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ウイルス対策とチェンマイの森林火災―すべての問題を手作りの力で解決しようとするチェンマイの暮らし方

今日はわたしが15年間住んでいる、タイ北部のチェンマイという街のお話をさせてください。

チェンマイの森林火災と煙害

3月26日にタイ政府が緊急事態宣言の発令した前後から、現在チェンマイの森林火災が深刻になっています。政府がウイルスの対応策に追われて、その他の地方の問題に手が回らなくなっている事を好都合に、一部の農村の人々が山に火を放ちました。

政府も軍も発動しませんので、消防団だけでは人数が足りず、たくさんのボランティアと協力して消火活動が行われています。ですが、ウイルスの拡散を防ぐことの方が優先され、消火活動がいつ制限されてもおかしくないという不思議な事態が続いています。

チェンマイの焼き畑による森林火災と煙害は、今年に限ったことではなく、毎年の課題です。今年は歴史上最悪だった昨年(2019年)の教訓もあって、政府や大学機関、ボランティア、理解ある農家さんたちが一丸となって、山焼きの延長線で起こる森林火災を最小限に防いできました。その努力もあって、今年とうもろこし畑は燃えていません。

チェンマイ森林火災の原因

実際、バンコクでさとうきび畑の焼き畑による煙害が深刻だった2月、チェンマイは危ないラインを上下しながらも、自治体の協力によって去年のような最悪の数値は避けてきました。焼き畑にも、作物の収穫時期によって順番があります。①さとうきび→②とうもろこし→③マッシュルームの順で通常、畑が焼かれます。

さとうきびとコーンは大企業による大量生産を請け負う農家によるものですが、最後のマッシュルームは、『ツチグリ』という土の中に潜っている希少なキノコのことです。5年ほど前から、中国への輸出へと出荷することで、数か月で1年分の農家の年収が稼げるということから、こぞってキノコが生息する農地ではない森林が焼かれるようになりました。現在の火災原因も、このキノコのためです。

2019年の煙害では、この3つの焼き畑が大々的に行われたこと、チェンマイの市街地が盆地であること、3月までの観光シーズンの真っ最中で、交通量が多かったことなど、複数の原因が重なり、史上最悪の事態になってしまいました。

それと比べて今年2020年は自治体の準備、ウイルスによる観光客の減少などで、多少の煙害はありましたが、昨年のような長期に渡る緊急事態が起こることなく、3月を終えようとしていました。ですがここに来て、ウイルスの蔓延を防ぐための緊急事態宣言が発令されてから、事態は一変してしまいました。

ちょっと不思議なチェンマイという街

わたしの住むチェンマイという土地は特殊で、色濃い伝統文化、豊富な農作物、国際都市という相反する顔を一度に持ち合わせた街です。外国人を巻き込んだローカル色が観光客にも魅力的で、タイの中でも観光地として根強い人気があります。

ここでは古きよきものの中にアート、カフェ文化、サステイナビリティを軸としたローカルに根付いた手作りの暮らしが大切にされています。タイの中でもオーガニック農産物の生産が多く、低価格で安心な野菜が身近にあるところも魅力です。世界のヴィ―ガンフレンドリーな街のトップ3にいつも入っています。その他、ヴィパッサナー瞑想を学ぶことができるお寺や僧侶たちも多く、ヨガ・瞑想・タイマッサージ(伝統医療)を学ぶスピリチュアルのメッカとしても有名です。

そんなこともあって、移住者も多く、医療機関やインターナショナルスクールの数や種類も充実していて、価格もリーズナブルです。自然も多く、年間通して過ごしやすい気候もあって、老後のリタイヤはもとより『子供を育てるのに最も適した場所』と絶賛されてきました。

そんなチェンマイが煙害のターゲットとなってしまったことは、とても残念です。ですが、そんなチェンマイだからこそ、煙害に立ち向かうため、ローカルの力、国境を越えたコミュニティサポートもどんどん立ち上がっていきました。チェンマイの人は何だかんだ手作りでやってのけます。

