡単に手に入る時代ではなかった。

いや。もっとちゃんと調べるべきだった。
でも私は、自己判断で病院を訪ね、こう言っていた。

「私、下肢静脈瘤だと思うので、
レーザー治療をお願いします。」


なんて愚かな話だろうか。
自分の病気は、自分が決めるものではない。
ドクターが診て、検査し、診断するものだ。


もしあの頃の自分に何か言葉をかけるなら、
そう言うだろう。

今思えば、あり得ない話だが、
そのクリニックではほとんど検査もせず、次回の手術日程が決まっていった。




日帰りの動脈瘤のレーザー手術。

その時の私は、自分の足が治ると信じて疑わなかった。


「これで治るんだ」

意気揚々としたあの瞬間の気持ちは、
今でも忘れられない。

だが、
それは単なる始まりに過ぎなかったのだ。

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