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「春の一日」 母のエッセイ 『戦争、そして今――あの日々を、一人の女性が生きぬいた』補遺作品 

 先週、上野の美術館へ「版画家池田満寿夫の世界展」を見に行った。会期末も後、二、三日と言う時だった。もっと早く行くつもりだったが、一緒に行く筈だった夫が風邪をこじらせてなかなか回復せず、つい延び延びになっていた。「今回は残念だが、君一人で行って」という夫に玄関先まで送られて家を出た。歴史や美術の愛好家である夫とはこれまでにも何回か上野の森に行っただけに一人で行くのはちょっと物足りなかった。
 
  その日、上野公園は桜が満開だった。地球温暖化の影響か例年より一、二週間早い開花。前夜からの風で早くもはらはらと散りかかっているのもある。丁度良い時に来たと思った。公園のあちらこちらで多くの花見客たちがビニールや茣蓙を敷いてまさに宴たけなわだった。人々は日ごろの憂さも忘れて、花に、酒に、歌にまるで酔ったかのよう。傍らを通る私も、今を盛りと咲き誇る桜の美しさにすっかり心を奪われた。桜はどうしてこんなにも日本人の心情を揺さぶるのだろうか。咲くにつけ、散るにつけ、人々はとても無感動ではいられない。満開の花の魅力もあるが、もしかしたら、散り際の潔さ、はかなさに心惹かれるのかもしれない。
 
 展覧会場である東京都美術館は赤茶色の煉瓦造りで落ち着いた雰囲気の建物、美術の殿堂に相応しい外観だった。一歩中に入ると其処は外の花見客の喧騒とは打って変わった静かな世界。部屋の照明は低く抑えられていて、人々は大きな声一つ出さず熱心に作品に見入っている。皆、池田満寿夫の世界に浸り切っているようだった。
 
 私は彼の生涯については、それまでに一般的な知識は持っていた。とにかく有名人であったから。芸大受験に三回失敗してその後独力で学び、ヴェネチアビエンナーレ展で大賞を取った版画家、四回結婚して、四人目の夫人が著名なヴァイオリニスト佐藤陽子さんだということ、「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞受賞、折角素晴らしい伴侶を得てこれから幾らでもその天才振りを発揮出来たというのに惜しくも五年前急逝したという事などなど-----。生前テレビで見た人懐っこい笑顔は覚えている。
 
 だが私は池田満寿夫の作品そのものへの知識は余り無かった。版画と言ってもそれは木版画では無く、エッチングという手法を使った銅版画や、リトグラフという石版画、金属版画など、それまで私にはあまり馴染みの無い多くの技法を使った版画だった。最近図書館で借りてきた「版画入門」という本で少しは勉強したが、池田満寿夫の版画は別にたいした知識が無い私でも、見るだけで十分楽しいものだった。色彩が美しく、また細い線がじつに繊細で素晴らしかった。
 
 版画では作品完成に至る過程に様々な職人的な作業工程がある。本で知ったのだが例えば銅板を切ったり、磨いたり、薬品を塗りこめたり、洗ったり、最後に紙に刷ったりとか。また使う道具も多い。この様な技術を完璧にまでマスターしてこそ高い芸術性が得られるのだろうが、それでも尚、最も大事なのは原画そのものの質の高さだと思う。何も知らない私がこんな事を言うのはちょっと気が引けるけれど、矢張り原画が人の心を打つものでなければ本当に芸術的な版画作品は生まれないのではないかと思う。  
 
 途中、大きな展示室でそれまでの作品とは全く違う、特に目を引く作品に出会った。縦、横それぞれ四メートルと七メートルという大きな和紙に般若心経が墨で黒々と書かれているものだった。一枚の和紙としては最大のものと言う。この紙を漉くにも紙漉き職人たちは多分心血を注いだことだろう。そこに又池田満寿夫が渾身の力を込めて書いたものである。人々の心を打たずにいないのも当然だと思った。一九九五年書というから亡くなる僅か二年前のものである。阪神大震災の犠牲者の供養のため、京都清水寺の舞台で、大雨のなか二日間かけて書き上げたものだそうだ。大きくて力強い筆致に胸を打たれた。
 
 その時舞台の上には、僧侶の読経の声、シンセサイザーの響き、更に夫人の佐藤陽子さんのヴァイオリンの演奏、この読経と西洋音楽という異質ともいえる音が美しく調和して流れていたという。その中で一心に筆を取った池田満寿夫の姿が彷彿として浮かび上がってくる。どんなに感動的なシーンだったことだろう。もし私がその場に居合わせたら多分目頭が熱くなったかもしれない。
 
 今回は版画、陶芸、小説、エッセイなどに非凡な才能を発揮した池田満寿夫の作品群を十分に堪能出来て幸せだった。
 
 池田満寿夫の女性に対する優しい気持ちが満ち溢れた作品の数々、般若心経の雄渾さにすっかり感激して出口に向かった。
 
 会場を出たとき外は春雨が煙っていた。花見客はビニールや茣蓙をたたみ、一斉に駅に向かっていた。警察官の声が響く。「公園口は只今非常に込み合って来て危険ですので、他の入り口へお回りください。」
 
特別製の大きな分別ごみ箱にはごみが溢れ、露店のおばさんが恨めしそうに空を見上げている。
 
不忍口への坂を下りながら、たまには一人で花見をしたり、芸術鑑賞をしたり、これもまた良いものだと思った。駅前の喫茶店で一杯のコーヒーに疲れを癒し、家への土産のお菓子を買って家路へ向かった。
 
とても良い春の一日だった。
 
二〇〇二年四月五日執筆
 
 


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