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これよりヨーガの解説をしよう

ヨーガの解説をする前に

ヨーガを知る上では必須と言える聖典のひとつである『ヨーガ・スートラ』第一章三昧章第一節のアタ ヨーガーヌシャーサナン(これより、ヨーガの解説をしよう)を題名として始まりました。

とはいえ、古くから伝えられる伝統的な教えには、現代にあるような教科書(テキスト)やワークブックのようなものはヨーガにはありません。

■インドに古くから伝わる教授法

インドに古くから伝わる教授法は、「シュラヴァナ(聴聞)・マナナ(熟考)・二ディディーヤーサナ(瞑想)」、つまり、あらかじめ聖典を読んで自習をして師に質疑すること、その答えに対してよくよく考えること、静かに座してより深く瞑想において熟慮することの繰り返しとなります。

熟考を繰り返すことで無意識のレベルにおいて、習慣化されたとても深い瞑想状態になることによって、ごく自然に意識することなく聖典から学び師から聞かされた内容を少しずつ生きることが可能となっていきます。

現代風に言うならば、仮説を立ててその仮説を自らの実生活において検証して普遍化するように、幾度も繰り返して科学者が実験するような…または、ビジネスにおいて、この商品はこの世代の特定の女性に役立つという仮説を立てて販売しその結果から商品設定やマーケティング戦略を練り直したり、販売ルートを変えたりする試行錯誤のような科学的なアプローチとも言えます。

しかし、お伝えしたような伝統的な教授法に恵まれるための第一歩として、智慧に満たされた師と共に生活するというのが基本となるので、絶対に無理ではありませんが、かなりの確率で難しいと言わざるを得ないのが現状だと思っています。

そこで、これからこのnoteにて、ヨーガの解説を少しずつしていくつもりなのですが…

始めにお伝えしたように、ヨーガは師と弟子との間で密かに深遠なる智慧を授ける、つまり、ウパニシャッド(奥義)を伝承していきます。この「ウパ」とは近くにそして「シャッド」とは座るという意味でもあります。そして、師は弟子との関係性において智慧を授けるということでもあるので、決まったようなアプローチがないと言うことと、この伝統的な教授法は生徒にとってはとても不親切であることを強調してもし過ぎることはありません。手早くいうと手取り足取りは教えてはくれないということです。日本での職人の技の伝承に似ているかもしれません。

私が「シュラヴァナ(聴聞)・マナナ(熟考)・二ディディーヤーサナ(瞑想)」を繰り返し、普遍化したもの、つまり、聖典や先生から学んだ教えを実証した私なりの解釈をお伝えできたらと挑戦する次第です。

還暦を越えて残り少ない人生となって、今まで真摯に学んだことをお伝えできればと思っています。ただ、ここでは真の智慧をそのまま表現することはありません。と言いますのは、オーム真理教の事件のように、劣等感の強い人物は誤って自分の都合を優先して解釈してしまうことを避けるためであるということをご理解ください。

日常生活での有害事象がないこと、そして、これから記される内容を実践することで智慧あふれる師と遭遇する機会に恵まれることをも念頭において、次回から文字通りに「これよりヨーガの解説をしよう」と思います!

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