チェンマイの暮らしの変化

どちらかというと質素な暮らしに幸せを見出しているチェンマイの人々が、どうしてこんな事態に巻き込まれなくてはいけないのか、当初はとても不思議でした。

もちろん住民全員がそういう暮らしをしているわけではないですし、バンコクや中国から人・モノ・お金が流れてきて、不動産や物価の上昇もここ5年間で急激に上がっていました。古い木造の建物は壊されて、建築基準法(京都と同じです)ぎりぎりの4階建てのコンクリートの建物が旧市街地にどんどん建っていきました。開発で奪われるものは森林だけではありません。『古きよきもの』の持つ雰囲気も薄れていきました。

わたしたちは使い捨てのプラスチックを減らし、オーガニックの野菜を選び、土を汚さない洗剤を使い、生理用品もティッシュも使わず、娯楽は手作りのマーケットやフェスティバル、という形で自然に寄り添う形にシフトすることを目指して暮らしてきました。プミポン前国王の助けもあって、少数民族によるオーガニックコーヒーの生産、ロイヤルプロジェクトファームが北タイで発展していきました。

ですがプミポン国王の崩御のあと、農家は次々と無農薬栽培を辞め、大企業の請負である、家畜飼料となるコーンの生産へと移行していきました。コーンの種は遺伝子組み換え作物であり、農薬散布は当たり前です。大企業が種も農薬も無料で配布するので、それを植えて収穫するだけで、簡単にお金が入るような仕組みができあがってしまいました。そして土地が痩せると、山を焼いてまた開拓する、ということが繰り返されるようになりました。

少数民族は国立公園内に『生息』しているため保護され、少数民族のみに国立公園内の土地の農地使用が許可されていました。ですが皮肉なことに、この特令を利用して、国立公園内の森林が、少数民族によってどんどんコーン畑に変わっていったのです。

少数民族や農家を責める声が多数ありますが、彼らはむしろ森林の一部であり、犠牲者です。暮らしを変えなければいけないのは、『外から入ってくる』人・モノ・お金中心で生きている人たちです。わたしはだんだんとこれに対して嫌悪感を抱くようになってしまいました。

チェンマイはいつも手作り。環境問題も手作りから解決してきた。

でも目の前に顕れるものはみな、自分の欠片です。『外から入ってくる』ものは、情報であり、メッセージです。このメッセージは、『何が本当に大切なものなのか、もしあなたが知っているのであれば、身の回りだけで満足せず、それを世界に伝えるべきだ。』ということでした。

ダライ・ラマ14世もチベットから追い出されたことによって、世界中の人に仏教の良さを知ってもらえる機会を得たというお話をされていました。

もし、煙害や開発が起こらなかったら、わたしたちはのんびり、幸せに暮らしていたでしょう。世界がCO2の削減にいまさら躍起になっていますが、わたしたちはもうずっと昔から大なり小なりコミュニティとして『サステイナブルライフ』(=自然との調和を保つことが可能な生活スタイル)の模索を続けてきました。でも現在は、全く反対の状況に巻き込まれています。

このままでは、チェンマイは魅力を失うとしばらく思い悩んでいましたが、反対です。今こそそれをもっと世の中の人たちに『正しく』知ってもらうチャンスなのです。チェンマイは日本や欧米のように清潔でもないですし、ごちゃまぜでキッチュな上、どこか間の抜けた手作り感が満載の街です。

ではなぜチェンマイがチャーミングだったのか?それは暮らしの問題を解決するのが、必ずしも政府や行政という大掛かりで、大規模なものではなかくいつも個人の『手作り』から始まっていたからです。そしてそれはこれからも変わらないでしょう。

ウイルスのことでも、環境問題にしても、わたしたちはいつも政府に対応を求めて不満を言ったり、評価したり、意見を言ったりしています。それを悪い事だとは思いません。でも、わたしたちは既にそれだけでは絶対に足りないという時に来ています。

自らが作り出していくことができるという『手作り』の力を思い出してください。そして自分や他人の『手作り』をバカにしたり、甘く見ないでください。今、わたしたちが暮らしを『手作りの力』で変えていくことで、いろんな問題は解決されていくはずです。

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だるまいこ | 仏教学者のインナーセンスオブワンダー
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